死神と漫画家 デビューしてから4年、描いた漫画を読んでもらうことが全てだった。 漫画家という職業こそ自分にとっての天職で、他の仕事で生きていくことは考えられない。僕は死ぬまで漫画を描き続けるつもりだ。単行本は翻訳されて外国でも読まれるようになったが、漫画家としての僕はまだ始まったばかりなのだ。 新しい原稿用紙を買って帰宅すると、ドアの前に誰かが立っていた。身にまとったコートも帽子も白づくめで、大柄な男。腕組みをしながらこちらを見ている彼と、僕は目が合ってしまった。何かを言われたわけでもないのに、とてつもなく嫌な予感がする。 美しい緑色の瞳が僕をとらえ、胸騒ぎがした。 「岸辺露伴だな」 「ああ、そうだが何の用だ」 「あんたは一週間後に死ぬ、それを伝えにきた」 淡々と告げられたその言葉に、僕は眉をひそめた。人の家に押しかけてきて、何かと思えば……僕が死ぬだって? しかも一週間後? この男が何者なのかは知らないが、僕の活躍を妬んで嫌がらせをしに来たのか。 それとも頭のおかしい奴なのか。これ以上関わっていても時間の無駄だ。 「おい、さっさとそこをどけ。邪魔だ」 「とりあえず用件は伝えた、また来る」 「もう来るな!」 僕が叫んでいる間にも、男は僕の横を通り過ぎて去って行った。それにしても、初対面で唐突に死の宣告をしてくるなんてまるで……。 あの男が現れてから一夜が明けた。連載用の原稿に取りかかっているうちに、僕の頭から例の不吉な宣告のことは完全に頭から消えていた。 あんな馬鹿げた話、誰が信じるものか。今時、幼い子供だって騙されないだろう。それよりこれから描く漫画の展開を考えていたい。 気分転換も兼ねて、僕は外に出た。 スケッチブックを抱えて街を歩いていると、少し離れたところから車の急ブレーキの音が聞こえてきた。そして大きな衝突音。曲がり角の向こうに大勢の人間が集まっていく。そんな野次馬達に混じって、僕も先ほど通り過ぎた場所へと引き返した。そこで目にした酷い光景に、思わず息を飲んだ。 一台の黒い車が電柱に衝突していた。車の前方部分は直しようがないほど大きく歪んでいる。そしてその近くでは、はねられたらしい若い女が血を流して倒れていた。数分経っても起き上がるどころか指一本動く様子がなく、もう死んでいるのでは、と周囲が囁き合う。 そんな時、ひとりの男が女に近づいた。 昨日、僕の前に現れたあの白づくめの男だった。倒れている女の知り合いかと思ったがどうやら違うようで、次の瞬間に信じられないものを見てしまった。男が倒れている女に手を差し伸べると、淡い光のようなものが女の身体から抜け、男の手中に収まったのだ。その一部始終が見えているのは僕だけらしい。 やがて聞こえてきた救急車のサイレンと周囲のざわめきの中、全てが形になって繋がった。あの男が手にしたのは倒れていた女の魂で、それは然るべき場所に運ばれていく。白づくめの男はそれを実行する存在……つまり、死神なのだと。 例の宣告が正しければ数日後には、僕の魂もこの身体から離れる。 冗談じゃない、まだ描き続けていたいんだ。連載も終わらせるつもりはない。僕は本当に死ぬのか、それは何十年か先に見送られることはないのだろうか。 急に襲いかかってきた絶望感で、もはや冷静にものを考えられなくなっていた。事故を目の当たりにする前、どこに行こうとしていたのかもう分からない。 「答えろ、僕はどんなふうに死ぬんだ」 僕はベッドに仰向けになったまま、そばに立っている男に問いかけた。ドアを開けて家に入れたわけではなく、部屋の中に突然現れたのだ。さすが死神、普通の人間にはできないことを平然とやってのける。魂を抜き取って回収することすら、この男にとっては容易い。 