気まずい空気、微妙な関係 目を覚ました直後に視界に入ったのは、見慣れない天井だった。 起きたばかりのまだ上手く働かない頭で、仗助は少し前のことを思い出す。確か学校帰りにそのまま承太郎の泊まっているホテルを訪れて、話をしている最中に冷蔵庫に 入っていた缶ビールを飲んで、それからいつの間にか眠ってしまった。しかも窓の外を見るとやけに空が明るく、腕時計は朝の8時を示していた。 やってしまった、と仗助は青ざめた。まさか家にも帰らず朝を迎えることになるとは思わなかったので、当然母親には連絡を入れていない。 いくら今日が日曜だとはいえ、うっかり無断外泊とは笑えない状態だ。 学ランの上着だけを脱がされた格好で、ベッドの中に寝かされていた。承太郎が気をきかせてくれたのだろうか。無口で何を考えているのか分かりにくいところはあるが、 やはり優しい人だと思った。 洗面所の方から水が流れる音がする。承太郎が顔を洗っているのかと思い、仗助はそこに近づいていく。母親には後で謝罪の連絡を入れることにして、とりあえず今は 泊めてくれた礼を言わなくては。 ドアを開けると、大柄な身体を丸めて顔を洗っている男の姿があった。仗助はようやく目覚めてきた脳内を精一杯稼働させながら、第一声を紡ぎ出す。 「すみません承太郎さん、いきなり押しかけちまった上に泊めてもらって……」 「いいよーん別に、お構いなく!」 「……えっ?」 聞こえてきた明るすぎる声に違和感があった。すでに目が覚めていると思っていたが、実はまだ寝ぼけているのだろうか。承太郎だと思って話しかけた男から、違う人間の声が聞こえて くるなんて。しかも全く知らない声ではなかった。 タオルで顔を拭き終え、こちらを振り向いたその人物は仗助もよく知っている、自分の父親である若いジョセフだった。 「おいじじい、なんであんたがここに居るんだよ!」 「だってここ俺の部屋だし!」 「何だと!?」 その場で問い詰めた結果、ベッドを占領して眠った仗助の寝言などで仕事に集中できなくなった承太郎が、隣の部屋に泊まっているジョセフの元に仗助を運んで預けたという 事実を聞かされた。いつこの部屋に運ばれたのかは分からないが、仗助は朝まで何も知らずにジョセフの部屋で眠っていたということだ。 そして仗助の母親のほうには、承太郎から電話で連絡を入れてくれたらしい。これで怒られずに済むので安心した。 尊敬する承太郎に醜態を晒した上に、風呂にも入らずに眠ったせいで、かなり崩れてしまっているリーゼントに気付いてますます気分が沈む。 仗助にとっての髪型は、1日のテンションを大きく左右するほど重要なものなのに。 ベッドに腰掛けている仗助は、向かい側に置いていある椅子の背もたれに寄りかかって立っているジョセフを見上げた。 「なあ……俺、承太郎さんに嫌われたかもしれねえ」 「はあ? なんでそうなるわけ」 「だってよお、いきなり部屋に押しかけた挙句に仕事の邪魔までしちまって、もう完全に呆れられてるぜ俺」 「だーいじょうぶだって! あいつ、全然怒ってる様子なかったし」 「そんなの分かんねえだろ」 「分かるよ、だってあいつは俺の孫だもん!」 説得力があるのかないのか微妙な答えに、仗助はため息をついた。普段から軽いノリの若いジョセフの言葉には、あまり重みを感じられない。 初めて顔を合わせたばかりの 頃のような気まずい雰囲気は薄れて消えていったものの、父親として完全に尊敬しているとは言い難い。仗助の母親を長い間放っておいたという事実は、今でも心の奥底に 引っかかっている。仗助には分からない大人の事情があったのかもしれないが、まだ16年しか生きていない自分には見当もつかなかった。 16年間ずっと放置されても恨みひとつ抱かずに今でも愛し続けている母親は、ジョセフにどれほど深く愛されていたのだろうか。 ジョセフは椅子から離れると、仗助の隣に腰を下ろす。その気配を感じた直後に肩を抱かれた。驚いて身体を固くする仗助に、ジョセフは目を細めて笑みを浮かべた。 「承太郎に嫌われるの、そんなに怖い?」 「まあ、そりゃあ……あの人と一緒に居る時間って、すげえ好きだし」 「もしあいつに嫌われても、俺はずっとお前が好きだぜ」 まるで女を口説いているようなその言葉に、仗助は動揺してしまった。まさか父親にそんな意味深なことを言われるとは。 間近で顔を見ると、若いジョセフは恐ろしいほど仗助に似ていた。 「きっ、気色悪いこと言ってんじゃねえよ」 「本気だぜ、俺」 「この変態じじい、いい加減にしやがれ!」 調子に乗ってますます密着してくるジョセフから逃れようとしているとベッドに倒れてしまい、その勢いでジョセフが仗助に覆い被さる体勢になった。 こんなところを承太郎に見られたら気まずすぎる、と思っていると部屋のドアが急に開いた。そこから現れた承太郎と目が合う。やけに冷静な視線が余計に痛い。 「仗助の様子を見に来たんだが……」 「じ、承太郎さん、これは違うんです! じじいとは別に何でも」 「邪魔したな、やれやれだぜ」 「え、ちょっ……!?」 承太郎が出て行って再び閉まったドアを、仗助は絶望的な気持ちで眺めた。父親が息子を押し倒しているような様子を見れば、明らかに異常だと思うだろう。承太郎は 母親が外国人なので、親子でキスをしたり抱き合ったりするのも普通という感覚なのかもしれない。日本人の母親に育てられた自分には理解できないが。 とにかく今ので分かったのは、承太郎は仗助よりもジョセフに肩入れしているという事実だった。少し落ち込んだが、一緒に過ごした年月の差を考えれば当然とも言える。 再びジョセフと目が合った途端、現実に引き戻された。 「って、いつまでやってんだ! 離れろ!」 「これからがいいところなのに?」 仗助に覆い被さったままのジョセフが、本気か冗談か分からない恐ろしいことを笑顔で言う。一体何がいいところなのかを想像しようとしたが、ひたすら嫌な予感しかしなかったので 仗助は考えるのをやめた。 |