錯覚





何事もなかったかのように承太郎を見送った露伴は、その場に留まって思い出話に花を咲かせる仗助達を置いてひとりで帰宅した。
次はいつこの町を訪れるだろうか、もしかしたらもう来ないかもしれない。しかしそのほうが良いと思う。再び顔を見てしまったらどうなるか分からない。
最初は興味本位で近づいて、いつの間にか深い関係になってしまった。向こうには妻子がいると知ってしながらも、許されない道に踏み込んだ。
妻への愛が冷めたわけでもないのに何故、同性の露伴を抱いたのか。好きだとも愛しているとも言われていない。どうせ向こうはひとときの遊び相手として露伴を選んだのだろう。
結婚していてそれなりの経験があるためか、承太郎はセックスが上手かった。ふたりきりの時は、彼に抱かれることばかり考えてしまうくらいに。

『奥さんにできないこと、たくさんしてもいいですよ』
『例えば?』
『何だろう……ぼくが気を失うような、酷いこととか』
『考えておく』

そんな会話をした後も、結局露伴が望んだような行為はしなかった。一生忘れられない深い傷を、この身体に刻まれても構わなかったのだ。
承太郎は露伴に対して、何ひとつ与える気はなかったのだろう。それどころか、さっさと忘れてほしいと思われているかもしれない。今頃船の上では、再会する妻子のことで頭が満たされているのではないか。
興味本位だったはずが、いつの間にか本気になっていた。スタンドを使ってでも、永遠にこの家に監禁したいと考えたこともある。妻子の存在を記憶から消し、まっさらなページを都合良く書き換えて、それから。
階段を上って寝室に入り、ベッドのそばに置いていたスケッチブックを手に取る。昨日、ふたりで過ごした最後の夜に泊まりにきた承太郎をモデルに絵を描いた。
白いコートと帽子を脱いだ格好が好きだった。裸も悪くないが、彼には黒が似合うと思うので密かに気に入っていたのだ。承太郎の絵ばかりのスケッチブックは、ページを重ねるごとに濃くなる彼への執着で埋めつくされていた。
息をつきながら閉じようとした時、まだたどり着いていなかった最後のページが偶然視界に入ってきた。露伴のものとは全く違う線で、鉛筆で丁寧に描かれた1枚の絵。
露伴は震える指先で絵に触れた。驚きと、そして説明し難い胸の苦しさで冷静になれない。 描かれていたのは、枕に頬を埋めて眠っている露伴の寝顔。こんな姿を見せた相手は限られている。というより、ひとりしかいない。

「……承太郎さん」

今までしまい込んでいた感情があふれて止まらない。自分はずっと承太郎にとっての遊び相手で、身体だけの関係だと割り切って振る舞ってきた。
もしかすると自分は、ほんの少しだけでも愛されていたかもしれない。陰影まで手を抜かずに描き込まれたこの絵を眺めていると、愚かな期待をしてしまう。
限られた時間の中、狂うほどの甘い夢を見たこの寝室で露伴は涙を流した。




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2012/5/9