不思議現象・番外編 カーテンを開けると、薄闇の中で雨が降っているのが見えた。かすかな雨音もここまで聞こえてくる。 背後のソファでは、未だに若いままのジョセフが眠っていた。承太郎からの連絡はまだ来ない。このまま元の姿に戻れなかったとしたら、一体どうするのだろう。 スタンド使いが襲ってくる気配もなく、ジョセフがこうなった原因は全く分からずお手上げだ。もし何者かがジョセフの命を狙っているならば、肉体的に最も力が溢れて いる青年の姿にするだろうか。本来の年老いている状態か、または昔の承太郎がされたように子供の姿にしたほうが、向こうにとっては好都合なのに。 承太郎が戻ってきて、もし手がかりを掴んでいなかったら一緒に良い方法を考える。いくらなんでも、身体だけが若返った異常な状態のままで幸せでいられるはずがない。 静かな部屋の中、玄関から呼び鈴が鳴った。母親が帰ってくるには早すぎるかと思い驚いたが、もしそうなら自分で鍵を開けて入ってくる。承太郎が来たのかと思いこみ 中から確認もせずにドアを開けると、その先に立っていた人物を見て仗助は絶句した。 「悪いな仗助、邪魔するよ」 「……何であんたがここに」 「ちょっと気になることがあってね」 外で降り続く雨に濡れた岸辺露伴が、強引に入ってきた玄関からソファで眠っているジョセフに視線を向けた。どうやらこの男の目的は仗助ではなくジョセフのようだ。 昼間に町で会った時はそれほど関心を持っているようには見えなかったが、何を思ってこの家に。まさかジョセフのことを探ろうとしているのか。よりによって最も面倒な 奴に食いつかれて困惑した。 「さっき会った時、あの男はいつもジョースターさんと一緒に居る赤ちゃんを抱いていたな。しかもお前は、じじいと呼んでいた」 「何が言いてえんだよ、おい」 「秘密があるんだろう、しかも根の深い奴がな」 「帰ってくれよ、せっかく寝てるのに起きちまうだろ」 そう言って露伴の肩を押し返そうとすると、その手を強く振り払われた。射抜くような鋭い視線はまるで、仗助がイカサマを持ちこんだサイコロ賭博で見せたものと似て いる。こうなった露伴は、気が済むまで絶対に引かないことを知っている。狙った獲物を執拗なまでに追いつめる獣のように。 「じゃあ言ってみろ、あの男は誰だ」 「俺の知り合いだよ、あんたには関係ねえ」 「どうして僕から遠ざけようとした? ただの知り合いならあそこまでする必要はないはずだ」 「しつこいなあんたは! 力ずくでつまみ出されてえのかよ!」 少し顔を合わせただけなのに、ここまでジョセフの存在に食らいつく執念が分からない。どれだけ好奇心旺盛なのかは知らないが、本当に迷惑だ。 仗助が必死で追い返そうとすればするほど、露伴はますます何かを刺激されるようで更に踏み込んでくる。ここまで来ると、ジョセフのことを隠している自分が悪いのか、 それとも露伴がしつこすぎるのが悪いのか分からなくなってきた。 しかし敵スタンドの存在も感じないのに突然身体だけが若返ったと言っても、この性格の歪んだ男が信じてくれるはずがないのだ。いつもはやたらとこちらを敵視してくる くせに、今になって絡んでこられても素直に受け入れられない。 更に何かを口に出そうとしていた露伴の動きが急に止まった。仗助のほうも背後に気配を感じたので振り向くと、眠っていたはずのジョセフが目を覚ましていつの間にか すぐそばに立っていた。 「じじい……いつからそこに」 「露伴君、そんなに俺のことが気になるのかな?」 「あんたは明らかに怪しい、普通じゃない何かを感じる。だから来た」 「分かった、好きなだけ調べてもいいよん。雨の中せっかく来てくれたんだしさ」 何言ってんだじじい、と荒げた声を上げる仗助を制するとジョセフは露伴に近付いた。真正面に立ち、警戒のかけらも感じさせない満面の笑みを浮かべる。 「君のスタンドで俺を読みなよ、露伴君。でも痛いのは勘弁ね」 「僕のことをよく知っているようで……ご協力、感謝しますよ。もちろんあなたに危害は加えません」 急に口調を改めた露伴がスタンドを発動させると、ジョセフの頬の一部分が本のページのように捲れた。気を失って倒れた大柄なジョセフの身体を、仗助が慌てて支える。 