思ったよりも致命傷 「何だ、この漫画は」 承太郎さんの声と、こちらに向けられる視線は恐ろしいほど冷たい。よりによって、見られたくない相手にそれを見られてしまうとは。あまりにも迂闊すぎた。 ひらりと足元に落ちてきた1枚の原稿を、ぼくは震える手で拾い上げる。ふたりの男がキスをしながらベッドで濃厚に絡み合っている濡れ場。キャラクター達のモデルは、ぼくと承太郎さんだ。 ふたりとも全裸で、顔や体型を似せているだけなら上手くごまかせただろう。 しかしお互いの名前を呼び合うコマで、吹き出しの中にぼく達の名前を書いてしまっている。 その1ページの最後でぼくの性器に絡めている大きな手の指には、結婚指輪のつもりで描いたものがはめられている。言い逃れができない確かな証拠が、揃いすぎていた。 「……それは」 「ここに描かれているのは、おれとあんただよな? 何かの間違いだと思いたかったが」 枕のそばに重ねて置いていたはずなのに、どうして絨毯の上に散らばっていたのか分からない。そのせいで、一緒にこの部屋に入った承太郎さんにも見られた。まともに思考が働かなくなっている。 「まさかこれを雑誌に載せるつもりだったのか、悪趣味な奴だな」 「違う……っ!」 30枚近い原稿がぼくに強く投げつけられ、拾われる前と同じようにばらばらになって絨毯に落ちていった。 原稿を読んだ承太郎さんの反応通り、ぼくと彼はただの知り合いで親密な仲ではなかった。 今日は外出先で偶然顔を合わせた彼を、強引に言いくるめてこの家に連れてきたのだ。 いざという時のために用意しておいた高級な紅茶と菓子を出し、リビングで世間話をしていた。その最中、寝室の引き出しが何故か開かなくなっていたことを思い出したぼくは、様子を見てもらおうとして承太郎さんと一緒にこの寝室に入った。 そこに置きっぱなしだった、例の漫画原稿の存在を忘れたまま。 ぼくは少し前から、承太郎さんと淫らな関係になる妄想をするようになっていた。妻子持ちの彼と想いが通じ合って身体を重ねるという、現実では絶対にあり得ない展開。それでも頭で思い描くだけなら自由だ。 そしてそれだけでは満足できず、自分の画力を最大限に生かして、あらゆる妄想を詰め込んだ漫画という形にした。どこにも発表する予定のない、自己満足のためだけに描いた原稿はもちろん全ページ無修正の過激なものに仕上がった。 興奮する場面だけを繋げて描いた原稿は、昼夜問わず自慰のネタとして何度も使った。後ろからぼくを犯した承太郎さんが中出しするコマにたどり着くと毎回、ぼくも同時に射精していた。 ぼく自身の汗と精液の匂いが染み込んだ原稿を、承太郎さんに全部読まれるという残酷すぎる事態。決して彼に、わざと見せつけたわけではない。 もう話すことはないと言わんばかりにこちらに背を向けた承太郎さんに、ぼくは無意識にしがみついていた。ずっと触れたかった、うっとりするほど広い背中。まさかこんな状況で感じることになるとは思わなかった。 「離れろ」 「……怒ってるんですね、ぼくの漫画のせいで。でも軽い気持ちで描いたわけじゃないんだ。どうしようもなくて、辛かったから」 「意味が分からねえ」 「ぼくは本気で、あなたのことを」 身体から力が抜けて、ぼくは足元に膝をついて座り込んだ。このまま承太郎さんが出て行った後、欲望まみれの原稿が散らばった寝室で抜け殻になるだろう。さすがのぼくでも、今回ばかりはそう簡単には立ち直れない。 承太郎さんが身を屈め、ぼくの顔を覗き込んできた。こんなに近くで目を合わせたのは初めてで、色々な意味で動揺する。 「そんなに溜まってやがるのか」 「えっ?」 「抜いてやろうか」 外見の雰囲気には似つかわしくない下品な言葉を囁かれる。ぼくは承太郎さんに冷たく罵られながらも興奮して、脱がなくても分かってしまうほど勃起していた。 ベッドに腰掛け、承太郎さんに背中を預けながら性器を扱かれている。想像よりも厚い手のひらがぼくの勃起したものを握って、上下に動く様子から目が離せない。 散らばったままの原稿でも同じ場面がある。しかしあれはふたりとも全裸で、ぼくは首筋や耳にキスされながら甘い気分に浸っていた。そんな都合の良い展開が現実に起こるはずがなく、ぼくだけが乱れて愚かな姿を晒している。 服の下でじわりと汗がにじみ、されるがままのぼくはもう少しで達してしまう。承太郎さんはぼくを愛しているわけではなく、しつこく迫られたので仕方なく付き合っているだけだ。 浮かんできた先走りが、承太郎さんの手を濡らしながら滑り落ちていく。 「っ、はあ……いいっ」 乱れるぼくとは逆に冷静な承太郎さんの呼吸音を繰り返し耳元で受け止めながら、目を閉じる。理想とはかけ離れていても、こうして触れてくれるだけでもぼくは。 「そんなにされたら、もう、出る……」 「出したいんだろう?」 「まだ、もっとゆっくり……したい」 「悪いがそろそろ帰るぜ、仕事の続きも残ってるんだ」 愛情の欠片もない言葉を吐くと、承太郎さんは亀頭の割れ目に指先を埋めて強めに刺激を与えてきた。それだけでぼくは敏感に反応して、声を上げながら絶頂を迎えた。 寝室にひとりで残され、ぼくは余韻に浸りながらベッドに転がっていた。動きたくない、連載用の原稿に手を付ける気分にもなれずにいる。 次に承太郎さんに会った時、普通に挨拶できるかどうかも分からなかった。この間はどうも、なんて言えるわけがない。 あの乾いた声や態度、汚いものを見るような表情。それらを思うと、あの人がぼくを好きになってくれる可能性は限りなく低い。色々と打ち砕かれた気がした。 だるさの残る身体をベッドから起こすと、散らばった原稿の1枚を手に取る。その中では涙を流すぼくを承太郎さんが優しく抱き締めてくれていた。そこでも左手薬指の指輪が見える、お気に入りのあざといアングルが使われている。 今ぼくが泣いても、現実の承太郎さんはこんなふうに慰めてくれることはない。 |