懺悔室





ぼく達の関係はどう考えても健全なものではなく、行き着く先もたかが知れている。誰ひとり幸せになんかなれない。ふたりで犯した底知れぬ罪は、いくら懺悔しても許されるはずがないのだ。
数ヶ月ぶりに訪れたイタリアの教会は、前と変わらない姿でぼくを迎え入れてくれた。あの時と違うのはぼく自身が、教会で禁じられた写真撮影を行ったどころではない罪を背負っていることだった。
教会の中にある小さな懺悔室、確かカーテンの閉まるほうが神父の入る部屋だ。以前は知らなかったが、今度はあえて神父側の部屋に再び入る。またあの奇妙な体験でもできれば、心を覆っている重苦しさが紛れるかもしれない。 本物の神父が来て叱られたら、知りませんでしたと嘘をついてごまかせば済む話だ。カーテンを閉めて椅子に腰掛けると、どこか懐かしい気分になった。
数分留まっても向こうからは物音ひとつ聞こえない。さすがにまた美味しい出来事を期待するのは都合が良すぎるか。まだ行きたい場所が残っているので外に出ようとすると、小窓の向こうから何者かの気配を感じた。

「……ここは、自分が犯した罪を告白する場所だと聞いたんだが」

イタリアの教会に来ているのに、何故当然のように日本語を使っているのか。いや、それよりもぼくはこの声に覚えがある。決して忘れられない年上の男、聞くたびに欲情したあの声によく似ていた。小窓越しでは相手の顔は見えないので断定はできないが、ぼくの胸は恐ろしい速さで鼓動を刻み始める。
互いに別れを告げた今、もう連絡は取らないと誓った。全てを忘れようと努力してきたのに、小窓の向こうにいる名前も知らない誰かの声を聞いただけで、強引に抑えつけてきた感情があふれて止まらなくなる。これ以上は危険だ、しかし身体が動かなかった。

「ええ、その通りです。続けなさい」

外に出られないままぼくは、何とか冷静に答えた。かすかに声が震えたのは気のせいだ。

「おれは少し前まで、妻がいる身でありながら他に惚れた相手がいた。ずっと年下の若い男で、日本で漫画を描いて生活をしている」

何だこれは、偶然にしては出来すぎだ。それともこの世の中にはぼくが把握していないだけで、同性で年下の漫画家と不倫をする男が何人もいるってことか。無理矢理でもそう考えないと、どうにかなりそうだ。

「そいつとは色々あって別れることになった。だが情けない話、おれから別れを言い出したくせに今でも忘れられねえんだ。家族と過ごしていても、気が付くと頭に浮かんでいる。この懺悔室の存在も、そいつが教えてくれた」

そんな奴のことは忘れて、家族を大切にしたほうがいい。神父になりきってそう告げようとしたが、上手く言葉が出てこなかった。目の前の小窓すらも涙でにじんで見えない。
告白を終えたのか、再び物音がして声は聞こえなくなった。完全に気配が消えた後、ぼくは声を殺しながら泣いた。部屋を出た後でまた涙を流さずに済むように、また普段のぼくでいられるように。 ぼくだって本当は別れたくなかったけど、いつまでも続けられる関係じゃないから、傷が更に深くならないうちに終わらせることにした。みっともなく縋りつきたくなかったぼくは、強がりながら何かを言った気もするが覚えていない。
涙が止まった後で深呼吸をして、カーテンを開ける。今でも忘れらないとかそんな台詞、あの人に目の前で言われたら……今更有り得ないのに想像してしまう自分が嫌だ。
懺悔室から出た瞬間、まるでぼくを待ち構えていたようなタイミングで腕を掴まれて驚いた。振り向くと、懺悔室の陰から現れたひとりの男がこちらを見つめている。大柄で白いコートを身に着けた、誰よりも最低で今でも愛しい男。

「どうして、あなたがここに」
「あんたが今はイタリアにいると、仗助から電話で聞いた」
「まさか……追ってきたんですか? もう終わったのに」
「泣いたのか」

質問には答えずに男はぼくを懺悔室に押し込み、泣き腫らした目蓋に唇を優しく押し当てる。罪深い魂を浄化するためのこの部屋で犯す禁忌は、再びぼくの心を焼いた。




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2012/7/18