思い出の見せる夢は/後編 目の前にあるドアを開けると、例の男が部屋の中でベッドに腰掛けていた。 まるで承太郎が来るのを知っていたかのように。 「また会えたな、承太郎」 微笑みながら軽く片手を上げる男の元に歩み寄り、承太郎は隣に腰を下ろした。 「まさか、こんなに早く出てくるとはな」 「お前が、わしに会いたいと思ってくれたからじゃよ」 「……知らねえな」 本当は、会いたいと思っていた。ジョセフに拒絶されて部屋を出た後に折れてしまった心を抱えながら、この男を求めた。 しかし、それをここで自分から認めたくはなかった。だから嘘をついた。 そして、この場所には覚えがある。エジプトに向かう最中、ジョセフと共に夜を過ごした宿の部屋だ。何となく記憶に残っている。 思い出が見せているこの夢では唯一、歳を重ねている承太郎だけが異質の存在だった。 学ランを着て、煙草を吸っていた17歳の自分は、この部屋でジョセフに抱かれた。 何度もくちづけをして、愛していると囁かれた。夜が来るたびに積み重なっていく想いと痛みと快感は、罪悪感すらも消し去った。 あのまま、どうなってもいいと思っていた。血の繋がりがあって、長い年月をかけてジョセフのことを知ったからこそ、ここまで好きになった。 他人だったら、とは考えたくなかった。 「承太郎、わしは今でもお前への気持ちは、何ひとつ変わっていないぞ」 男の言葉に、承太郎は我に返った。そんな笑顔も優しい口調でも、今の承太郎にとってはあまりにも残酷すぎた。 『まだ引きずっているのか』 「お前を抱いたことも、深く愛したことも、わしは……ずっと忘れない。後悔はしていない」 『もう、あの頃には戻れないんじゃよ』 「愛してる、承太郎」 『いつまでも、思い出にすがるのはやめなさい』 「……っ、やめろ!」 堪え切れなくなった承太郎が叫ぶと、男は驚いた表情でこちらを見た。 「そんなことはもう、聞きたくねえ……忘れなきゃいけねえのに。これからずっと、全部なかったように振る舞って、俺は」 きれいになんか、忘れられない。そう思っているのはもう、自分だけだ。 ジョセフはあんなに平然と、承太郎を拒んだ。まるで、ひとりだけ取り残された気がした。 身体を震わせる承太郎の手に、男の手のひらが触れる。手袋越しに、大きな手の感覚が伝わってくる。 「つらい思いを、させたか」 「……」 「ずっと、あの時からお前を見るたびに。お前を愛したくて、自分だけのものにしたくて、そんな気持ちでいっぱいになった」 語り続ける男の横顔を、承太郎は黙って見ていた。 「でも、大人になっていくお前を見ているうちにわしは、幸せになってほしいと思うようになった。周りの目を盗んで陰で求め合うのではなく、 皆から祝福されて明るい場所で笑えるような、そんな普通のありふれた幸せを、お前に与えてやりたかった」 男の話を聞いているうちに承太郎は、ある予感がした。この男はもしかして、ジョセフの隠れた本心そのものかもしれないと、そう思えてならない。 「もうあの頃には戻れないのなら、後は前に進むしかない。承太郎、今度はお前が大切な人を幸せにしてあげなさい」 これは夢で、現実ではないが。完全に折れていた心は、この男の言葉で救われた。 承太郎は、男の肩にそっと寄りかかる。 「少しだけ、こうしていてもいいか」 「ああ、好きなだけ甘えていきなさい。お前はいつまでも、何年経っても、わしの可愛い孫だからな」 男の声が、遠くなっていった。 目が覚めてしばらくすると、誰かが部屋のドアを何度も叩く音がした。顔を見なくても、この音のリズムだけでこれが誰なのかすぐに分かる。 ドアを開けると、そこには予想通りの人物が居た。 「突然で悪いな。まあ、何て言うか……お前が落ち込んでいるんじゃないかと思ってな」 ジョセフはそう言いながら、気まずそうな顔をする。 お前はいつまで経っても 「……どうして俺が、落ち込んでいると思うんだ?」 「さすがに言いすぎたんじゃないかとな……あれからずっと、お前のことが気になっていた」 わしの可愛い孫だからな 「俺はもうガキじゃねえんだ、余計な心配をするな」 「可愛くないのう……」 ジョセフは拗ねたように唇を尖らせた。 あの頃に戻れないのなら、前に進むしかない。 これからは今まで与えられた幸せを糧にして、生きていく。 |