最後の1問を解き終えた時、何とも言えない達成感に包まれた仗助は、椅子の背もたれに身を預けながら両腕を伸ばした。これで明日は安心だ。 「すみませんでした承太郎さん。いきなり押しかけちまって」 「いや、俺もちょうど仕事が一段落したところだ。お前も頑張ったな」 隣で仗助の宿題を見ていてくれた承太郎がそう言いながら、冷蔵庫から缶コーラを出して仗助に手渡してくれた。ちょうど喉が渇いていたところだ。お礼を言ってプルタブを開ける。 時計を見ると、夕食の時間までにはまだ余裕があった。承太郎のおかげで気が引き締まり、宿題の進みが良かったのだ。 「あの……承太郎さん、もう少しだけここにいても大丈夫っすか?」 「好きなだけ、いればいい」 「ま、マジで!?」 嬉しいことにあっさりとお許しが出たので、仗助は嬉々としてコーラを飲み干した。 承太郎と一緒にいる時間はとても好きだ。誇り高い気持ちにになれる。しかし最近はそれだけではない、何だか妙に意識してしまう。血の繋がりがある関係なのに、まるで恋をしているようだ。 「どうした、仗助」 「えっ?」 「疲れているのか?」 急に何も言わなくなった仗助の顔を、承太郎が近い距離で覗き込んできた。視線が合った瞬間、身体中が熱くなる。やばい、と思いながら仗助は慌てて目を逸らした。 「だ、大丈夫……です」 声が裏返ってしまった、恥ずかしい。普通に接していきたいのに、これでは心臓がもたない。 翌日の夜、風呂から上がって部屋に戻った仗助は電話の子機を持ちこんで承太郎の携帯番号を押した。本人が電話に出て、声を聞いてしまうと、やはり緊張する。簡単に挨拶をした後で、早速本題に入った。 「え、っと……明日の放課後、また承太郎さんの部屋に行ってもいいっすか?」 『俺は明日、夕方過ぎなら部屋にいる。また宿題が出たのか?』 「違うんです、今度はただ、純粋に承太郎さんに会いたくて」 仗助が顔を赤らめながら言うと、電話の向こうが突然沈黙してしまった。今は相手の顔が見えないので、不安になってくる。 「あのっ、今のは承太郎さんが困るような変な意味じゃないですから!」 承太郎が困っていると思った仗助は、慌ててそう付け加えた。実はここ数日の間に、これは間違いなく恋かもしれないと考え始めている。空振りに終わるのは分かっているし、 親戚の、しかも男相手にこんな気持ちになるのもおかしいことだという自覚は当然ある。口から出てきた、会いたいという言葉はもちろん密かな恋愛感情から生まれたものだった。 しかしそれを承太郎に知られるわけにはいかないので、必死でごまかした。 『……分かった、また明日な』 先ほどまでの沈黙が、承太郎の声で破られる。電話が切れた後も、仗助はしばらく呆然とした。こんな調子で明日は大丈夫だろうか。 あの部屋の中、ふたりきりで。 放課後、億泰と別れた仗助は承太郎が泊まっているホテルへと向かった。昨日の電話中に流れた沈黙の理由が気になっていたが、承太郎はいつも通りの様子で迎えてくれたので、 せっかく来たのだからあまり考えないようにした。 「承太郎さんは今回の事件が解決したら、やっぱりアメリカに帰るんですよね……?」 「ああ、そうだな。じじいと一緒に帰る」 「そう……ですか」 テーブルをはさんで向かい側のソファに座っている承太郎の答えに、仗助は沈んだ表情で俯いた。予想していた答えだったが、実際に本人の口から聞いてしまうとやはり辛かった。 もう会えなくなるかもしれない。そうなれば、この気持ちはどうすれば良いのだろう。 血縁で、しかも結婚までしている承太郎に好きだと伝えてもきっと迷惑をかける。 「お前、昨日からおかしいぞ」 「別に、何も」 「悩みがあるなら話してみろよ。お前の力になれるかもしれねえ」 それは多分ない、と仗助は思った。承太郎が仗助の力になれるとすれば、それはこの気持ちを受け入れてくれることだ。 「俺はできる限り、お前の助けになりたいと思っている」 乱れている仗助の心に更に追い打ちをかけるように、承太郎がそう言ってきた。もう耐えられない。 「承太郎、さん……実は俺、ずっと」 少し震えた声で言い出した時、視界に入ったテーブルの上に1枚の写真が置いてあることに気付いた。そこには小さな子供を抱いた外国人の女性が写っている。 わざわざ教えてもらうまでもなく、このふたりは。 「すみません、やっぱり承太郎さんには言えねえ」 「……そうか、分かった」 正面で承太郎が目を伏せたのを、仗助は涙を堪えながら黙って見つめていた。 