相手のプライバシーにまで容赦なく踏み込んで探るこの能力、恐ろしいほど好奇心旺盛な露伴には色々な意味で似合っていると今更ながら感じた。 「……えっと、名前は」 ジョセフの頬から捲れているページ部分を読み進めようとした露伴の表情が凍り付いた。 仗助はこの件に強引に踏み込んできたこの男の反応全てを、逃すことなく見てやろうと思った。ジョセフの背中を支えながら、露伴を無言で凝視する。 「名前はジョセフ・ジョースター、イギリス生まれの79歳。娘は空条ホリィ、隠し子として息子の東方仗助……」 そこまで読んだ後で露伴は信じられない、と言いたげな表情を浮かべた。今のジョセフは見た目は若くても、79年分の記憶や経験が中身にしっかりと刻まれている。 原因不明の不思議な現象が起こした、まさに例外中の例外とも言える存在だ。 「もう気は済んだかよ、露伴先生」 「信じられん、まさかこんなことが……」 「朝起きたらこの姿になってて、スタンド使いの仕業でもなさそうだし原因が分からねえから、昼から承太郎さんが調べに出かけてる。連絡はまだ来ねえ」 静かな口調で仗助が語る間に、露伴はジョセフにかけたスタンドを解除し、それ以上は読むのをやめたようだ。ジョセフの頬から捲れていたページはきれいに消えて 元通りの顔になっている。しかしまだ目は覚ましていない。 「こんなふうになって1番混乱してんのはじじい本人のはずなのに、俺の前ではずっと笑ってたんだ……俺と一緒に過ごせてすげえ嬉しかったって」 バスターミナルで仗助と顔を合わせた時、好きな音楽について楽しそうに語っていた時、自販機で買ったジュースを一緒に飲んだ時も。突拍子もない行動に驚かされたりも したが、仗助が心配をする暇も与えないほどジョセフは常に明るく振る舞っていた。この年齢の頃は元からこういう性格だったのかもしれないが。 「くだらねえ好奇心で、じじいをこれ以上おもちゃにするんじゃねえ! もう静かに寝かせてやりてえんだよ!」 分かったら帰れ、と仗助が叫ぶと露伴はジョセフから離れて立ち上がった。しかしその顔には今まで見せていた動揺は消え失せ、再び鋭い視線を向けてきた。 「確かに僕は好奇心を抑えきれずに押しかけて迷惑をかけた。でもジョースターさんのことを調べてもらっている間、お前は何をしていた? 元の姿に戻すために 自分なりに情報を集めておくのは当然じゃないのか? どうせ全部人任せにして、若返ったジョースターさんを知り合いの目から隠すことばかり考えて いたんだろう」 町の中で会った時の露伴に対する不審な態度で、考えていたことは全て見抜かれていたようだった。悔しさで何も言葉を返せない。露伴が出て行った後も、ジョセフの背中 を腕で支えながら俯き続けた。 言われたことは間違ってはいない。ジョセフの状態を説明しても理解されないだろうと決めつけ、少しでも情報が欲しい緊急事態でも誰にも相談しようとしなかった。 16年間、ジョセフは仗助と母親の朋子を放って本妻と暮らしていた。仗助は最近まで顔すら知らなかったが、朋子は思い出す度に涙を 流すほど今でもジョセフを想い続けている。あの気の強い母親をそこまで惹き付けて夢中にさせるほどの何かを、ジョセフは持っているということだ。 日本に来たジョセフを最初は父親としてはどうしても受け入れられず、遠くから朋子の顔を見たらすぐにアメリカに帰れと冷たく言ってしまった。しかし今では打ち解けて、 違和感なく接することができている。無意識のうちにジョセフを父親として認めるようになっていた。 そんなジョセフに自分は息子として、一体何ができていたのか。町の中で大騒ぎしながらこの家に連れてきただけだ。先ほど露伴に言われたことを思い出して胸が痛んだ。 いつの間にか目を覚ましていたジョセフが、俯いている仗助の頬に触れた。大きく、硬い手のひらだった。 「露伴君はああ言ってたけど俺は、仗助が構ってくれただけで充分だ。難しいことは承太郎がやってくれる」 「でも、俺はあんたが元に戻るために何も……」 「ほらほら、そんな沈んだ顔すんなよ。俺譲りのイケメンが台無しじゃねえか」 次にお前は『このくそジジイ』と言う、と笑みを浮かべているジョセフに予言された。実際に何故かその通りのことを口に出してしまい、仗助は苦笑してジョセフの肩に 額を埋めた。 |