無防備な身体 まずいことをしているという自覚はあった。 こちらも望んだとはいえ、ジョセフに再び過ちを繰り返させる原因を作ってしまった。日本に来る前にも仗助の母親との不倫が発覚して、家族とは気まずくなっているらしい。 露伴との関係が知られたら、ジョセフは今度こそ離婚の危機に立たされるかもしれない。 しかも若返った時の記憶は一切抜け落ちているので、本来ならば身に覚えのないことで。 罪悪感が胸に浮かぶこともあったが、ジョセフのほうは後ろめたさなど一切感じさせない態度で接してくるせいか、何もかもが麻痺してしまいそうだった。 最初は、ジョセフがアメリカに戻るまでの間だけ楽しむのもいいと思っていた。そのはずが、まさかここまでのめりこむとは予想外だ。 「もしかして……岸辺露伴君かの?」 資料集めのために訪れた本屋で用事を済ませて外に出た時、どこからか声をかけられて立ち止まった。懐かしく感じるその声の主は、赤ん坊を抱いた老人だった。 老人は露伴のそばにゆったりとした動作で歩み寄ると、穏やかな微笑みを向けてくる。 「ジョースターさんじゃないですか、こんにちは」 「何だか君に会うのは、久し振りのような気がするんじゃが……わしだけかのう」 そう言ってジョセフは、考え込むような表情で空を見上げた。確かに本来の姿である老人のジョセフには、しばらく会っていなかった。向こうから来る時はいつも若い姿で、 それが毎回のように続いた。若い自分に支配されているとは知らなくても、違和感を薄々と感じているのかもしれない。 若いジョセフとは昨日会ったばかりで、こちらからホテルの部屋を訪れた。原稿も仕上げたので夜までふたりでゆっくりしようと思っていたが、部屋の中でじっとしていら れないらしいジョセフに、町を案内してほしいと言われて外を歩き回った。 彼の正体を知る者は限られているというのに、偶然会った康一や億泰に声をかけようとしていた のを阻止しなければならなかったりと、何かと気苦労は多い。仗助も若いジョセフを連れて歩いた時は、同じような目に遭っていたようだった。 日本に滞在している時間が長くなるほど、その正体を隠すのが難しくなってくる。いっそのこと皆に打ち明けてもいいのではと思っていたが、吉良の件も解決していない 今の状況で、これ以上面倒事を広げるのはどうなのかと仗助が言っていた。とりあえずジョセフの命に関わる問題ではなさそうなので、今は様子を見るしかない、と。 雑談をしながら歩いていると、ジョセフが何かにつまずいたのか赤ん坊を抱えたまま転びそうになった。それに気付いた露伴は、素早くジョセフの身体を横から支える。 「気をつけて歩いてくださいよ」 「露伴君は優しい子じゃのう、ありがとう」 腕の中の赤ん坊をあやしながら、ジョセフは再び歩き始める。こうして見ると、若い時とは性格も全く違う。その穏やかな雰囲気からして、不倫をするような人間には 思えなかった。過去のこととはいえ、年月はここまで人を変えていくのだろうか。 今の老人のジョセフも当然尊敬しているし、好ましく思っている。しかし若いジョセフのように軽いノリで迫ってくることはないので、おかしな展開にはならないはずだ。 「もし、わしがもっと若かったら君に恩返しができるんじゃが……」 「そんなのいりませんよ、ジョースターさんはそのままでいいじゃないですか」 ジョセフに気を遣わせるのは心苦しいので、そう言った。本当は若いジョセフとベッドの上でいかがわしい行為をしているくせに、何事もないような顔をしながら。 これから行くところがあるというジョセフと別れて、露伴は家路を急ぐ。別に用事があるわけではないが、人混みから離れてひとりで休みたい。 信号を渡り、バス停に向かう途中で後ろから突然肩を掴まれた。驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか若返っているジョセフが居た。 「……行くところがあるんじゃなかったんですか?」 「そのはずだったけど、露伴君が変なこと言うからさあ」 「何か言いましたっけ」 「今の俺のことなんか、どうでも良くなっちゃったの?」 悲壮感漂う口調とは逆に、その手は腰を抱いてしっかりと身体を密着させている。本気で悲しんでいるとは思えない態度に、露伴はため息をついた。老人のジョセフに、 そのままでいいと言ったことを気にしているのだろうか。 