いばらの檻/前編 「承太郎さん、あなたは」 沈黙を破ったのは、テーブルを挟んで向かい側に座っている岸辺露伴だった。 この男を部屋に入れたのも、そしてこうした形で話し合うのも今日が初めてで、今回の件がなければ多分深く関わることもなかっただろう。 露伴は今まで手に取って眺めていたものをテーブルに戻した。11年前の旅の最中に5人で撮った、唯一の写真。右端には犬のイギーを抱いた、79歳の今より少しだけ若い ジョセフが写っている。長い間持ち歩いてきた写真なので、端が少し折れていたりと古びてきていた。 あの50日間で得たものも失ったものも非常に大きく、そして永遠に胸に刻み込まれた。 「ジョースターさんのことを、何も分かっていない」 「他人のあんたに、じじいの何が分かる」 「僕はあの人に愛されていますからね、これは自信を持って言える」 あからさまな敵意に濡れた露伴の鋭い目が、口を閉ざす承太郎をまっすぐに射抜いた。 それを見て、自分の望んでいた展開にはならなかったことを悟った。想像していたよりずっと、事態は根深いものになっていたようだ。 自分を取り巻く周囲は、いつの間にか歪められていた。その元凶はすでに分かっている。 ジョセフの部屋の前で、承太郎に呼び止められてこちらを振り向いた露伴。ベッドに押し倒された体勢で、薄い笑みを浮かべる青年の 姿をしたジョセフ。そして、年下の叔父である仗助の戸惑っているような表情。 今までの記憶が、頭の中で巻き戻っていった。 「なんか最近のじじい、すげえ楽しそうなんスよね」 夕方過ぎに町の中で偶然会った仗助が、唐突に話を切り出した。 「……どっちのじじいだ」 「どっちのって、ああ、若いほうっスすね」 ジョセフの話題が出た時は、こんなふうに確認しなければならない。若返っている時と、本来の姿である老人の時。例の原因不明の現象が起こってからは、ジョセフに関する 厄介事が増えた。人の忠告も聞かずにひとりで町を歩き回り、好き放題に振る舞っている。 本当の原因は未だに不明だが、やはり波紋の影響としか思えなかった。波紋使いはその力によって若々しさを保てるという。しかしジョセフは普通の人間と同じように、 老いることを選んで生きてきた。それが今になって急に若い頃の身体に戻り始めた。本人も知らないうちに波紋の呼吸をしているとでもいうのか、だとすればそうしなければ ならない理由は何だ。 仗助は急に立ち止まると、財布の中から何かを取り出して承太郎に見せてきた。それは裏がシール状になっているらしい小さな写真で、若いジョセフと岸辺露伴が 写っていた。しかもジョセフは笑顔で露伴の肩を抱いている。それは不意打ちだったのか、露伴の様子は明らかに動揺していた。 写真には書き慣れていない感じの日本語で、ジョセフと露伴の名前も添えられている。その筆跡を見ただけで、ジョセフが書いたものだとすぐに分かった。 イギリス人であるジョセフは、漢字の読み書きができない。露伴が描いている漫画に興味はあるが、台詞が全て読めないと言っては嘆いていた。 「この前じじいに会った時に、俺に押し付けてきたんスよ」 いらねえって言ってんのによお、と仗助はうんざりした調子でため息をついた。 若いジョセフが、自分の部屋に露伴を連れ込んでいる 場面は何度か見たことがあった。 仗助から聞いた話では相当気難しい性格らしい露伴も、ジョセフのことは気に入っているようで他の人間相手とは違う態度を見せる。 あの親しげな雰囲気を見ている限り、ジョセフと露伴はただならぬ関係に違いない。 「でも……じじいのこんなに楽しそうに笑った顔、俺見たことないんスよ」 仗助はどこか寂しげな、複雑そうな表情で写真を眺めた。 ジョセフは仗助の母親との不倫に続いて、再び過ちを犯している。しかも今度の相手は男だ。可能ならば悪い冗談だと思って流したい。 重苦しい気分が治まらなかった。11年前の旅を経て、承太郎にとってのジョセフは単なる祖父というだけではない、特別な存在になっていたからだ。 ジョセフが泊まっている部屋のドアを開けると、濡れた髪をタオルで大雑把に拭いているジョセフと目が合った。Tシャツとジーンズを身に付けている若い姿だ。 「さっきシャワー浴び終わったところなんだぜ、ちょうど良かった」 「じじい、あんたに話がある」 「どうしたの、そんなマジな顔しちゃってえ」 承太郎は数歩前に出て、ベッドに腰掛けているジョセフを正面の位置から見下ろす。 タオルを髪から離したジョセフと視線が絡んだ。口元は笑みの形を作っているが、その目は常にこちらの隙を突いてくるような気配を感じた。 「若くなった心当たりは、本当にねえのか」 「さあ、どうでしょうねえ」 「ふざけてねえで、真面目に答えろ」 「おじいちゃん、って呼んでくれたら教えてあげるよん」 この状況でも人をからかうジョセフに、怒りがこみあげてくる。 こいつはジョセフの記憶を奪い取った別人だ、という極端な考えが頭をよぎった。若い頃はこのような性格だったのかもしれないが、最年長として旅の仲間をまとめてきた ジョセフとはかけ離れた部分があまりにも大きすぎる。 何度も夢にまで出てきた、昔の出来事を思い出す。DIOとの最後の戦いの最中に血を吸われ、身体から離れたジョセフの魂が承太郎に語りかけてきた光景を。幻覚かと疑ったが、あれは確かにジョセフだった。 楽しい50日間だったと言って笑った後、手の届かない場所へと昇っていった。同じように、本来のジョセフが別の精神に支配されて消えてしまう気がした。 ここ数年の間に昔に比べてすっかり年老いてしまったが、そんなジョセフを足手まといだと思ったことは1度もなかった。今でも尊敬している立派な祖父だ。 尊敬どころか、それ以上の感情を抱いていることは否定できなかった。 「もうひとつ聞くぞ、岸辺露伴とはどういう関係だ」 「露伴君? んー、恋人かな」 「本気で言ってやがるのか」 「だって好きなんだもん、久し振りに熱くなっちまった。ああ、もしかしてお前やきもち焼いてんの? だったら素直にそう言ってくれれば可愛がってやるよ、昔みたいにさあ!」 ジョセフは目を細め、決して仗助や露伴には見せないであろう類の挑発的な笑みを浮かべる。唇の隙間からのぞいた舌がやけに紅く見えた。それを目にして思わず息を飲む。 承太郎は生まれた衝動のままにジョセフの両肩を強く掴むと、ベッドに押し倒した。 |