誰よりも愛しい香り





「仗助さんって、いい匂いがしますね」

横を歩いている未起隆が、仗助に顔を近づけてきてそう言った。邪心のかけらも感じさせない、真剣な表情で。
放課後、自宅に向かって歩いていると後ろから未起隆が追いついてきて、分かれ道までそのまま一緒に歩いている最中のことだった。 億泰は風邪で欠席、康一は由花子と約束があるらしく、仗助がひとりで下校するのは珍しいことだった。話し相手が居たほうが楽しいし、未起隆のことは前から 気に入っていたので、拒む理由はどこにもない。
未起隆は男同士であることに何のためらいもなく、自然に触れてきたりかなり近くまで寄ってくる。普通なら引いてしまうところだが、何故か未起隆に限ってはそのような 気持ちにはならない。その不思議な性格のせいか普段から突拍子もない言動を見せているので、相手によく接近するのもそのひとつだと思っている。
そして常に礼儀正しく、以前に鉄塔で遭遇した敵にも敬語を使う徹底ぶりだ。 口調が崩れたのはサイレンの音を聞いて正気を失った時と、地球で自分の母親として洗脳しているという女に対してのみ。
あまり感情を露わにしない未起隆の考えていることは、よく分からない。本当にマゼラン星雲とやらの住人で、宇宙船のパイロットなのかすらも。
少なくとも普通の人間ではないことは、その変身能力からして確かだった。仗助のクレイジーダイヤモンドが見えていないので、スタンド使いではない。

「ああ、この匂いか? 香水だよ」
「こうすい?」
「今年の春から付けてんだけど、すげえ気に入ってる」

店で見かけた時、瓶のデザインが好みだというほぼ直感的な理由で手に取って試して以来、すっかり気に入ってしまった。今ではもう、これ以外の香水を付ける気には ならないほどに。くどすぎない爽やかな香りは、同じ学校の女子にもそれなりに好評だ。
登下校中や学校の中でも女子達からよく話しかけられたりはするものの、まだ誰とも個人的な付き合いには至っていない。 別にモテたいとは思っていないが、自分は男として意識されていないのかと感じてしまう。もし誰かと付き合うことになれば、考えるだけで恥ずかしくなるほど 甘い路線を期待している。こう見えても純愛タイプなのだ。

「そういえばこの前バスに乗った時、仗助さんとは違う匂いのする方が居ました。離れてても分かるくらい強い匂いだったので、気分が悪くなってしまいました」
「そいつ付け過ぎなんじゃねえの? 俺は周りに迷惑かけない程度にしてるけどよ」
「仗助さんの匂いは、迷惑なんかじゃないです」

こちらをまっすぐに見つめながら、未起隆が告げた。そんなストレートな言葉に戸惑ってしまう。自分達以外の気配を感じない通り道で、少しだけ沈黙が流れた。 突然訪れた妙な雰囲気に流されて、次に何を言えばいいのか分からなかった。
こんな状況には慣れていない。相手は男だというのに。
決して強引ではない、純粋な好意を感じる。しかしそれは、親しい友人である億泰や康一が見せるものとはどこか違う。上手く説明することのできない、もどかしい何か。

「もし香水に興味あんなら、お前も付けてみるか?」

ようやく頭に浮かんだその言葉で、仗助は沈黙を揺るがした。未起隆は何度か瞬きをして、驚いたような顔をする。予想もしていなかったことを言われたという感じで。

「私が、ですか?」
「他に誰が居るんだ、明日にでも俺が使ってるやつ持ってきてやるよ」
「仗助さんと、同じ匂いを私が……」

そんな未起隆の呟きを深く考えずに聞きながら、持っている香水のことを思い浮かべた。
今は手元にないが、家に帰れば部屋に置いてある。とりあえず自分と同じ香りを試させようと思っていた。 香水に元々あまり詳しいわけでもないので、未起隆にはどのような香水が似合うのか想像できない。店に連れて行って自分で選ばせるという方法もあるが。

「少し考えたんですけど、それはやめておきます」
「ん? 遠慮すんなよ」
「私が好きなのは、その香水を付けている仗助さんの匂いですから」

それを聞いて仗助は固まってしまった。先ほどとは比べ物にならない恥ずかしいことを真顔で言ってしまう未起隆が、実は誰よりもとんでもない奴に思えた。
まるで口説かれているような、意味深にも思える一言は何故か不愉快ではない。しかし冷静でもいられなかった。そんな動揺を悟られないように必死で笑顔を作る。

「ははっ、お前って変な奴だよな……まあでも嫌いじゃないぜ」
「嫌われてなくて、安心しました」

未起隆が穏やかに微笑む。強い風が吹いて長い髪が目の前で大きく揺れるのを、仗助は無言のまま眺めた。わずかに乱された心を隠しながら。




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2009/10/15