携帯恋人





立ち寄った携帯ショップで手に取った時、一瞬で運命を感じた。
潔いほど飾り気のない真っ白な携帯電話。他にも種類はあるので慎重に選ぶつもりだったが、僕にはその機種以外は考えられなくなっていた。

「最新の機種ですが、扱いは他に比べて難しいかもしれません」

という店員の忠告は耳に入らなかった。
店で手続きをした後、家に帰って再び新しい携帯電話を手に取って蓋を開けた。すると白いコートや帽子を身に付けた大柄な男が僕の目の前に現れた。
彼が姿を見せると同時に、僕の手からあの携帯電話は消えていた。一体何が起こったのか分からなかったが、名前も知らないこの男が例の携帯電話そのものだと知った。


***


「先生、電話だぜ」

原稿の最中、背後から声をかけられる。振り向いてすぐに、逞しい身体が僕の視界を覆う。

「誰からですか」
「あんたの担当者だ」

僕は彼の胸に片手を押し当てながら、電話の向こうの担当に話しかけた。
男の姿をした僕の携帯は、承太郎という名前らしい。何故か僕は敬語を使っている。しかも名前の後に「さん」まで付けていた。
彼の持ち主は僕なのに敬語を使って話すなんて、おかしいかもしれない。しかしそうしたほうが話しやすい気がしたのだ。


***


「悪いな、付き合わせちまって」

ベッドで僕に覆い被さっている承太郎さんが、こちらをじっと見つめながら呟いた。

「こうしないと困るのは僕ですから、気にしないでください」

ローションを使って解した、僕の後ろの穴から承太郎さんの指が引き抜かれた。直後、押し当てられた性器が僕の中を拡げていく。

「ああ……」

奥へと挿入されていくにつれ、声が我慢できなくなった。

「きついな」
「痛……っ」
「もう少しだ」

短い言葉のやりとりの中で、ぼんやりと僕は考える。この行為は愛とか恋とか、そんな甘酸っぱい感情が絡んだものじゃない。
承太郎さんは普通の携帯電話と同じように、通話やメールを繰り返すうちに充電が切れて動けなくなる。 人の形をしている彼の充電の方法は性行為だった。馬鹿げていると思われそうだが、これが初めてではないのでもはや信じるしかない。
最初はキスでもそれなりの効果があった。しかし日が経つにつれて、それだけでは充電されたエネルギーがすぐに底をついてしまうようになった。
更にしっかりと充電する方法といえば、言われなくても想像がついた。僕と彼が、キス以上に深く繋がればいい。汗や精液などは出さないが、息遣いや身体の重みは元が携帯電話とは思えないくらいリアルで、それだけで僕は身も心も乱れる。承太郎さんの腰に両足を絡めて、その広い背中に強くしがみつく。
彼にとっては携帯電話として活動するエネルギーを充電するためだけの行為で、僕に対する特別な感情なんか何もない。そもそも気持ち良いと感じているかどうかすらも怪しい。人間ではないのだから。それを思い出すたびに、胸が締め付けられる。このまま抱えていてもどうにもならない、空しい想いだ。
まともな前戯もなく、ただ挿入するだけ。僕が気持ち良くなるところには触ってくれない。
僕と繋がって腰を動かしていた承太郎さんが、性器を抜いて離れる。達したわけではなく、充電が完了したのだ。
人間とのセックスで充電できる携帯電話なんて、本当に厄介だ。用が済んだら僕から離れて、涼しい顔で服を着る承太郎さんが憎い。人の気も知らないで。
全裸でベッドに寝転がったまま、僕は唇を噛んだ。


***


カメユーマーケットの前で、仗助と顔を合わせた。そういえば今は放課後の時間帯で、学生がこの辺りをうろうろしていてもおかしくはない。

「露伴先生じゃないっすか、久し振り」
「お前の顔を見た途端、不愉快になったよ」
「漫画ばっかり描いて引きこもってるから、不安定になるんじゃないっすかね〜」

偉そうに腕を組みながら、明らかに僕を馬鹿にした調子で言われて苛立つ。いつ見てもむかつく奴だなこいつは!