校舎を出て、数歩進んだところで足を止めた。校門のそばに、背の高い男がひとりで立っている。白いコートに同じ色の帽子、何度も見ているその立ち姿。他の人間と見間違えるはずがない。 仗助は息を飲んだ。学校の外に出るには校門を抜けるしかないが、足が動かない。しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。仗助はなるべく男と目を合わせないようにしながら、 再び歩き始め、校門を通り抜ける。 「仗助」 男は腕組みをしたまま、静かな声で呼びかけてきた。一瞬足を止めてしまったが、仗助は唇を噛みしめて前に進もうとする。 「無視するんじゃねえ」 「あんたに会いたくないんです、ほっといてください」 「最近、電話してもお前に繋がらなくてな。だからここに来れば、会えると思った」 「勝手なことされても俺、困るんすよ。マジで会いたくないんで」 目を合わせずに淡々と言うと、男は沈黙した。胸がどうしようもなく痛むのも、目頭が熱くなったのも、全て気のせいだ。そう思い込まないと自分は壊れてしまう。 「もう来ないでください」 男に対して発する言葉のひとつひとつは確実に、胸に刻んだ傷を大きく深いものにしていった。早くこの場を離れて、何もかも終わりにしたい。 もっと酷いことを言えば嫌ってくれるだろうか? 「仗助、お前はもう俺の顔を見るのも嫌になったのか。今までのことは全部忘れて、終わりにしたいのか」 強く握り締めた手に、更に力を込める。もう限界だと、身も心も訴えてきていた。 「それができるならこんなに悩んでねえよ! 人の気も知らねえで勝手なことばっか言いやがって、あんたのせいで、俺はっ……!」 急に腕を掴まれて、仗助の肩がびくっと跳ねる。 「お前と、ちゃんと話がしたい。今から俺の部屋に来い、嫌ならその辺の落ち着けるところでも構わねえ。だめか?」 「……承太郎さん」 この日、仗助は初めて男の名前を口に出した。 もうこの部屋に来ることはないと思っていた。母親に頼んで、承太郎からの電話に出ないようにして関わりを避けていたのだ。 自分が抱えている気持ちは承太郎を不幸にする。誰にも相談できず、本人に打ち明けることすらできない。それでも日を重ねるたびに、想いは強くなるばかりで消えなかった。 だから、わざと嫌われるような態度で接した。卑怯なやり方だと分かっていながら。 「俺は、承太郎さんが好きです。その、何て言うか恋愛的な、意味で」 とうとう言ってしまった。向かい側ではなく、大きなソファの上ですぐそばに座っている承太郎は、仗助の告白を黙って聞いている。 「でもずっと言えなかった。言おうとしたけど、承太郎さんとは血が繋がってるし。それに男同士だし、あんたは結婚してて家族いるし、最後まで言わない方がいいと思ってた」 1度は言いかけたが、承太郎の家族の写真を見た途端に、自分の愚かさを思い知った。 「受け入れてもらえるとは思ってないです。承太郎さんに迷惑はかけたくなかったから、もう会わなければ……嫌われれば、思い留まれる。だから俺はあんなことを」 仗助がそこまで言うと、承太郎の手が動いた。ソファに乗せていた仗助の手に触れ、包み込むように握る。 「確かに俺は、結婚していて子供もいる。自分の立場は分かっているんだが、この前の電話でお前に会いたいと言われた時は、嬉しかった」 手を握られながらそんなことを言われて、仗助は激しく動揺してしまった。承太郎の横顔を、信じられない気持ちでじっと見つめる。その唇が再び開いた。 「お前が俺に向けてくる好意がいつの間にか、心地良いものから、なくてはならないものになった。だからお前が隠し事をしていたり、露骨に避けられているのは耐えられねえ」 承太郎はいつも落ち着いていて気持ちが読みにくいので、かなり意外なことを言われて驚いた。とんでもなく、すごい告白を聞いている気分だ。 「あのままお前が背を向けて行っちまったら、俺はどうにかなっていたかもしれねえ。だが、こうして向き合えて安心した。なあ仗助、聞いてくれ。俺も……お前のことが」 仗助はその言葉の続きを遮るように、承太郎の唇に指先を押し当てる。聞きたくなかったわけではない、もし聞いてしまえばその後、自分がどうなってしまうか分からない。 今まで聞いた言葉だけでも、充分に報われた。想いが承太郎に拒絶されなかった、もうそれだけで。 ソファをきしませて身を乗り出してきた承太郎と、仗助の唇が重なった。 その熱くて甘い感覚は、永遠に忘れられない。 |