携帯恋愛/後編





トイレから部屋に戻ると、雑誌を広げて読んでいた青年が顔を上げてこちらを見た。
今までしていたことを思い出して、まともに目を合わせられない。妄想の中では、仗助の性器を舐め上げていた青年が最後はたっぷりと精液を浴びていた。それが頬や口元を伝って 落ちていく様子が、たまらなかった。
何故急に、これほど青年を意識してしまったのだろう。きっと露伴が、そのうちキスだけじゃ足りなくなるだのとおかしなことを言ったからだ。 すっかりそれ以上の卑猥な光景を妄想して、大変なことになった。

「ずいぶん長かったな」
「まあ、ちょっと腹の調子が悪くて」
「そうか、便所に行くふりをして抜いてきたのかと思ったぜ」

椅子に座ろうとした仗助は、それを聞いて転げ落ちそうになった。手はしっかりと洗ってきたので、自慰の証拠は残っていないはずだ。
最近はこの青年が部屋に居るせいで、自宅でひとりになれるのは風呂場かトイレしかない。まさか見られながら自慰をするわけにもいかず、携帯電話を相手に苦悩する毎日だ。
仗助は何も答えなかったが、青年は動揺を見抜いたらしい。雑誌を閉じ、ベッドに腰掛けると改めて視線を向けてくる。

「お前、億泰から借りた本で抜いてやがるのか?」
「やめましょうよ、そういう話……」
「人間のことはあまり分からねえが、興味あるぜ。お前のことは」

そんな意味深な発言、心臓に悪い。この気持ちは一体なんだ。しかも聞かれているのは自慰のネタだ。興味ならもっと違う部分に 持ってほしい。かなり言いにくいので非常に困る。
青年とは携帯電話を手に入れてから初めて顔を合わせたはずが、最初から仗助がどうしても逆らえない雰囲気を醸し出していた。学ランを着ているということは、それほど 年齢も離れていないはずなのに。彼は人間ではないので、正確な年齢は不明だが。

「そんなに知りたいんすか、俺のこと」
「言う気になったか?」
「あんたをネタにして抜いてきたって言ったら、どうしますか」

笑いを浮かべていた青年の表情が変わった。嫌悪ではなく、目を見開いて明らかに驚いていた。さすがにこの答えは予想外だったらしい。

「俺の精液を顔にぶっかけられて、すげえエロかったですよ。あんたでもあんな顔するんだ、って」

普段は涼しい顔をして振る舞っている青年が一瞬でも動揺したのが快感で、とどめを刺してやろうと思い更に続けてみた。しかしそれも長くは続かなかった。青年は目を細め、 仗助の顔を覗き込んでくる。

「面白えな、それ。もっと聞かせろよ」

青年の指が、仗助の顎に触れてとらえる。キスされるのかと勘違いするような、きわどい距離からそう言われて恥ずかしくて死にそうだった。結局またこちらが翻弄されてしまう。
一般的には間違いなく引かれてしまいそうなことでも青年は驚いただけで、怒ったり嫌がったりはしていない。彼の感覚というか、考え方はかなり変わっているようだ。

「も、もう勘弁してくださいよ……マジで!」
「何びびってやがる、お前は俺を妄想しながらイッたんだろうが。そういうことだろ」

最後の言葉は耳元でダイレクトに囁かれて、仗助は息を飲んだ。獲物をじわじわと追い詰めて遊ぶ、残酷な獣。今の青年はまさしくそれだと思った。

「俺はもうお前の物だからな、どんな使い方をしても文句は言わねえよ」

普通ならかなり刺激的な口説き文句だが、青年は仗助の持っている携帯電話という立場なので、特におかしな意味は含まれていない。しかし仗助は、自分の下半身にうっかり 血が集まってしまったのを感じて、情けなさで頭を抱えたくなった。

「今なら、妄想と同じことができそうじゃねえか」

仗助の股間に視線を動かした青年が、かすかに笑う。もう限界だった。仗助は青年を思い切り突き飛ばし、自分も数歩後ろに下がった。

「人を馬鹿にして、そんなに面白いかよ!」

にじんできた涙を見られないように俯いていたが、堪え切れなくなり部屋を飛び出した。玄関に向かう途中で背後から母親から何か言われた気がしつつも、聞き返す余裕はなかった。


***


ひたすら走って、気がつくと近所の公園まで来ていた。辺りはすでに薄暗くなっているせいか、いつもここで遊んでいる子供達の姿はない。
ベンチに腰掛けて目を閉じていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。あの青年は今頃どうしているだろうか。何事もなかったように、仗助の部屋でテレビでも観ているかもしれない。
全て、こんなはずじゃなかった。隠しておきたかった部分に強引に踏み込まれて、とうとう自分から白状してしまったのだ。この先、青年とどう接していけばいいのか分からない。 いっそのこと、気持ち悪い奴だと罵られたほうがずっと楽だった。
そんな時、すぐ近くに誰かの気配を感じた。目を開けてみるとそこに立っていたのは、先ほど部屋に残してきた学ラン姿の青年だった。まさか、ここまで追いかけてくるなんて。