「お前みたいな暇人とは違って、僕は忙しいんだよ。もう行かせてもらうぞ!」
「はーあ、あんたに声なんかかけちまった俺が馬鹿だった」
「やかましいぞ、くそったれが!」

だるそうに僕の前から去っていく仗助を睨んでいると、隣に立っていた承太郎さんの様子がおかしかった。仗助の後ろ姿を見つめた後、視線を僕のほうに移したまま黙っている。
彼は僕以外の人間からはただの携帯電話にしか見えないので、さっきまで居た仗助は承太郎さんの存在には気付いていないはずだ。

「どうかしました?」
「いや、何でもねえ」

承太郎さんは急に僕から目を逸らすと、帽子のつばを下げて顔を隠す。
彼の考えは読みにくい。前に康一君や億泰と町で会った時には、こんなに意味不明な様子は見せずに平然としていたのに。
これ以上ここに立っていても仕方ないので、僕は店の中に入った。


***


承太郎さんは携帯電話なので空腹にならない。僕が食事をしている時もひとりでソファに座って、本を読んでいる。
元々あまり喋らない男だが、店から帰ってきた後はずっと無言だった。不自然なくらいに。
やはりいつもと違う。そう思いながら使った皿を片付けていると、承太郎さんが急に立ち上がった。

「電話だ」
「誰からです?」

僕が聞いても、彼は答えなかった。登録してある番号なら誰からなのか分かるはずだが、眉根を寄せたまま黙って僕の前に立っている。僕が出て確かめるしかないので、承太郎さんの胸に手のひらを当てた。

「もしもし」
『露伴、だろ。俺だよ』
「……仗助か」

声ですぐに分かった。

『今忙しいか? 少しだけあんたと話がしたいんだ』
「ああ、分かった」

夕方に会った時とは違う、真剣な声だった。承太郎さんには会話の内容が全て聞こえているので気まずいが、このまま続ける。

『さっきはごめん、色々言っちまって』
「いつものことだろ、何を今更」
『本当は直接あんたの顔を見て話したかったんだけど、もうこんな時間だろ……でもやっぱり今すぐ伝えたくてさ』
「じれったいな、早く言えよ」
『ん……あのさ、露伴って今、好きな奴居るのか?』

電話越しでも遠慮がちで、もどかしい感じが伝わってくる。こんな仗助は、今まで知らなかった。動揺してしまう。
何となく、承太郎さんに抱かれていた時のことを思い出す。彼は僕のことを充電の道具にしか思っていない。
恋人でもなんでもない、持ち主と物という関係。いくら身体を繋いでも、永遠に平行線のままだ。僕が彼を好きになったとしても、そもそも人間ではない承太郎さんは応えてくれない。できるはずがない。
彼の胸に当てていた手のひらを、強く握る。爪が食い込む痛みより、空回りすると分かっていても諦められなかった胸の痛みのほうがずっと大きい。手に入らないものを追うのは、もうたくさんだ。

「僕に、好きな奴なんか」

そう口に出した途端、大きな手に抱き寄せられて言葉が止まる。

『……露伴?』

承太郎さんの顔が近付き、僕と彼の唇が重なる。これまでも充電のために何度もキスをしてきたが、これは今までとは違う。角度を変えて繰り返し、貪欲に奪うようなやり方だった。

