純情主義/後編 「卒業、ですか」 居酒屋の個室でテーブルの向かいに座っている承太郎の言葉を、露伴は冷静に繰り返す。ファンの前ではマイクを握るごつい手が、今は日本酒の入ったコップを傾けている。 思えば今までは仕事以外でふたりきりになったことはなかった。オフの日に突然かかってきた電話でこの店に呼び出されたのだ。自分達は一応芸能人だが、それほど有名ではないので周囲には騒がれなかった。 「ああ、おれがいつまでも居座っていると後輩が前に出られないからな。来週のコンサートで発表しようと思う」 2000席の会場。開催間近の今でもチケットは完売していない。一番人気のセンターを送り出す花道にしては、あまりにも寂しすぎる。 「今あなたに抜けられるのは、困ります」 「おれが抜ければ、あんたにもチャンスが来るだろう」 露伴は無言で承太郎を睨みつけたが、本人は憎らしいほど平然とコップの中身を全て飲み干す。 デビュー以来常にグループの顔的存在であった承太郎を蹴落とし、彼を後ろに従えてセンターで踊ることが長年抱いてきた露伴の夢だった。誰にも遮られずに自分のパフォーマンスを観客に見てもらう快感を味わいたかった。 しかしその夢が叶わぬまま、承太郎は勝ち逃げしようとしている。本人にそのつもりはないだろうが、露伴にとっては屈辱だ。 こんな形でチャンスの順番がまわってきても、素直に喜べない。 「承太郎さん個人の考えでは、次のセンターに一番近いのは誰ですか」 「人気の面で言えば、仗助だろうな」 仗助は承太郎に次ぐ人気でファンへの対応も良く、歌もダンスも目立った欠点がない。たまに出る歌番組でも、司会からマイクを向けられて喋るのは仗助の役目だ。 しかも露伴とは真逆にスキャンダルが報じられたことは一切なく、確かにアイドルグループの顔としては健全でふさわしい人材だと思う。クリーンなイメージで売りたいのなら尚更だ。 「だが、仗助をセンターに置くのは無難すぎる。あのじじいはそう考えるんじゃないのか」 総合プロデューサーのジョセフは退屈を嫌う人間だ。承太郎の卒業を機に、ファンだけではなくメンバーまで驚かせる何かを仕掛けてくるに違いない。例えば意外すぎる誰かを次のセンターに据える、というような。 センターで歌うことだけに徹してきた承太郎が、数ヶ月前に出た曲では長身を生かした迫力のあるダンスを初めて披露し、ファンを驚愕させた。これもジョセフが仕掛けたサプライズのひとつだった。 「じゃあ次のセンター、ぼくなんかどうでしょう。刺激的だと思いません?」 冗談っぽく言ってみたが本気だった。承太郎は肯定も否定もせず、唇に意味深な笑みを浮かべた。 そして数日後のコンサートでは承太郎本人の口から、客席のファン達にグループからの卒業の件が告げられた。ステージを含めた会場中が動揺に包まれ、承太郎のすぐ近くいた仗助は青ざめた顔で立ちつくしている。 どうやら仗助には、いや、露伴以外のメンバー達にはこの瞬間まで知らせていなかったのだろう。周囲の反応を見ているとそんな感じがした。 ドラマの収録現場で、再び因縁の相手と顔を合わせてしまった。 「お、センター君じゃねえの。久し振り」 休憩に入った後、軽い調子で声をかけてきたのは共演者である噴上裕也だった。雑誌の読者モデルから俳優へと転身し、今では期待の若手として注目されている。 「知らないな、お前なんか」 「まさかマジで忘れちゃったの? 一緒に写真撮られた仲だろ〜?」 この男こそ、週刊誌で報じられた露伴の初スキャンダルの相手だ。前から仕事で顔を合わせる機会がよくあり、偶然会った夜の街で口説かれたところを週刊誌のカメラマンに撮られたのだ。 カメラマンのほうは裕也のネタが欲しくて張っていたらしく、露伴は不本意ながら見事に巻き込まれた。しかしこれを機に名前が売れたので、悪いことばかりではない。 裕也は露伴の隣に勝手に座ると、何の遠慮もせずに距離を詰めてくる。 そういえば自宅の掃除をしている最中、中身のない段ボール箱が落ちてきた時についた首筋の痣が未だに残っている。衣装の見栄えに響くので早く消えてほしい。 「前から思ってたんだけどよ……あんたが色んな奴と遊びまくってるって噂、あれ嘘だろ」 それまでは裕也の言葉を全て無視して台本のページをめくっていたが、そう言われた途端に手が止まる。 「いつ顔合わせても、あんたからは他の奴の匂いが全くしねえ」 「匂いって何だよ、気持ち悪いぞお前」 「おれ、そういうのに結構敏感なんだぜ? 分かるよ。匂いは嘘付かねえから」 あれから若い人妻や、映画で殺人鬼を演じて話題になった男優との交際疑惑を、週刊誌だけではなくインターネットでも何者かに散々ばらまかれた。全て根拠のない噂なので否定したものの、スキャンダルの絶えないアイドルというイメージが定着してしまった。 大勢の人間に自分のパフォーマンスを見てもらうためなら時間も努力も惜しまないが、枕営業の類は絶対にやらないと決めている。そういう主義なのだ。 |