承太郎さんが窓の外を眺めながら話をしている相手は、彼の奥さんらしい。 携帯電話の向こう側と交わす言葉は英語だが、話せるのは日本語だけではないぼくには内容は大体把握できる。通話が始まって数分で、承太郎さんはどうやら奥さんとあまり 上手くいってないことが分かった。仕事の関係もありめったに家に帰らないようで、そこを延々と責められているようだ。 吉良の件がまだ解決していない今、アメリカに帰るのは当分先になる。承太郎さんが再び家族に会えるのは、一体いつだろう。 おれはそんなに立派な父親じゃない、という言葉を思い出す。この状況では当然、娘さんともまともに顔を合わせていないはずで、淡々としているようで実はかなり気にして いるのかもしれない。 数日前に初めてこの部屋を訪れた頃までは、承太郎さんは家族と上手くやっていて仕事もこなしている人間だと思っていた。仗助が犬のように懐いていて大騒ぎしているので、 関わりの薄かったぼくはよく分からないが、会って間もない高校生の憧れの存在になるくらい完璧な人間なのかと。 しかし、こうして顔を合わせて会話をしていくうちに思い込みは間違っていたと気付いた。たまに人の話を聞いていない時があり、しかも自分の得意分野の話になるとマニアック な知識を織り交ぜながら延々と語り続ける。 そしてかなり強いスタンドの持ち主らしいが、彼が実際に戦っているのを見たことがないので、どれほどの威力なのか想像し難い。この部屋でぼくが見ている承太郎さんは 奥さんをなだめたり口論したりと忙しい、ただの男だ。 仗助いわく、一緒にいると誇り高い気持ちになるという要素はどこにも見当たらない。誇り高くなるどころか、だめな人間の見本を見ている気になってくる。 「悪いな先生、変な話を聞かせちまって」 「いえ、気にしないでください」 まさかここで、奥さんとは大変なことになっているんですね大丈夫ですかとは言えずにぼくは、携帯電話を片手にこちらに向かってくる承太郎さんを眺めた。 彼はぼくの隣に腰掛けると、深い息をつく。 「聞きたいことがあるんだが」 「何でしょう?」 「相手に分かりやすく愛情を伝えるには、どうすればいいんだ」 「……既婚者のあなたが、独身のぼくにそれを聞くんですか」 「最近、どうもそれが上手くいってないようだ。離れているせいもあるんだろうが」 ぼくはまともに女と付き合った経験がない。なので愛情の伝え方を教えろと言われても困る。リアリティを追求するのが目的で、1週間だけ男女として付き合ってくれと言ったら 頬を引っぱたかれた。仕方がないのでスタンドを使ってその女の記憶を読み、使えそうな部分を破り取ったりもした。だいぶ前のことで、今では名前すら覚えていない。 「まあ、電話でどれだけ愛を囁いてもあまり効き目はないでしょうね」 「そうなのか」 「例えば、次に家に帰った時には玄関先で奥さんを抱き締めて……とか」 どこの少女漫画だというくらいベタな方法だが、それなりに効果はあると思う。相手をずっと待たせていたのなら尚更だ。 「なるほど、それじゃあ今から実践させてくれ」 「え?」 もしかして、ぼくを相手に試したいということだろうか。何を言い出すんだ。 「あんたが言うようなやり方には慣れてねえんだ、失敗する可能性もあるからな」 そんなに難しいことを提案したつもりはない。渋っていると、承太郎さんが眉をひそめる。 「自分の言葉に責任も取れねえのか」 「そういう問題ですか!?」 「意外に頼りないんだな」 こちらに向かってちらりと動いたその視線が、やけに挑発的だった。それに乗るのは面白くないが、馬鹿にされたまま家に帰るのはぼくのプライドが許さない。 1度部屋を出た承太郎さんを迎えるために、ぼくはドアの前に立って彼が入ってくるのを待つ。先ほど提案したシチュエーションを忠実にたどっていくために。 夫婦ならともかく、男同士であれをやっても盛り上がるのだろうか。しかし形だけでも練習しておけば、実際に奥さんと再会した時に少しは役立つはずだ。 やがてドアが開いて、帽子とコートを身に着けた承太郎さんが入ってきた。 「ただいま」 「……おかえりなさい」 打ち合わせ通りの会話の後、ぼくは伸びてきた腕に抱き寄せられた。女のように細くはないこの身体でも、その腕の中に収まってしまう。 これは、やばい。どんなに機嫌を損ねていた奥さんでも、こんなふうに抱き締められたらそれまでの頑なな心が嘘のようにとろけて、身も心も任せてしまいたくなる。 「長く待たせて、すまなかった」 会ったこともない奥さんにこれ以上なりきるのは難しいので、何も言わずにぼくは承太郎さんの背中にしがみつく。こんなに良い雰囲気をここで作れるなら、本番でも上手くいくんじゃないか。 ぼくが提案したのはここまでだが、承太郎さんはぼくを解放するどころか顔を上げさせると、唇を寄せてきた。その展開はいきすぎだ。 「悪い、止まらねえ」 短い呟きが聞こえた直後、唇が重なった。 彼を愛しているわけじゃなかった。立場を考えれば、深い関係になっても許される相手ではない。充分に分かっているはずだ、それなのに。 「これでいいか」 「っ、いい……」 唇が離れた後で囁かれた言葉の意味すら考える余裕はない。深く舌を絡めていなくても、わずかな時間の間に流れた濃密な雰囲気に、理性が崩された。 もっと欲しくなった自分以上に、思わせぶりにキスまでした承太郎さんが憎い。 back 2011/11/20 |