Spirit/後編





喉に流し込んだ温かい紅茶は、何となく柑橘系の味を感じた。
どのあたりが康一のイメージにぴったりなのか分からない。自己満足だけでここまで突っ走れるのはある意味凄いことだ。
この変態野郎、と胸の内で呟きながら仗助は正面の人物を見据えた。
向かい側のソファに座っている露伴はその紅茶について色々と説明を始めたが、一切興味がなかったので全て聞き流す。
人通りの少ない道でスタンドをかけられ失神し、気が付くと露伴の家に居た。まるで拉致されたかのような気分になった。 他人の迷惑を考えない奴だと思う。康一のことは一方的に親友だと言い張ってるが、向こうからはどう思われていることか。
目の前のテーブルには甘い香りのクッキーが盛りつけられた皿、そして高価そうなティーセットが置かれている。 康一は毎回こういう感じで歓迎されているのだろう。そして今回も露伴は、中に宿っているのが仗助の魂だとは知らずに得意気に話を続けていた。

「どうだい康一君、紅茶の味は」
「え、はあ、美味しいです」
「それは良かった、僕と波長の合う君ならきっと気に入ってくれると思ってたよ」

こちらの返答に満足したのか、露伴は上機嫌で紅茶のカップを持ちあげる。仗助の顔を見る度に強烈に罵るその口は、気味が悪いほど穏やかな調子で甘い言葉を紡いだ。
今日が本当に康一の塾の日かどうかは知らないが、これを飲んだらさっさとこの家を出て、今度こそ合流しなくては。

「それを飲み終わったら、出来たばかりの原稿を君だけに見せてあげるよ」

それはピンクダークの何とかという漫画のことだろうか。康一が毎週楽しみにしているらしいが、仗助は1度も読んだことがなく興味もないので読まされても困る。 感想など聞かれてしまったら、どう答えればいいのだろう。こちらは早く帰りたいのに、今日に限って余計なファンサービスは勘弁してほしい。

「で、でも僕、雑誌のほうで読むのを楽しみにしているので遠慮します」
「ふふ……君は真面目というか奥ゆかしいんだね。そういうところも好きだよ」
「そ、そうですかね、自分ではよく分からないんスけどね」

気持ち悪さ最高潮のあまり動揺し、無意識にいつもの口調が出た。しまった、と冷や冷やしていると露伴は何故か、向かい側からこちらのソファに移動してきた。 すぐ隣に腰掛けてきた露伴から何気なく離れて距離を取る。あまり露骨に避けると怪しまれるので、わずかに腰を上げて座り直す振りをしながら。
空になりかけているカップを受け皿の上に置くと、露伴はティーポットから新たに紅茶を注いだ。もう飲むつもりはなかったので、余計なお世話だった。

「君にはそういう下品な口調は似合わないよ、すぐにやめたまえ」
「えっ」
「その喋り方を聞くと、東方仗助を思い出すよ。本当にむかつく奴だ……僕の漫画の素晴らしさを理解できないダサい男さ」

明らかに不愉快そうな表情で語る露伴は、まさにその仗助がすぐそばに居ることには気付いていなかった。外見は完全に康一なので、決定的なことが起きない限りは正体を 見破られることはない。喋り方を間違えたのはまずいと思ったが、今のところ何とかごまかせている。
露伴がこちらを罵倒する言葉には慣れているものの、やはり気分の良いものではないので話題を変えたかったが、 普段は露伴と康一がどういう会話をしているのか分からず悩んだ。
こちらのそんな考えも知らず、露伴は仗助の話題を変えようとはしなかった。1度その名前を口にすれば溢れ出る水のように言いたい放題だった。

「あいつの顔を見る度に苛々してくるんだよ、顔っていうか髪型だな! 今時あんなダッサイ髪型にしてる奴なんか居ないからね! あの古臭いセンスは永遠に理解でき ないよ! 君も実はそう思ってるんじゃないかい康一君」

仗助の中で何かが弾けた。激しい怒りと共に、普段は表に出ることのない凶暴性が殻を破る。この家を出るまで康一を演じきろうとした決意は、あっけなく吹き飛んだ。

「てめえ、今俺の髪型のこと何つった! また漫画の連載休みてえのかよこの変態イカレ野郎が!」

ソファから立ち上がると、仗助は露伴の胸元を掴んで怒声を上げた。呆然とする露伴を見ても自分を止められない。

「こ、康一君……そのスタンドは!」

露伴の言葉で我に返る。怒りのあまり衝動的にスタンドを出していたらしい。しかも本来の康一が操るエコーズではなく、仗助のクレイジーダイヤモンドだ。
姿は康一でも中身は仗助なので、それはごまかせない事実だった。凍りつく仗助と、何かを悟ったような厳しい表情の露伴の視線が重なる。 すっかり怒りは冷め、露伴から手を離すと仗助は背を向けて逃げようとする。しかしそう簡単に、執念深い露伴から逃れられるはずがなかった。

