妄想密漁海岸 ズボンの裾を膝あたりまで捲り上げて波打ち際に両足を浸す。海に入るなんて何年ぶりだというレベルでご無沙汰な話だが、決して娯楽のためではない。このあたりに超レアな生物が潜んでいるという情報をキャッチして、もうすぐ夏が終わる時期の海までやってきたのだ。 きっかけはトニオとの雑談で、真夏に海水浴に行った何人もの住民達がこの海で見かけたらしい。虹色に輝くヒトデを。捕獲して然るべきところに持って行けば何かの利益を得られる可能性もあるのに、そうする者は誰もいなかったという。よほど気味が悪かったのか、それともヒトデのくせに逃げ足が早いのか。 もしまだ誰も捕まえていないのなら、1度見てみたいと思った。金や名誉のためではなく、あくまで好奇心を刺激されたからだ。マンガのネタになるかもしれない。 そう考えながらかれこれ1時間はこうして探しているが、そう簡単に見つかるものではなかった。だからレアな生物なのだと自分に言い聞かせていても、そろそろ疲れてきた。しかも肌寒くなってきたので一旦砂浜に戻ることにした。その時、ぐにゃりというおかしな感覚が裸足に伝わり露伴は動きを止めた。頭からつま先を駆け巡るある予感に胸をざわめかせながら身を屈め、踏みつけたそれを海の中からそれを拾い上げる。 星型のその生物は手のひらほどの大きさで、目にした露伴は息を飲んだ。夕焼け空の下、確かにそれは虹色に輝いていたのだ。ヒトデと言い切っていいものか迷うほど、あまりにも現実離れした存在。うっかり踏んでしまったが、かなりしぶといらしく潰れてはいない。 早速持ち帰ろうとすると、突然背後から肩を掴まれて動揺した。振り返ると、覚えのある大柄な男がそこに立っていた。相変わらず黙っているだけでものすごい威圧感だ。 「じ、承太郎さん!? いつから」 「そいつはおれのもんだ」 露伴の言葉を遮るように承太郎の口から出てきたのは、図々しいを通り越して腹立たしいものだった。人が長い時間をかけて探していたものを、どこからか突然現れて横取りしようとしている。 おれのもんだと言われても、どこにも承太郎の名前は書いておらず何の説得力もない。 大きな手が露伴の持っているヒトデを強引に奪おうとしてくるので、負けずにこちらもヒトデの5本の腕(というのか)のうちの1本を掴んで阻止する。承太郎と露伴にそれぞれ腕を引っ張られてもヒトデはちぎれるどころか、形を歪めながらゴムのように伸びた。 「先生、大岡裁きの話を知っているか」 「はあ? 聞いたことはありますが、今はそんなの関係な……」 「ふたりの女がひとりの子供の腕を引っ張り、勝ったほうが親権を得るという」 「だーかーら、何なんですか!」 承太郎が語り出した話は、遠い昔に名奉行と言われた大岡越前のエピソードだった。腕を左右に引っ張られ、痛がり泣いた子供を見て一方が手を離した。その時点で勝負はついたように思えたが、実際に親として認められたのは最後まで子供の腕を引っ張り続けた女ではなく、途中で手を離したほうの女だった。本当の親とは子供を思いやるものである、というたったひとつのシンプルな理由だ。 「こいつ、泣いているように見えねえか」 なおも引っ張られ続けるヒトデに顔はなく言葉も発さない。承太郎の一言はイカレているように思えたが、ここで露伴は気付いた。先ほどの大岡裁きの話と今の状況は考え方によっては似ているかもしれないと。もしここでヒトデを思いやって手を離せば、承太郎の理屈では露伴のものになるという意味に違いない。暗に試されているのだろうか。 そもそも何の意味もなければ、わざわざ場違いな名奉行ネタが出てくるわけがない。手を離さなければ負けだ。承太郎の横暴を前に、泣き寝入りだけはしたくない。 露伴は覚悟を決めてヒトデを掴んでいた手を離した。この瞬間に勝利を確信したのも束の間、承太郎はにやりと笑いながら、手に入れたヒトデをコートのポケットにしまい込んだ。 「じゃあ、いただくぜ」 「え、ちょ……はあ!?」 「おれに譲ってくれたんだろう?」 「あの、さっきの大岡裁きの話は」 「特に何の意味もないぜ」 怒りと混乱で震えて立ちつくす露伴を置いて、承太郎は走り去って行った。 露伴は当然後を追ったが、砂浜で派手に転倒して顔を上げた頃にはすでに承太郎の姿はどこにもなかった。 大人は汚い。えげつない上に平気でウソをつく。自身も大人の年齢である事実を棚に上げ、露伴は口に入った砂を吐き出す気力もなく無言で噛み締めた。 |