それでも愛してる





 ぼくも結婚してるんです、と微妙にサイズの合っていない指輪をはめた左手薬指を見せた時、承太郎は一瞬目を見開いて驚いていた様子だったがすぐに、「いつ籍を入れたんだ」「相手はどういう女だ」などと質問攻めが始まった。自分の感覚では焦りを見せずに全て答えられたと思うが、実は結婚どころか彼女すらいない身だ。本物の既婚者である承太郎は露伴の嘘を見抜いていて、ボロを出させようとしたのかもしれない。
 そもそも何故こんなややこしい嘘をついたのかというと、無理だと分かっていて承太郎に告白した際に「あんたにはおれを選ばなくても、これから良い相手が現れる」と月並みな拒絶の言葉に腹が立ったからだ。
 結婚したのは2年前で、相手は4つ年上の和服が似合う女。杜王町に引っ越すと決めた時に妻は東京に残りたいというので、今は別居している。そんな強引な嘘を押しつけて、マンガの資料用に買った安物の指輪まで見せた。
「妻のことが嫌いなわけではないんですが、こうして離れて暮らしていると電話しか繋がりがなくて……たまに寂しくなるんです。承太郎さんと2人でいると、抑えられない」
 途中までは作り話だが、最後の一言は完全に本音なので思っていた以上の感情がこもった。指輪をはめた左手で、ソファに腰掛けている承太郎の胸元に触れた。服の上からでも伝わってくる逞しさに、身体の中心が疼いた。根拠はないが、自分も既婚者だと言えば承太郎と対等になれる気がした。
 承太郎は露伴を突然抱き寄せると、耳元に唇を近づけてきた。ゆるやかな呼吸が胸の深いところを熱くさせる。
「子供は?」
「……まだ、作る気にならないです。それに自分が父親になるなんて想像できない」
「そうか」
 あっという間にソファに押し倒され、急な展開に露伴は何とか動揺をさとられないように広い背中にしがみついて、慣れている振りをした。同性が相手でも、既婚者という設定なのにいちいち慌てるのはおかしい。
 最初は渋っていたが、露伴が既婚者だと告げた途端に承太郎は割り切ったようだった。露伴のズボンのベルトを外し、下着を脱がせていく。半勃ちになった性器を見られて、頬がじりじりと熱を持つ。
「どうした、恥ずかしいのか」
「ずっと、誰ともしてなかったので。緊張しているだけです」
「そんな一途なあんたが、遠い場所にいる妻を裏切って今から男に食われるんだぜ」
 そういう承太郎こそ似たようなものだと思うが、大きく厚い手に性器をゆるく扱かれて余裕が無くなった。出そうになった声を手のひらで塞いでごまかす。やがて性器とそれを扱く承太郎の手が先走りで濡れ、わざと立てられている音に刺激され、腰が揺れた。
「あ、っあ……いかせて、ください」
 口を覆っていた手の下でそう告げると、手を外されて少しの間無言で見つめられた。激しいままの心臓の鼓動や、そして重ね続けた嘘がばれてしまいそうで落ち着かない。
「このまま、ぼく……全部あなたに食われてもいい」
 止まっていた手の動きが激しくなり、痴態を見られている状況にも興奮して露伴は一気に昂った。ただ扱くだけではなく、尿道付近まで指先でいじられるとたまらない。快感に溺れるばかりで今まで気付かなかったが、承太郎の股間が明らかに膨らんでいた。自分だけではなく、早く一緒に気持ち良くなりたい。
 数分も経たないうちに露伴は射精して、ぐったりしている無防備な姿まで承太郎に晒した。


***


 翌日呼ばれたホテルの部屋で、訪れた露伴の左手を見るなり承太郎は目を細めた。
「指輪はどうした」
 その一言で露伴は身体から血の気が引いた。偽りの結婚指輪は、承太郎と会っていない時は外している。家を出る時間ぎりぎりまで原稿に向かっていたので、指輪の存在を忘れたままここに来てしまった。
 挨拶よりも先にわざわざ指摘するということは、まだ承太郎は疑っているに違いない。
「仕事の時は外しているので、またはめるのを忘れただけです。いけませんか?」
「いや、別に悪くはないが。何をむきになっているんだ」
「承太郎さんが変なことを言うからですよ!」
 指輪をしていない左手を、もう片方の手で隠すように強く握った。よく考えてみれば、過剰に反応すればするほど、向けられる疑いは強くなる。ただ平然と、忘れちゃいましたと軽く流すのが正解だったかもしれない。
 震えながら俯く露伴に、承太郎は身を屈めてキスをした。めちゃくちゃになった心を癒すような優しいもので、ようやく震えが止まった。
「もう、何も聞かねえよ」
 どんな意味を込めて言ったのか分からないが、それ以来承太郎は露伴の指輪や結婚について突っ込んだり、弱い部分を抉るような質問はしなくなった。しかし不安は常に消えずに、露伴の胸の片隅にくすぶったまま存在し続けた。
 会うたびに忘れずに指輪をはめるようになった露伴を毎回、承太郎は恋人に接するように抱く。体験したことのない体位を味わうたびに、露伴は彼との行為に夢中になっていった。嘘をついている負い目があっても、奥に承太郎のものが入ってきて揺さぶられると、心身ともに淫らな火がついて焼かれていくのだ。


***


 承太郎が杜王町を離れてアメリカへ帰る日、早朝から露伴のバイクで海に連れていかれた。別れは前日のうちに済ませ、見送りにも行かない予定だったので、まさかもう1度会うことになるとは思わなかった。
 波打ち際を並んで歩きながらもお互いに無言のまま時間が過ぎ、10分以上経った頃に承太郎が口を開いた。
「ここはおれがよく来ていた海だ、最後にあんたにも見せたかった」
「そういえばぼく達、会っても部屋でセックスするばかりでしたもんね。まあ、それでも良かったけど」
「目的はそれだけじゃあねえんだ」
 そう言うと承太郎は、掴んだ露伴の左手から指輪を抜くとそれを海に投げた。朝日を浴びたそれは小さな輝きを放ちながら、波に飲まれて消えていった。露伴は呆然としながらその様子を眺めるだけだ。
「最後まで話を合わせてやるつもりだったが、やめた。あんた本当は結婚なんかしてねえだろう」
「……っ」
「打ち明けられた後、あんたをずっと見ていて分かった。こいつは嘘をついていると。理由は分からねえが」
「ばれて、いたんですね……やっぱり」
「悪いが、最初から信じていなかった。だから最後の日は、嘘からあんたを解放してやりたくてな」
 もう何も聞かないと言われた時から感じ始めていた、不安の原因が今更分かった。承太郎は騙された振りをしていたのだ。そしてそれを認めたくなかった愚かな自分。
 用は済んだとばかりに、停めてあるバイクのほうへと歩き始めた承太郎の背中は、いつ見ても広くて逞しい。ベッドの中で何度も触れ、海に来る途中のバイクの後ろでも強くしがみついていた。
 遠ざかる承太郎はこちらを振り向かない。こんな終わり方は望んでいなかった。露伴は重い足取りで、砂浜に残されている足跡を追う。
 いっそのこと最後まで騙された振りをしてくれれば良かったのに、こんなところまで連れてきて真実を明かすなんて酷い男だと思う。それでも自分は、今でも承太郎を愛している。




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2014/1/26