「逃がすか、くそったれが!」

その叫びと共にスタンドを発動させた露伴によって、仗助の意識が再び飛んだ。


***


「あっ、気がついたみたい」

目を開けると、仗助の姿をした康一がこちらを覗き込んでいるのが見えた。 ここはまだ露伴の家で、先ほどと違うのは家主の露伴の他に康一と億泰も居ることだ。仗助が気を失っている間にこの家を訪ねてきたらしい。 絨毯の上から身体を起こすと、近くに立っていた露伴が嫌な目つきで仗助を見ていた。

「康一君から話は聞いたが……僕はこいつにお茶や菓子まで出していたのか。不愉快だ」
「うるせえよ! あんたが俺を勝手に連れ込んだんだろうが!」
「仗助君も露伴先生も、喧嘩しないでよ! 今はそれどころじゃないんだからね」

康一が間に入り、一時休戦となった。確かに罵り合いをしている場合ではなく、とにかく仗助と康一の魂が元の身体に戻る方法を見つけなくてはならない。

「階段から落ちて入れ替わったのなら、また同じことをすれば元に戻るんじゃないのか」

昔から漫画でよくあるパターンだと、露伴が平然とした口調で語る。漫画のことはよく分からないが、そういうものなのだろうか。
必要なことだとしても、わざと階段から落ちるのはかなりの勇気が必要だ。元に戻るどころか大けがをする可能性もある。康一のほうを治してやることはできるが、 仗助自身に何かがあればそうすることもできなくなってしまう。
露伴が提案した方法は、相当危険な賭けでもあった。

「……やってみようよ、仗助君」
「仕方ねえ、賭けてみるか」
「おいおい、本当に大丈夫なのかよ?」

いつまでも悩んでいても前に進めないので決意を固めた仗助と康一に、億泰が心配そうに声をかけてきた。それでも少しでも可能性があるなら、やるしかないと思う。 永遠にこのままでいることはできない。そのうちごまかせなくなり、周囲の人間にも怪しまれてしまうだろう。
露伴の案内で3人は客間を出て、上の階へと続く階段に向かった。学校のものとは違うが、あまり問題はない気がする。康一と共に階段から落ちて衝撃を受ければ同じだ。
露伴と億泰を残し、仗助と康一は階段を上っていく。やがて1番上の段にたどり着いて下を見ると、思ったよりも高い。これを落ちていくのかと思うと、先ほどの決意が 揺らいでしまいそうになる。そんな弱い感情に気付いて、仗助は必死でそれを打ち消した。これは自分ひとりだけの問題ではないからだ。

「もしお前に何かあったら、俺が治してやるからよ……」
「僕のことは気にしないで。たぶん大丈夫、そんな気がするから」

静かに微笑む康一の言葉が、力強いものに感じた。視線を重ねて頷き合うと、互いの腕や肩を掴んで一緒に階段から落下する。身体が傾いた直後、数時間前に感じたものと 同じ衝撃が身体を何度も襲った。これで元に戻れれば全て解決すると思い、仗助は激しい痛みに耐えながら目を固く閉じる。誰かの叫び声が聞こえたような気がした。
やがて身体への衝撃がなくなり、下まで落ちたのだと気付いた。全身の痛みに顔をしかめながら目を開けると、康一がそばに倒れていた。それは仗助の姿ではなく、 本来の康一のものだった。つまり入れ替わっていたお互いの魂は元に戻ったのだ。

「おい康一、大丈夫か」

小柄な身体を揺すりながら声をかけると、康一は目を覚ました。そしてこちらを見た途端、その表情は驚きに変わった。仗助の姿を凝視しながら震えている。 自分の顔は見ていないが、酷い怪我でもしているのだろうか。鏡を持っているので後で確認することにした。
そのすぐそばに居る億泰も、康一と同じような反応をして仗助を見ている。

「おいお前ら、俺の顔そんなにひでえ怪我でもしてんのか。じろじろ見やがって」
「け、怪我とかそういうんじゃなくて……」

引きつった顔の康一が、仗助の背後を指差す。それに従い振り返ると恐ろしいものを目撃してしまった。そこには改造学ランとリーゼントの仗助が倒れていた。
康一は元に戻った。しかし仗助はまた誰かと入れ替わってしまったということだ。先ほど聞こえた悲鳴は、転がり落ちた勢いで衝突した誰かを巻き込んだのだ。 ここに居るのは4人で、目覚めてからまだ姿を見ていない人物を思い出して血の気が 引いてくのを感じた。そういえばやけに肌が空気に触れているような気がする。今の自分の服装を確かめると、引き締まった腹や腕が露わになっている大胆なものだった。
仗助の姿をした人物が目を覚まし、その視線が仗助をとらえる。康一と入れ替わった時よりも更に恐ろしい混乱は、まさにこれからだ。




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2009/10/9