FAKE it 彼がアメリカに帰ってしまう前にどうしても伝えなければいけない。しかしその左手の薬指にはまっている金属が視界に入ると、結局言えないまま部屋を後にする。 いつもこの繰り返しだ。変に遠慮したり弱気になるなんてぼくらしくないけど、すでに結果が見えている勝負にプライドをかけてぶつかることができない。特に彼の前で、 心を砕かれて呆然とする自分を晒したくなかった。本人に慰められるのも、謝られるのも勘弁だ。もう2度と顔を合わせられなくなる。 「先生、どうした」 町で偶然出会ってから何となく隣を歩いている承太郎さんが、ぼくに視線を向けながら問いかけてくる。すごく好きな声。先生、ではなくて名前で呼んでくれたら嬉しい。 そう要求したらきっと彼は、特に深く悩むこともなく呼んでくれるかもしれない。叔父の仗助を呼ぶ時と同じような感覚で。ぼくが欲しいのは、それじゃないのだ。 このままホテルまでついて行ってふたりきりの部屋の中、玉砕覚悟で気持ちを伝えてしまおうか。 「い、いえ、別に……」 必死で取り繕うぼくを真顔で見つめた後、承太郎さんは表情を緩めるとぼくの頭に大きな手のひらを置いた。軽く撫でられて、一瞬だけ動揺した。 「さっきからしかめっ面になったり赤くなったり、面白いな」 「もしかして、ずっと見てたんですか?」 「ああ、年相応で可愛いと思うぜ。そういうあんたも」 デビュー当時から逸材だの天才だのと褒められてきたぼくに、そんなことを言う人間はいなかった……いや、いた。幼いぼくを庇って命を落とした年上の幼馴染が。 昔から年上に翻弄される運命なのだろうか。今でもそうだ、三十路手前の妻子持ち男の一言で思考が乱されている。このぼくが、ありえない。 承太郎さんの手はぼくの頭から下がっていき、ごく自然な感じで肩へと動いた。誰に見られてもおかしくない街の中でこんなことをして、何を考えているんだ。気の利いた 場所なら素直に身を委ねられたのに。 「もし、ぼくが」 「ん?」 「あなたのことが好きだって言ったら、どうしますか」 ぼくの肩を抱く手が、驚いたのかぴくりと反応するのを感じた。思わせぶりな行為でぼくの心を振り回すなんて許せない、身軽ではない自分の立場に気付いて困ればいいんだ。 「嬉しいぜ」 「え?」 「おれのことを、好きになってくれたんだろう?」 違う。この人とぼくがそれぞれ考えている好きっていう感情は、多分全く別のものだ。ぼくにとっては、既婚者の彼が軽々しく口にはできない重苦しい種類の言葉なのだから。 誰にも見せたことのない、ぼくの淫らな姿に欲情した承太郎さんを想像してはたまらない気分になっている。毎日、ずっと。その手で扱かれて、本当の意味で好きだと囁かれながらイキたい。 ここで爪先立ちしてキスしたら少しは伝わるかもしれないけど、今はやらない。 逃げ道を作った聞き方をしたものの、好きだと言った瞬間は承太郎さんの顔を見るのが怖かった。あれは例え話だ、本当に告白したわけじゃない……それでも。 「肩の手、離してもらえませんか」 「……離したくないと言ったら、どうする?」 承太郎さんの手の力が強くなり焦った。それは本心なのか、それともからかっているだけなのか。確かめられないままぼくは、近くなった彼の匂いに溺れた。 |