「ジョースターさんって、面倒臭い奴だって言われたことないですか?」 「いい加減な奴だって言われたことなら……それより俺、やってみたいことがあるんだけど」 嫌な予感がしつつもジョセフが指差した方向を見て、露伴は顔を引きつらせた。 まさか自分がこんなものを撮ることになるとは、と思いながら露伴はベッドに腰掛けた。 手の中の小さな写真はジョセフと露伴が写った、裏の紙をはがせばシールになっているものだ。存在自体は知っていたものの、自分には絶対に縁はないと思っていた。 最初は渋っていたが、日本に来た記念だとしつこくジョセフに懇願されて結局付き合う羽目になった。こちらから出した、今回1度きりという条件付きで。 すっかり通い慣れてしまった、ジョセフが泊まっているホテルの部屋。前は脱いだ服などで散らかっていたが、最近はきれいに片付けられている。あまりにもだらしないと、 承太郎に怒られるからと言って笑っていた。血縁ではない露伴から見ても、もはや祖父と孫という関係が狂ってきている気がした。若いジョセフと承太郎が並んでいると、兄弟のように見える。 「付き合ってもらっちゃってごめんねー、露伴君」 背後で寝転がっているジョセフが、明らかに謝罪とはかけ離れているような軽い口調で声をかけてくる。この調子だと、本心から申し訳ないとは思っていない気がした。 撮る直前までは普通に並んでいたはずが、シャッターが切られる直前に突然肩を抱かれたため密着した状態で撮影されてしまった。更にジョセフは専用のペンを使って ふたりの名前を拙い日本語で書き込み、更に名前の間にハートマークまで入れた。これは絶対に誰にも見せられない。 出てきた写真シールは4枚綴りになっていたので、備え付けのハサミで2枚ずつ切り取って分けた。流された自分を許せなかったが、これも貴重な経験だと思うことにする。 「話は変わりますけど、あなたが若返った原因って本当に心当たりはないんですか?」 「敵の攻撃だったら、とっくに襲われてるはずだしね。俺にもよく分かんねえんだ」 「日本に来てからですよね、そうなったのは」 「そうそう……色々考えたんだけどさ、やっぱり仗助の影響があるのかなって」 ジョセフはベッドから身を起こすと、唐突に息子の名前を口に出した。 「仗助が生まれてたことも知らないで、ずっとアメリカに居てさ。この前顔を合わせた時も、じじいの身体で足手まといになって、イライラさせちまったし」 「でも和解できたって言ってましたよね? 透明の赤ちゃんの件で」 「命懸けだったけどね……あそこまでやらないと、仗助に認めてもらうのは難しいだろ。もし俺が若くてしっかりしてたら、あいつはもっと心を開いてくれるんじゃ ねえかって、ずっと思ってたんだ。その願いが叶ったのかな」 「ジョースターさん……」 「なーんて! こんな夢みたいなこと、君に言ったら笑われそうだけどね」 他の人間ならともかく、仗助と気まずかった頃の老人のジョセフが感じていたもどかしさや寂しさを思うと、笑えるわけがなかった。 承太郎や仗助は今のジョセフを元に戻すことに懸命であったり、未だに戸惑いを隠せなかったりしているというのに、ジョセフ本人は深刻にならずに前向きに考えている。 このまま戻れなかったらどうしよう、などという様子は一切見せない。周りに心配をかけないための演技だとは思えなかった。 これはジョセフがずっと望んでいたことなのだ。歳の離れすぎた息子と同じ速さで歩いていける、若い身体。楽天的な性格もきっと昔のものだろう。 確かに不思議どころか異常すぎる状態だが、ジョセフ本人が望んでいるなら無理に元に戻さなくても構わないのではと露伴は思った。こんな考えは間違っているのか。 綺麗事を並べてみても結局は、若いジョセフに対して感じている敬愛以外の、淫らな感情を捨てられないだけなのかもしれない。あまりにも自分勝手だ。 「あんまり深く考えねえで、せっかくもらったチャンスだと思って楽しむことにするさ」 こっちのほうも、と言うジョセフに背後から抱き締められた。いつの間にかジョセフに対して無防備になっていることに気付き、そのうち自分が自分ではなくなりそうで恐ろしくなる。 首筋にジョセフの唇が触れたのを感じる。力強い腕と逞しい身体、奥深くまで繋がった時のことを思い出して、露伴は密かに身悶えしてしまった。 |