愛と喪失





開けたドアの向こうに立っている承太郎さんは、何かがおかしい。
脱いだ白いコートを右肩に引っかけて持ち、煙草を口に咥えながら妙に冷めた目をしている。彼を見てすぐに感じたのは、強い違和感だった。

「助けてくれよ露伴、もうあんたしか居ねえんだよ!」

僕の両肩を掴みながら号泣している仗助越しに、僕と視線が重なった承太郎さんは真顔で口を開いた。

「……誰だ、てめえは」

無愛想な低い声に僕は呆然とした。一体これはどういうことなのか、説明してほしかった。


***


仗助に連れられて現れた承太郎さんの記憶を読んだ僕は、大きな衝撃を受けた。
空条承太郎17歳、東京在住の高校生。そして更にページを捲っていくと、彼の記憶はエジプトでDIOという吸血鬼を倒して日本に帰ってきたところで途絶えていた。 その先のページ自体は存在しているが、何も書かれていない。17歳以降から現在の年齢である28歳までのページは、白紙の状態だった。

「俺の目の前で、承太郎さんはホテルの階段から足を滑らせて落ちたんだ。しばらく気絶してて目を覚ましたら、俺のこともじじいのことも知らねえって……」

仗助は僕が出してきたティッシュで涙を拭き、大きな音で鼻をかんだ。どれだけ泣いたのか、目はすっかり腫れて真っ赤になっている。
テーブルを挟んだ向かい側のソファには、仗助と承太郎さんが並んで座っている。見た目だけだと普段通りの光景だが、今日は違う。
つまり承太郎さんは階段から落ちたのが原因で、17歳まで記憶が巻き戻ってしまったのか。漫画みたいな話だが、こうして目の前に突きつけられると参ってしまう。

「それで、僕のところに連れてきたってわけか」
「じじいはショックで寝込んじまうし、承太郎さんは自分を17歳の高校生だって言い張るし、俺だけじゃどうしようもなくてよお……あんたなら、きっと何とかしてくれるって思ったんだ」

多大な期待をされても困る。僕はドラえもんじゃないぞ。
心の中でそんな突っ込みを入れながら、僕はため息をついた。ここに来る前、承太郎さんはジョースターさんを見るなり『こいつは俺の知っているじじいじゃねえ』と言って、 ジョースターさんを青ざめさせたらしい。
そしてスピードワゴン財団にはこれまで通りの対応ができるはずもなく、未だに立ち直っていないジョースターさんが財団のほうに事情を説明したという。
ややこしい事態になっているようだ。話を聞いているだけで頭が痛い。
それまで黙っていた承太郎さんは、短くなった煙草を灰皿に落とした。僕は全く吸わない人間なので、この灰皿はいつもの承太郎さんのために用意していたものだ。

「目を覚ましてみれば、うるせえガキとわけのわからねえじじいが居るし、ここに来ればまた変な奴が出てきやがった。俺をどうするつもりだ」

当然ながら、承太郎さんは僕のことも初対面だと思っている。僕と彼の間で起こった、色々な出来事。ふたりで出掛けたり、泣き顔を見せてしまったり、身体を重ねたり。 それらは全て、僕だけが覚えている脆い思い出になってしまった。
しかし今、辛いのは僕だけではない。あの生意気な仗助がここまで落ち込んで、僕を頼ってきているのだから。
どうすれば解決できるなんて分からない、誰か教えてほしいくらいだ。僕のスタンドでどうにかできるものではない。

「今のあなたは、高校生なんかじゃありません。28歳の海洋学者で、アメリカには奥さんと娘さんが居るんです」
「17の俺が結婚なんかできるわけねえだろ」
「だから階段から落ちたせいで、あなたの記憶は17歳まで巻き戻っているんですよ」
「くだらねえ……俺を騙して、面白がってやがるのか」
「じゃあその指輪は何だ! それが僕が嘘をついていないって証拠だろ!」

苛立った僕の言葉に、承太郎さんは左手の薬指を見て舌打ちをした。しかもそれを外せば、長年はめているせいでしっかりと跡がついている。仗助が居る今は言えないが、 僕はその指輪の存在が気になりながらも彼に惹かれる気持ちを止められなくて、なるべく見ない振りをしてきた。
それなのにこいつは、何もかも忘れて涼しい顔で煙草を吸って偉そうにしている。誰のせいで僕はあんなに苦しんだと思っているんだ。大体そっちから迫ってきたくせに、今更何も 覚えていないとか、経緯はどうであれ腹が立った。姿は僕が知っている承太郎さんそのものなのが、余計に僕の胸を締め付ける。

「ジョースターさんのことも仗助のことも……僕のことも、絶対に思い出させてやる! それまでこの家から出さないからな!」

僕は承太郎さんを指差しながら、自分でもくらくらするほど強い口調で宣言した。
涙を拭いた大量のティッシュを握ったままの仗助、そして何も言わずに眉をひそめた承太郎さんが 僕に視線を向けている。もう、無理だのできないだのと弱気になって引き返すことは不可能になった。

「露伴……やっぱりあんたに話して良かった。承太郎さんのこと、頼むよ」
「……ああ」

仗助はソファから立ち上がり、ホテルに戻ってジョースターさんの様子を見てくると言い出て行った。玄関まで見送った後で戻ると、残された承太郎さんはソファに座って こちらをじっと見ている。その視線があまりにも強くて、僕は動揺した。やはり見た目だけは今までと同じせいで、目を合わせていると冷静になれない。

「お前と俺は、何かあったのか」
「別に……ただの顔見知りだ、変な関係じゃない」

墓穴を掘ってしまったかもしれないが、今の承太郎さんならどうせ深くは考えないだろう。

「さっきのガキやじじいとは、俺を見る目が違う」
「何でもないって言ってるだろ、余計な勘繰りをするな」

いつの間にか彼に対する言葉遣いも、崩れたものになっていた。自分のことを忘れられてしまった腹立たしさや悔しさのせいだ。
目を逸らしながら、僕は身体の震えを止められずにいる。
ソファのそばに立ったまま動かない僕に、承太郎さんが近付いてくる。思わず後ずさったが、易々と腕を掴まれて逃げられなくなった。その手から伝わってくる熱さで、抱かれた 時の感覚を思い出してしまう。

「本当に俺は28歳で、結婚していて子供も居るのか」
「信じる気に、なったのか」
「さっきからお前を見ていると、そんな気分になってくる」

唇が触れ合いそうな距離で、視線が絡む。このまま何もなかったように縋りついてしまいたい。抑えられない感情に翻弄されながら、僕は涙を堪えた。




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2011/6/6