苛立ちと抱擁 昼前に駅で待ち合わせをした後、承太郎の希望で書店に立ち寄った。仕事で使う本を何冊か購入するようだ。 露伴自身も漫画に必要な資料を集めるために書店にはよく立ち寄る。多少高価なものでも、それが手に入る瞬間は逃さない。 うっかり後回しにして、最後の一冊がどこの誰とも分からない奴に買われていくのは屈辱だ。話の展開次第で結局は不要になっても、また使える時が来る可能性もある。 承太郎がどのような本を買うのか興味はあったが、せっかく来たのだから露伴も資料に使えそうな本を探すことにした。承太郎に声をかけた後で、その場を離れた。 嘘か本当かすらも疑わしい、芸能人のスキャンダルを報じる低俗な言葉が表紙に並ぶ週刊誌の棚を通り過ぎ、風景や植物の写真集のコーナーで足を止める。実際に触れて 感じるリアリティには及ばないが、もはや資料集めは趣味になっているかもしれない。 あらゆる知識を吸収し、経験を多く積んでいくことにより、露伴が日頃から拘っているリアリティのある作品が生まれる。 写真集ではないが、偶然目に止まった気になる本が棚の一番上に並んでいた。爪先立ちをして限界まで腕を伸ばしてみても、取れるかどうか微妙だった。自分は決して 背の低いほうではないが、こんなに取りにくい場所に並べるとはこの店は本を売る気があるのかと思い、密かに舌打ちをする。 しかしここで諦めるのも、まるで屈したような気がして悔しい。 そんな時、背後に人の気配を感じた。その直後に自分のものではない腕が伸びてきて、目当ての本を軽々と棚から抜き取る。 白い上着の袖に包まれた腕には、見覚えがあった。それどころか、間違いなく先ほどまで一緒にいた男のものだ。 「これが欲しかったんだろう?」 片手で本をこちらに差し出しながら、承太郎は落ち着いた口調で問いかけてきた。 露伴は言葉を見失ったまま、笑いも怒りも浮かんでいない、いつもながら考えの読みにくいその顔と本の表紙を何度か見比べる。そうしているうちに、親切にしてもらった 嬉しさと、本一冊のために苦戦している姿を見られた恥ずかしさで頬が熱くなった。 「……ありがとう、ございます」 「あんたの必死な様子を眺めているのも良かったが、そろそろ腹が減ってきたんでな」 「まさかずっと見てたんですか!? 趣味の悪い……」 「変わり者で有名な先生に比べれば、俺はまともなほうだと思うが」 何でもないことのようにさらりと言い、承太郎は先ほどの本を露伴に手渡すとこちらに背を向けた。普段なら思わず見惚れるほど広い背中。しかし今は胸に残った苛立ちを どうにかしたい気分でいっぱいだった。 無神経なのかどうか、承太郎はたまに露伴に対して失礼なことを平気で口に出す。他の人間なら何とも思わないようなことでも、 人一倍プライドの高い露伴にとっては明らかに神経を逆撫でされる。付き合いは長くなくても、露伴のそんな気性くらいは把握していると思っていたが。それとも怒らせて 楽しむために、わざとやっているのだろうか。 今すぐ怒り任せにその肩を掴んで振り向かせてやりたかったが、早く店を出て食事をしたいという承太郎の歩幅に追いつけず、苛立ちは更に増した。 書店を出た後もどこで何を食べるかの相談もせずに、露伴は承太郎の隣を無言で歩き続けた。こうして不機嫌をアピールしてみても、承太郎は気に留める様子を見せない。 この男はどれだけ人を馬鹿にすれば気が済むのか。そして自分も腹が減ってきたが、それを口に出すのは面白くないので我慢をし続ける。 「先生は何を食べたいんだ」 「勝手に決めてください、僕は何でもいいです」 「もしかして機嫌が悪いのか」 「さあ?」 誰のせいだと思いながら、露伴は投げやりな調子で返事をした。すれ違ったカップルの女のほうが、やたらと男にべたべたしながら歩いているのも腹が立つ。 さすがに男同士だと、ああいうふうにはできない。いくら相手を愛しているとしても。しかも結婚でしていて、子供までいるのなら尚更だ……と、考えが変な方向に行って しまった。 ちょっとしたことでここまで執着するのも、こうして怒りながらも離れる気にはならないのも、やはり承太郎のことが好きだからだ。 相変わらず口を閉ざしたままでいると、突然肩を抱かれて近くに建っているビルの中へ連れ込まれた。奥のほうにエレベーターがあるだけで、入口付近に人の気配はない。 「ちょっと、何ですかいきなり!」 「どうやら俺の勘違いじゃなかったようだな」 「は?」 「すまねえな、上手い気遣いができなくて」 露伴の肩を抱いたまま、承太郎が耳元に囁いてくる。身体の温もりが伝わるほど近い距離を意識して、露伴は動揺と緊張で息を飲んだ。こんな少女漫画の主人公のような 気分を味わう羽目になるとは、考えてもいなかった。承太郎と付き合うまでは。 俺はあんたに惚れている、というとんでもない衝撃発言を承太郎から聞いた時は、あまりにも唐突すぎてこの人はどうかしていると思った。 妻子ある相手、しかも男との不倫関係。色々面倒なことになりそうだと感じながらも、結局は受け入れてしまった。 それからは、会うたびに好きになっていった。ふたりきりの部屋で唇を重ねて触れ合っていると、背徳感よりも強くなった欲望に支配されて、自分を止められなくなる。 「い、今更そんな謙虚な振りをしても遅いですよ……」 「せっかく久し振りに会ったんだ、このままじゃ面白くねえだろうが」 怒らせて面白がっていたんじゃないのかと胸の内で反論したが、抱き締められた瞬間に不満も何もかもが消し飛んだ。その腕の強さも承太郎の匂いも、いつの間にかこの 身に馴染みすぎていてどうしようもない。 堪え切れずに、露伴も承太郎の背中に両腕をまわしてしがみついた。 永遠に続く関係ではないと分かっているからこそ、この時だけは気持ちに正直でいたい。 先が見えないまま踏み込んだ茨の道で血を流すことになっても、承太郎が一緒ならば激しい苦痛もやがて甘くとろけるものに変わっていくのではないかと、 今ではそんな気がしている。 |