追い詰められたら 「実はここに来る前までずっと迷ってたんです。さすがのぼくも今回ばかりは即決できない問題ですし。あなたの家族に知られた時のことも考えないと……」 閉めたドアの前で露伴が一方的に喋り出した。よく分からないが、妙に期待を込めた目で見上げられて戸惑う。 普段は高慢でやりたい放題振る舞っている露伴の、意外な一面を目の当たりにしている。彼のこんな表情を、他の人間は知っているだろうか。 「今度はぼくの顔を見て言ってください、昨日の電話と同じように」 前に踏み出してきた露伴からは、嗅ぎ慣れていない香水の匂いがする。 昨夜、論文を仕上げた承太郎は開放的な気分で飲み続けた酒のせいで、かなり酔っていた。暴れたり急に吐いたりすることはなかったが、自分なりにテンションが上がっていた。 最近、アメリカに残してきた妻とは電話で話すたびに重苦しい雰囲気になっている。日本に来る前もあまり構ってやれず、幼い娘にも寂しい思いをさせている自分は決して良い父親とは言えない。 こちらは遅い時間だが、向こうは確実に起きている頃だ。机に置いてある携帯電話を手に取り、目当ての番号を検索して通話ボタンを押した。数回の呼び出し音の後、相手に繋がる。 今までなかなか言えなかったが、おれはお前のことを愛している。ずっと不安にさせて悪かった。ソファに身体を沈めながらそう伝えると、電話の向こうから『えっ』だの『嘘だろ』だのと何故か日本語で、しかも男の声でそう聞こえてきた。 どうやら酔っているせいか番号を間違えたらしい。英語での告白だが、相手が日本人でも愛しているの部分くらいは聞き取っているかもしれない。 仗助辺りなら明日にでも謝れば、笑って許してくれると思う。眠気が襲ってきたので、騒がしく聞こえてくる声にも構わず電話を切り、承太郎はそのままソファで眠りに落ちた。 その結果が今の、ややこしい状況を招いた。仗助ならともかく、露伴が相手ではごまかすのは難しいだろう。よく海外へ行くので日常会話レベルの英語なら理解できるという話を、本人から聞いたことがある。 自身は既婚者なので当然だが、露伴を恋愛の対象として考えたことはなかった。スタンド使い同士という共通点があるので話をする機会はあっても、ふたりきりで会うのはこれが初めてだった。 「承太郎さん、どうしたんですか」 「なあ先生……昨日の電話なんだが、あれは」 「奥さんにかけたつもりが、間違えたんでしょう? 分かってましたよ。ぼくにならわざわざ英語で話す必要もないわけだし」 「そうか、迷惑をかけてすまなかった」 説明するまでもなく分かってくれたようだ。安心して気を緩めた途端、突然目つきを鋭いものに変えた露伴に突き飛ばされ、壁に追い詰められた。 「あんたの言葉に、このぼくがどれだけ振り回されたと思ってるんだよ! 愛してるなんて言われて、ぼくは」 目を伏せ、小刻みに震える露伴は今にも泣き崩れそうに見えた。驚くほど感情の起伏が激しい。振り回されているのはむしろこちらのほうだ。 無意識に露伴の頬へ伸ばした指先は、肌に触れる前に振り払われてしまった。とはいえ放置するわけにもいかず、彼が承太郎に何を望んでいるのか全く読めない。 「少しの間、刺激的な夢を見られて面白かったですよ。妻子持ちの男に告白されるなんて、めったに味わえない経験ですから。漫画のネタになるかも」 自嘲気味に笑い、露伴は承太郎から離れた。甘さや爽やかさとは真逆の、どこか濃密な色気を感じる匂い。それは胸の奥にまで染み込んで、強い毒のように精神を蝕んでいく。 それは多分、露伴がこの部屋を出て行った後も忘れられないものになる。 「ここにいると、おかしくなりそうだ。帰ります」 そう言ってドアを開けようとした露伴の腕を掴み、こちらに引き寄せる。服越しに温もりを感じるほど密着すると、露伴の口から短い声が漏れた。 「先生がどんなふうにおかしくなるのか、見せてくれ」 「絶対に見せたくない、特にあなたには」 「おれに会うために着たのか、それは」 色はシンプルな黒だが、鎖骨や肩の部分が大きく開いた形の服だ。首筋に滑らせた視線を感じたのか、息を飲んだ露伴の喉元が小さく動く。 今度は追い詰められる側になった露伴がどんな姿を見せるのか、頭に思い描こうとする自分を止められない。 |