話術





 待ち合わせ場所のオープンカフェで、少し前まで女2人組と楽しそうに喋っていたジョセフに承太郎は背後からそっと近づくと、左肩を強く掴んだ。
「てめえは本当に若い女が好きだな、色ボケじじい」
「まっ待て承太郎!誤解じゃよ!」
 承太郎の低い囁き声によほど動揺したのか、ジョセフはびくっと肩を震わせると裏返り気味の声で言い訳を始めた。それを聞き流しながらジョセフの真向かいの席に腰掛ける。
「……そういうわけで、あのお嬢さん方とはさっき会ったばかりで変な関係になるチャンス、いや余裕なんかなかったわい」
「今、本音が出やがったな」
「それはともかく、お前が心配するようなことは何もないから安心しなさい。ちょっと話が盛り上がっただけじゃ」
「初対面でよくあんなに話せるもんだ、感心するぜ」
 巧みな話術で自分のペースに相手を巻き込む天才ぶりは昔からで、その歳になってもまだ健在とは。自分もこの男の血を受け継いでいるはずだが、話術どころか肝心なことすら上手く伝えられずに妻とは気まずくなる始末だ。
「難しく考えんでも、相手の喜びそうな話題を探って盛り上げていけばいいんじゃよ」
「さっぱり分からねえ……」
「そうじゃ承太郎、いいことを教えてやろう。口下手なお前にとっておきの魔法を」
 悪だくみを思いついた顔に見えなくもないが、実際に使えるかどうかはとりあえず聞いてから判断しようと考え、承太郎はジョセフの話に耳を傾けた。


***


 マンガ家の岸辺露伴とは連絡先は交換しているものの、今のところ単なる知り合いにすぎない。露伴との親密具合は承太郎よりもジョセフのほうが遥かに上回っており、共通の話題が多いのか親しげに話をしている様子をよく見かける。
 仗助いわく露伴はかなりの変態でとんでもないイカレ野郎らしいが、ジョセフと話をしている時の露伴は普通の礼儀正しい青年にしか見えなかった。もしかすると相手によって極端に態度を変えているだけかもしれない。
「承太郎さん、どうしたんですか。急に黙り込んで」
 町で偶然出会った露伴はいつも通りスケッチブックを抱えており、何かモチーフを探しているのかと思いきや、買い物に行くだけなのについ持ってきてしまったと苦笑いしていた。絵に関するものを持ち歩くのが習慣になっているのだろうか。
 単純にこちらを見上げられているだけでもおかしな気分になる。妻子持ちの立場でこの感情を抱えること自体、何かが間違っている。まさか、恋?
「それじゃあ、ぼくはこれで」
 その声で我に返ると、露伴が青信号が点滅している横断歩道を渡ろうとしていた。いや、このまま別れるわけにはいかない。以前はうまく会話が続かずに沈黙してばかりだったが、今日は違う。ジョセフから例の魔法を授かったのだから、露伴に試したい。まず女の子はギャップに弱いという情報は、相手が男なので必要ない。
 周囲を素早く見渡すと、ホットドッグの移動販売車が停まっていた。それを見て一瞬でひらめいた。
「先生、待ってくれ」
「え、何ですか?」
「夜のホットドックを食わねえか」
 露伴の腕を掴みながら口に出した途端、話が盛り上がるどころか明らかに空気が凍りついたように感じた。露伴の顔が引きつっている。
「おれが食わせてやる」
 移動販売車が去らないうちに財布を取り出すよりも先に、頬の辺りに痛みが走った。よろけるほどの衝撃はなかったが、怒りで眼光を鋭くした露伴の握りこぶしで殴られたのだ。
「昼間から何サカってるんだよ、ふざけるな!」


***


「おい、先生に嫌われたぜ」
 露伴に散々罵られた後でひとりになった承太郎の元に、タイミングよくジョセフから電話がかかってきた。赤ん坊のために紙おむつを買ってきてほしいという用件を蹴り、ジョセフから教わった話術が効かなかったと告げた。それどころか逆効果になったと。
『おやおや、おかしいのう。相手が悪かったのかのう〜?』
「呑気にしてんじゃあねえ、嘘つきじじいが」
『わしが女の子に言ってみたら、おじいちゃんったら面白いわねって言われて盛り上がったんじゃが』
 会話の中に「夜の〜」をつけると会話にユーモアが出て面白くなるというのが、ジョセフから授かった魔法だった。あまり深く考えなかった自分も悪いが、今思えば確かに知り合い程度の相手に言うべきではなかった。
 電話を切る直前に紙おむつの件をしつこく言われたが、返事はせずに通話を終わらせた。やはり人を頼らずに自力で道を切り開くべきだったかもしれない。努力をしても、すぐに口下手がどうにかなるとは思えないが。
「……承太郎、さん」
 携帯電話をポケットにしまいながら振り返ると、先ほど去ったはずの露伴がいた。いつからここにいたのかは分からないが、ジョセフとの会話を聞かれていた可能性は充分にある。
 今の露伴は怒りではなく、思い詰めた表情をしていた。
「もしかしてあなたは、ぼくのことその、好きなんですか?」
「何だ、急に」
「まさかあんなふうにストレートに誘われるなんて、びっくりしました。ふざけているのかと思ってさっきは殴ってしまいましたけど、よく考えれば承太郎さんが軽い気持ちであんなことは言わないですよね?」
「先生、おれは」
「いただいてもいいですかね、夜のホットドック」
 腕を絡ませて密着してきた露伴をどうしていいか分からず、こういう状況でかけるべき言葉も見つからなかった。




back




2014/2/11