嫉妬の味/後編





 昼過ぎに訪れた時、店はだいぶ混雑していたが運良く入口近くの席が空いた。奥の喫煙席を狙っていたのだがここは妥協するしかない。若い女の店員から先ほど注文したアイスコーヒーを受け取り、空いた席に座る。承太郎が知る限りではこの店は年齢が高めの客が多く、付近の席では会社員風の男が薄いノートパソコンを開き、仲の良さそうな老夫婦がパスタを食べながら談笑していた。騒がしい学生や家族連れは皆、手頃な値段のファミリーレストランやファーストフードの店に流れているのかもしれない。とにかく店内の落ち着いた雰囲気は悪くない。
 今日は早めに店を訪れて仕事ぶりを見物してやろうと思ったのだが、あいにく露伴の姿は見当たらない。
 中のキッチンにいるのか、それともまだ出勤していないのか。ここから延々とカウンターを眺めていても不審に思われるだけなので、夕方あたりに改めて来ることにした。


***


 夕方過ぎ、店はパスタやデザート中心のカフェから酒が飲めるバーへと姿を変えた。
 若いカップルや、仕事帰りと思われる大人達で賑わっている。まっすぐにカウンター席へ向かうと、店員用のエプロンを身に着けたよく知っている男が、微笑みながら承太郎を迎えた。
「いらっしゃいませ、いつものですね」
「ああ」
 自分は店の常連ではないが、この店員は何も言わなくてもすでにこちらの好みを把握しているので、注文の手間が省ける。まずはウイスキーを水割りでゆっくり楽しむ。酒を作る露伴の手つきは相当慣れていて、無駄な動きがない。やがて水割りが承太郎の前に置かれた直後、カウンター席の端に新たな客が腰掛けた。承太郎よりも少し年上に見える、上等なスーツを着た男だ。
「露伴くん、いつものやつを頼むよ」
 どうやらここの常連らしく、露伴の名前を親しげに呼んで声をかける。露伴のほうも男の注文を受け、早速酒を作り始めた。それだけなら何も感じなかったが、承太郎が水割りを飲み終える頃、先ほどの男が露伴を手招きして何事かを囁いている。次の注文ならそのまま口に出せば良いものを、周囲には聞かれたくない話をしているのだろうか。正直、不愉快だ。
 見なければ済むと分かっていながらも視線を外せない。露伴は承太郎に見られていることに気付くと、男から離れる……というのは承太郎の勝手な想像だった。
 露伴は拒絶するどころか同じ調子で男の耳に唇を近づける。しかも離れた場所にいる承太郎に見せつけるように。
 周囲の雑音に紛れて、露伴が男に何を囁いたのか分からなかった。いや、そのほうが幸せなのかもしれない。そう自分に言い聞かせて冷静になろうとしたが、露伴の唇やこちらに向けられた視線の全てが挑発的で、男とは店員と客の関係を越えた深い関係ではないかと疑い始め、止まらない。
 別の店員に声をかけ、今度はウイスキーを水割りではなくストレートで注文した。強烈に酔うだろうが、とにかく嫉妬にまみれた嫌な気分から逃れたい。


***


 熱を帯びている身体に浴びた、冷たい夜風がたまらなく心地良い。店の外で壁に背を預けながら両腕を組んでいる承太郎を呼ぶ声が聞こえた。仕事を終え、私服に着替えた露伴がそばに来て、承太郎の顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?」
「あ?」
「ウイスキー、ストレートでガンガンいっちゃって……潰れてるんじゃあないかと心配してましたよ」
 誰のせいだという言葉を飲みこみ、承太郎は露伴を置いて先を歩き始めた。後からついてきた露伴は、くくっと笑いながらついてきて隣に並ぶ。
「ね……もしかして、妬いたんですか?」
「何の話だ」
「だからあんな飲み方したんだ、いつもは水割りなのに」
 度数高めの、濃厚なウイスキーがそのまま喉を流れていった時の感覚は今でも覚えている。まるで喉や胃が焼かれるようだった。我ながら無茶をしたと思う。
 夜道なのをいいことに大胆に密着してくる露伴に苛立ち、ビルの外壁に彼の背中を押しつけ、逃げられないように両腕で囲う。露伴は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに薄く笑みを浮かべた。
「急に何ですか? ぼく、仕事終わったばかりで疲れてるんだけどなあ」
「疲れているところ悪いんだがおれの相手もしてくれ、誰かに見せつけられたせいでこのまま帰れそうにねえんだ」
「あ、やっぱり……」
 露伴の言葉を遮り、承太郎はその減らず口をキスで塞いだ。ねっとりと執拗に露伴の舌を吸い、欲望のままに貪る。露伴が苦しそうに息つぎする音にも煽られ、角度を変えつつ何度も繰り返す。長いキスを終えた後、露伴は深い息をついてこちらを見上げる。
「あなたの気持ち、なんだか、分かった気がする」
「……ん?」
「変な話だけどこれが、承太郎さんが感じた嫉妬の味なんだって」
 自分が口にした表現に照れたのか、露伴は急に視線を外して俯いた。既婚者の自分が色恋沙汰で嫉妬してヤケ酒という、愚かすぎる行為に走ってしまった。露伴を縛りつけておく権利なんてどこにもないのに。
「でもあの時、嬉しかったんです。あなたが妬いてくれたから、すごく」
「露伴」
「あのお客さんとは、何でもないですから」
 そっと握られた手が露伴の胸元に導かれる。まだ酔いの覚めていない頭の中で、露伴にもこんなに可愛いところがあるのだと思い、自分の立場を忘れて更に独占欲が高まった。




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2013/8/3