「なあー、トニオって結婚してんの?」 学校の帰りに偶然一緒になったトニオに、億泰は何気ない調子で問いかけた。 この町にもそろそろ冬の気配が訪れ、久し振りに冬物の上着などを引っ張り出してくる時期になった。億泰は昔買った派手なジャケットを着ているが、隣を歩くトニオは上質そうなコートを自然な感じで着こなしている。 これが大人か、と見るたびに思う。 「どうしたんデスか、急にそんなこと」 トニオはいつも通りの笑顔を崩さないままだ。 「その、なんつーか……最近のおれ達って付き合ってるって言っても、おかしくねえ感じだろ? だからもしあんたに奥さんとかいたら、やばいんじゃねーかなってさ」 ある日突然トニオから告白されて、しかもキスまでしている。今更ただの友達だとは言えない。今はそれ以上のことはしていないが、これから先はどうなるか分からない。 「億泰サンは、ワタシが浮気をするような人間に見えるのデスか?」 「そういうわけじゃねえけど、今のうちにはっきりさせておきたいだけだ。だって、おれは」 そこまで言うと、億泰は急に我に返って言葉に詰まる。今、自分はとんでもなく恥ずかしいことを口に出そうとしていた気がする。しかもこんな、誰に聞かれてもおかしくない場所で。 これまでずっと恋愛には縁の薄い人生を送ってきたので、その手の経験がないとこういう時に困る。 沈黙した億泰にトニオは苦笑すると、黒い手袋を左側だけ外して素手を見せてきた。更に手の甲を向けられて、その行動に億泰はどうすれば良いのか、反応に迷う。 「これがワタシの全てデスよ」 「……よく分かんねえ」 「左手の薬指、空いてるデショウ?」 「え、ああ、そういうことか。トニオの例え、すげえ分かりにくいな」 「ただ正直に答えるだけじゃ、面白くないと思いマシテ」 とりあえず不安は解消されたが、何となくいつも余裕のあるトニオをどうにかしたいという、おかしな気持ちになった。 再び手袋に指を通そうとしたトニオの手を、億泰は強く掴んだ。そして視線を合わせる。 「あんたの左手の薬指、空いてるって言ったよな。じゃあその指、おれにくれよ」 「えっ……?」 「そっちが先に、好きだって言ってきたんだぜ。おれのこと好きなら、構わねえだろ」 「億泰、サン」 先ほどまでトニオが見せていた笑顔は消え、代わりに驚いたような表情が浮かんだ。 「それとも、やっぱり本気じゃなかったのかよ」 「ワタシは、億泰サンのことは本当に」 真剣な顔で語り出したトニオの手を、億泰はそっと離した。 「別に、指を切り落とせって言ってるわけじゃないぜ。せめておれと付き合ってるうちは、その指は空けておけってことだよ」 億泰が言うと、トニオの表情が緩んだ。 「そういう意味デシタか」 「当たり前だろ、もしあんたの指がなくなっちまったら料理できなくなるもんな。トニオの美味い飯が食えなくなるじゃねえか……」 手袋を脱いで、すっかり冷えたトニオの左手を億泰は両手で包みこむように握った。驚かしてやるだけのはずが、予想もしていなかった甘酸っぱい展開になり、 逆にこっちが驚いてしまっている。 「億泰サン、ちょっと聞いてもいいデスか」 「ん?」 「もしワタシが料理を作れなくなったら、億泰サンはワタシを見捨てマスか?」 トニオにまっすぐに見つめられて、億泰は息を飲んだ。答えなんて決まっている。 「何くだらねーこと聞いてんだよ! あんたが料理できなくなったとしても、そんな理由で見捨てるわけねえだろ! 飯だけが目的で付き合ってると思ってんのか?」 白い息と共に、億泰はトニオに想いを伝えた。ずっと余裕のある大人だと思っていたトニオも、実は不安を抱えていたりするのだろうか。 故郷を離れて、慣れない土地で自分の店を持ち、誰の助けも借りずにひとりで働き続けている。それに比べて億泰はまだ子供で、人生経験はトニオの足元にも及ばない。 こんな自分でもトニオの支えになれているのなら、それだけで嬉しい。 「おかしなことを聞いてしまってスミマセン。さっきの億泰サンの言葉でワタシは、この国でアナタに出会えて本当に良かったと、心から思いマシタ」 寄せられたトニオの唇が、億泰の額に押し当てられる。冷えた空気の中でも、その部分だけは不思議な熱を生み出して億泰の身体を包み込んだ。 |