「何で、ここに」
「お前の母親から、何度も着信が入ってるぞ」
「……あんたの顔、今は見たくねえ」

震える声でそう言って目を逸らした仗助の隣に、青年は腰を下ろした。そして腕と足を組んだまま黙っている。仗助も口を閉ざしているうちに、頬や手に冷たいものを感じた。
雨が降ってきたらしい。そう思った後、慌てて隣に居る青年のほうを見た。人間の姿をしているとはいえ、携帯電話が雨に濡れてはまずいのではないか。しかし青年はベンチから動かない。

「あ、あのっ……雨、降ってますけど」
「それが何だ」
「あんた、濡れても大丈夫なんすか?」
「俺はこれくらいで壊れるような、脆い造りじゃねえよ」

この機種には防水・防塵性能が備わっているのを思い出したが、やはり機械が濡れていくのを見ているのは落ち着かない。

「後でちゃんと帰るんで、あんただけでも家に」
「嫌だね」
「何でですか!」
「こうなったのは俺のせいなんだろ。お前が帰るまで、ここを動かねえ」

確かに青年は仗助に対して、優しく接してくれたことはなかった。それどころか散々振り回されて、痛い目にも遭ってきた。しかし一緒に過ごしてきて、充電のために唇を重ねて いるうちに、いつの間にか仗助の中では大きな存在になっていた。自慰のネタにしてしまったのは申し訳ないが、青年のことを考えていると我慢できなかった。
青年の帽子や学ランが雨を吸いこみ、暗い色になっていく。仗助が今感じているのは、自分の携帯電話が壊れるかもしれないという不安ではなく、大切な相手を雨に晒してしまって いるという罪悪感だった。

「一緒に……帰りましょう」

降り方がますます強くなる中、仗助はそう呟いてベンチから立ち上がった。


***


帰宅して母親に厳しく叱られた後、仗助は部屋に戻ると青年にタオルを渡した。自分も髪が崩れて酷い状態だったが、今はそれどころではない。
帽子と学ランを脱いでタオルで身体を拭く青年を見ていると、彼が携帯電話だということを忘れそうになる。何もかも限りなく、いや、まさに人間そのものだ。 突然膨れ上がってきた熱い気持ちが、止められない。
青年は身体を拭き終えると、力が抜けたかのようにベッドに座りこむ。よく見ると目が虚ろになっていた。

「充電、切れそうなんすか」
「ああ……」
「遠慮しないで、言ってくださいよ」

仗助は椅子から立ち上がり、青年の正面に立つ。身を屈めて唇を重ね、いつも通り舌を絡め合った。しかし唇を離しても、青年の様子は変わらない。重ねる時間が足りなかったのか。
もう1度顔を近付けたが、青年は首を左右に振って拒んだ。

「いくらやっても無駄だ」
「どうして」

前にこの青年と、露伴が言っていたことを思い出した。そのうち今の充電の方法では足りなくなると。どういう意味かは分からないが、とうとうその時が来たようだ。

「説明、してもらえますか」
「お前が欲しくなった」

呆然とする仗助に、青年は話を続ける。以降の説明をまとめると、彼は持ち主との気持ちが近くなるにつれて、それまでよりもっと強いエネルギーが必要になっていくらしい。 愛し合っていればいずれキスだけでは満たされなくなる、人間の恋人同士と同じように。このまま唇を重ねて充電しても、すぐにエネルギーが底をついてしまう。
一体これからどうすればいいのかと言えば、青年と仗助が更に深く繋がることだった。

「それって、つまり……」
「俺に抱かれるか、それとも俺を抱くか。仗助、お前が選べ」

唐突に選択を迫られて、仗助は言葉を失った。まさかこんな展開になるとは思わなかったので、青年を目の前にして焦ってしまう。しかもこちらに選ばせるなんてずるい。 あまり悩まなくても答えは出ているが、口に出すのが恥ずかしかった。
仗助は青年を抱き締め、その肩に顔を埋める。

「俺、あんたを抱きたい。経験なんてねえけど、頑張るから」

答えを待っていると、青年の腕が仗助の背中にまわってきた。受け入れてくれたのだと思い、涙が出そうになった。


***


拙い動きで腰を進めていくと、青年は仗助の下で息を乱す。女のように喘ぐことはないが、眉根を寄せたりと明らかに表情に変化があるだけで、こちらも落ち着かなくなる。 相手は人間ではないとはいえ、自分より逞しい男だ。それでも性器は反応して、こうして自慰よりも強い快感を味わっていた。
やがて根元まで挿入した後、仗助は青年と唇を重ねた。充電の意味を含んでいない初めてのキスは、まるで恋人同士のような甘い気分にさせてくれる。

「そういえば、ずっと聞きたかったんですけど」
「ん?」
「あんたの名前、あれば教えてほしいんだ」

携帯電話なので、機種以外の名前はないかもしれない。それでもこれからは名前で呼び合いたいと思い、どうしても知りたかった。
青年は表情を緩めると、仗助を抱き寄せる。そして耳元で囁かれた彼の名前を聞いて、驚きのあまり本当かどうか聞き直してしまった。

「しつこい奴だな、そんなに信じられねえのか」
「いや、何て言うか……」

こんなことを言えば呆れられるかもしれないが、青年の名前は仗助と少しだけ似ていたのが嬉しかった。
持ち主と物の関係を越えた絆。その意味が今、ようやく理解できた気がする。




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2011/6/26