「それは言えねえ」 「何故だ」 「規則だからだ」 どうやら死神の世界にも色々と決まりごとがあるようだ。僕は苛立って男を睨みつけたが、全く怯む様子もない。 「今日は何のために現れた? 死ぬことに怯えて泣く僕が見たかったのなら、期待に応えられなくて悪いな」 正直、内心ではかなり動揺していた。しかしそれを表に出して、この男を楽しませるのは不愉快だった。 「対象を観察するためだ、最後の日を迎えるまで」 「それも規則か?」 「……いや、あんたに興味がある。個人的に」 僕はベッドから起き上がり、男の顔を殴った。 「口説いているつもりか、悪趣味な奴だな!」 「あんたに言われるのは、心外だ」 かなり頑丈にできているらしい男の身体は、僕に殴られてもびくともしなかった。ますます腹が立つ。 「寿命が尽きるまでまだ時間はある、心残りがないように過ごすんだな」 「おい、ちょっと待て……!」 男は空気に溶けるように姿を消し、ひとり残された僕は胸に渦巻いている感情の捌け口を失った。 大まかな設定と話の流れが決まれば、あとはペンを動かすだけだ。下書きを一切しない僕は、他の漫画家とは比べ物にならないペースで原稿を仕上げることができる。 しかしいつもと違うのは、定められたタイムリミットに対しての焦りがあるからだろうか。それでも夢中で描き続けた。連載漫画とは違う話を。 寝食を忘れ、外にも出ずに描いた漫画はいつの間にか、連載にすれば3回分程度の長さになっていた。それは読んでもらうために描く、という僕の漫画に対する信念に反するものだった。特定の誰かに向けて描いたものではないのだから。 漫画の主人公は、人間の魂を狩ることに快感を覚える性格の歪んだ死神。 報酬や名誉のためではない、命を落とした人間の魂を身体から抜き取る行為に興奮するのだ。おそらく性行為よりも。 こんな主人公、少年誌では絶対に受け入れられないだろうと思いながらも、描くのはとても楽しかった。 机の端に置いていた完成した原稿の束が、背後から突然伸びてきた手に奪われた。 「死神の話か、面白いな」 白づくめの男が、僕の原稿を手に取って眺める。 「あんたに漫画の面白さが分かるのか」 「仕事の合間に、こちらの世界ものには多く触れることにしている」 「例えば?」 「海の生き物を眺めていると時間を忘れる。もし俺が人間だったら、そういうものを研究する仕事がしたい」 死神らしくない発言に、僕はこの男の前で初めて愉快な気分になった。そして男は僕が描いた死神の漫画を、今の時点で描き終わっているページまで全て読み終えていた。 おそらく彼が、この漫画の最初で最後の読者になる。僕は抱えている不安も何もかも、全て漫画にぶつけることで正気を保っていた。 あれから何日が経ったのか、僕は考えないようにしていたので日付の感覚が狂っていた。 相変わらずまともに食事や睡眠を取らずに漫画を描き続けたせいで身体は限界だったが、何故かペンは止まらない。あふれる熱意のままに、ひたすらキャラクターが動いて話が進んでいく。終わりまで描けるだろうか。 漫画の中の死神はある掟を破ったせいで、存在ごと消されるのだ。救いのない展開だが、完結させたい。 夕方から夜になった頃、急に意識が薄れかけた。手に力が入らない。そんな状態でも、背後にあの男の気配を感じ取った。僕の様子を見にきたのか、それとも魂を奪いにきたのか。問いかける気力はない。 完結まであと数ページというところで、僕は机に顔を伏せた。もうペンを握っているだけで精一杯だった。そんな僕の頭に優しく触れた、大きな手の感覚が心地良い。意識を失う寸前に何かを言われたが、よく聞こえなかった。 しかし本望だ。最期までペンを握って原稿に向かい、漫画家として死ねるのだから。 |