「ん……っ」

かすかに息の混じった声を出してしまう。やがて唇が離れると、

「俺とのキスがそんなに良かったのか、露伴」

未だに余韻が消えない僕に、承太郎さんが問いかけてきた。電話の向こうに居る仗助にも聞こえるような声で。

「何、言ってるんですか……」
「普段は素っ気ないが、ベッドの上では別人みてえに俺に縋って欲しがるだろう」

こんな時にとんでもない話をされて、僕は凍りついた。電話の向こうが沈黙する。

『……俺、ちょっと出遅れちまった。あんたにはもう、付き合ってる奴が居るんだな』
「おい、待て」
『困らせてごめんな、こんなつもりじゃなかったんだ。それじゃ、な』

最後は声を震わせた仗助はそう言うと、通話を切った。急に身体の力が抜けて、僕は承太郎さんから離れる。

「どういう、つもりですか」
「あいつのことが好きなのか」
「……あなたには関係ありません」

僕は承太郎さんに背を向け、俯いた。
確かに僕は、どうせ成就しない気持ちを抱えていくのが辛くて、仗助に逃げようとしたかもしれない。直接告白されたわけではなかったが、もしそういう展開になったら僕は多分受け入れていた。

「あんな話聞かされて、黙っていられるか」

僕の背中を抱き締めながら、承太郎さんが囁いてくる。

「そんなに僕の邪魔をして楽しいですか」
「それは、俺にもよく分からねえ」

何だその答え、最悪だ。僕は自分の中で、何かがあっけなく切れるのを感じた。

「さっきから生意気なんだよ、携帯電話のくせに!」

怒り任せに叫びながら振り返ると、承太郎さんは珍しく呆然とした表情でこちらを見ていた。言ってはいけないことを口に出した、そんな予感がしたがもう引き返せない。

「あんたは気楽でいいよな! 充電するためだけに僕とセックスして、元気になったら僕は用済みだろ? 完全にヤリ捨てじゃないか」
「……」
「僕を抱くことに、充電以外の意味なんかないんだろ……どうせ」

これ以上承太郎さんの顔を見ているのが辛かったので、僕は彼を置いて2階の寝室に向かった。 色々ありすぎて疲れてしまった。外見は人間とはいえ、携帯電話を相手にあんなに熱くなって……どうかしている。
部屋に入るとヘアバンドをむしり取って、僕はベッドに潜り込んだ。


***


翌朝、階段を下りてドアを開けた僕は息を飲んだ。承太郎さんが、絨毯の上に倒れたまま動かない。彼は睡眠を取らないので、もちろん寝ているわけじゃない。
近づいて顔を覗き込むと、虚ろな目をしていた。どうやら充電が切れているらしい。普段なら切れる前に求めてくるので、こういう状態は初めてだ。

「……承太郎さん」

声をかけても反応がない。僕は顔を伏せ、彼にキスをした。こうするだけでも少しは充電されるので、意識は戻るはずだ。
ようやく僕の存在に気付いたらしい承太郎さんは、目を見開くと僕の両肩を押した。

「俺に触るな」
「そう言われても、充電切れてるじゃないですか。困るんですよ僕」

僕の言葉に承太郎さんは眉をひそめ、舌打ちをした。

「あんたも人のこと言えたもんじゃねえだろ」
「は?」
「俺が動けなきゃ、あんたは電話もメールもできねえ。俺はあんたにとって、ただの持ち物だ。分かってはいたが」
「急に、何を」
「持ち物の俺が嫉妬なんか、有り得ねえよな」

……嫉妬? どういうことだ、それ。

「俺はあいつに、あんたを渡したくなかった」

絨毯に仰向けになったまま、承太郎さんは僕の頬に手を伸ばして、そっと触れた。温度のないはずのそれは、ストレートな言葉と共に僕の心をじわりと熱くする。

「俺は人間じゃねえから、あんたが欲しいものを全部は与えてやれない。それでも、露伴が好きだ」
「えっ……!?」
「あんたを抱きてえ。充電なんて意味じゃねえ、その身体の隅々まで俺が満たしてやりたい」

そんな言葉が、彼から聞けるとは思わなかった。

「俺のせいで不安にさせちまったな、ずっと」

頬に触れている大きな手に、僕は自分の手を重ねる。
もう、持ち主と物の関係なんかじゃない。周りには理解されないだろうが、これからは本当の人間同士みたいな関係を承太郎さんと築いていきたい。




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2011/6/14