震える館/9 露伴からの知らせで、仗助は学校を早退してきた。 再び目覚めるかどうかも不明という状態のジョセフは、財団が管理している施設に移されることになった。担架に乗せられた父親を玄関で見送る仗助の横顔は青ざめ、震えていた。 仗助とふたりきりになった館は、今までよりずっと広く感じる。ジョセフとは彼が倒れる前に全て話がついているが、残された仗助にも説明しなくてはならない。 明日からはこの館の使用人ではなくなることを。この状況では言い出しにくいが。 そう考えていると、仗助が部屋を訪ねてきた。ひとりになりたくないと呟く仗助を拒めるはずがなく、中に入れてベッドに座らせる。 隣に露伴が腰掛けると、しばらく黙っていた仗助は足元に視線を落としたまま口を開いた。 「あの時の返事を、聞かせてくれ」 「こんな時にか?」 頷く仗助を見ていると上手く言葉が出てこなかった。しかし、そろそろはっきりさせなくてはいけない。 「悪いが今は、誰とも恋愛をする気はない」 「……そうか。でも、安心した」 「え?」 「ここまであんたが頑張ってきたのは、また漫画を描くためだもんな。それに、他に好きな奴がいるわけじゃねえんだろ? 承太郎さんとか……俺から見てもいい男だからよ。 あの人が露伴に本気になったら、敵わねえかも」 「お前な、そんなに承太郎さんと僕をくっつけたいのか?」 「えっ? いや、例え話だって! 向こうは結婚してるじゃねえか!」 慌てて否定する仗助に、露伴は呆れてため息をついた。有り得ない話だが、もし承太郎に告白されたとしても答えは同じだ。自分にとって、漫画より大切なものはないのだから。 翌日、編集部に行って話し合った結果、再び同じ雑誌で連載を続けられることになった。 そしてジョセフから受け取っていた給金で小さなアパートを借り、そこで次の号から再開する漫画の原稿に取りかかった。あの館に仗助をひとりにするのは気が 引けたが、俺は大丈夫だからという仗助の強い言葉に背中を押された。 1ヶ月ほど使用人として働き、執事の衣装まで着られたのは良い経験だった。 今度、話の展開次第では本当に執事のキャラクターを出してみようかと密かに思っている。 あの館での日々は、一生忘れない。 2週間後、仗助からの電話でジョセフの意識が戻ったことを知った。 今までは仕事の関係で日本に来られなかった承太郎も含めて、久し振りに4人で会うことになった。 仗助が待ち合わせ場所に指定したカフェは、休日のせいかたくさんの客で賑わっている。 別に張り切っていたわけではないが、少し早く着いてしまった。露伴は店員にコーヒーを注文すると、周囲の景色や人の動きなどを観察しながら3人の到着を待っていた。 「よう露伴、お待たせ」 声のほうへ視線を向けると、仗助が片手を上げながらこちらに歩いてくるのが見えた。その後ろには承太郎と、そして杖をついた背の高い老人がいる。 そばに来た仗助は身を屈めると、椅子に座ったままの露伴の耳元に唇を寄せた。 「この前の電話でも言ったけど、今のじじいには若くなってた頃の記憶がねえんだ。あんたのことも覚えていない」 「……ああ」 「それでも、声をかけてやってくれ」 仗助から電話で聞いた時から覚悟はしていたが、若いジョセフと交わした会話や出来事を思い出して胸が苦しくなった。ジョセフの病気が治ったことを喜ぶべきなのに。 2週間近く眠り続けて、仗助が施設を訪れた時には元の姿に戻っていた。しかし若返っていた時に雇った使用人達のことは、仗助から名前を聞いても顔すら浮かばなかったようだ。 忘れられてしまうことがこんなにも悲しいものだと、痛いほど思い知った。あの明るい笑顔も声も、こちらは今でも覚えている。 抱いていた気持ちは恋や愛ではなかったが、それらとは違う意味で露伴にとってのジョセフは、特別な存在になっていた。 椅子から立ち上がり、ジョセフと向き合う。小さな眼鏡の奥にある彼の目を見ていると、あの館で露伴と契約を結んだ青年を思い出させた。 「君と会うのは本当に初めてかの?」 「……?」 「何だか、とても懐かしい気がするんじゃよ」 穏やかな表情で語るジョセフに、露伴は目頭が熱くなる。一呼吸置いてから、ジョセフに向けて手を差し伸べた。 「岸辺露伴です。ジョースターさん……初めまして」 たくさんの皺が刻まれた手がゆっくりとこちらに伸ばされ、露伴の手と重なった。 消えてしまったものが戻らなくても、これから新しく築き上げていけば良い。 |