すぐ隣から感じた振動で目が覚めた。 町で用を済ませた後、疲れたのでバスに乗って帰ることにしたのだ。しばらく揺られているうちに、いつの間にか寝てしまったらしい。顔を上げて何となく隣を見た途端、 露伴は驚いて身を引いた。しかし動けるスペースが狭いせいで、上手くいかない。 ふたり用の座席で、隣に座っているのは承太郎だった。前の停留所からこのバスに乗ってきたようだが、疑問なのは他にも空いている座席はいくつもあるのに、わざわざ ここを選んだことだ。こちらの困惑をよそに承太郎は、涼しい顔でバスの進行方向を眺めている。 目を覚ました露伴に気付いたらしく、ちらりとこちらに視線を向けてきた。 「起きたか、先生」 「誰かのせいで狭くて、嫌な気分なんですけど」 「この椅子はバス会社が、客に座ってもらうために取り付けたものだろうが」 自分で言うならまだしも、他人に言われると腹が立つ。おそらく日本人の平均よりも長い足を組んでいるせいで、ますます座席が狭くなる。嫌がらせとしか思えない。 やはりこの男は苦手だ。最初は興味があって話しかけてみたものの、唐突に海の生き物についての語りを延々と聞かされ、その翌日にはバケツに入ったヒトデを持って家に 押しかけられた。仗助とは違う意味で調子を狂わせる。深く考えずに関わってしまったのは間違いだったかもしれない。 仗助と言えば最近、『あんた承太郎さんとはどういう付き合いなんだよ』と問い詰められ、面倒な事態になりつつあった。憧れの人を奪われると思い込んでいるようだ。 どういう付き合いも何も、ただの知り合いだ。妙な誤解は困る。 降りる停留所が近づいてきたので立ち上がりかけたが、承太郎は腕と足を組んだまま動かない。 「ちょっと、どいてくれませんか」 「この前、杉本鈴美に会ってきた」 「えっ……」 このタイミングで鈴美の話を持ち出され、強引に通路に出ようとしていた露伴は動きを止めた。愛犬と共に15年前から小道に留まり続けている、少女の姿をした幽霊。 まさか知らない間に、承太郎が鈴美と接点を持っていたとは。直接絡んでくるだけではなく、違う方向からもじわじわと攻め込まれているようで複雑な気分になる。 「芯が強くて、いい女だな。生きていればおれより年上か」 「まさか鈴美を口説くつもりですか」 「それも面白いかもな」 まるで挑発するように、承太郎が口の端を上げる。冗談じゃない。すでに結婚している男の気まぐれに、鈴美を巻き込みたくなかった。 降りる予定だった停留所を通り過ぎてしまったが、今はそれを気にしている場合ではない。 「世の中全部、あなたの思い通りにはなりませんよ」 「何だ、不満か? お前ら付き合ってるわけじゃねえんだろ」 確かに鈴美とはただの幼馴染で、向こうも露伴のことは弟のような存在にしか思っていない。成人した今の姿を見ても呼び方を変えないのは、多分そういう意味だろう。 それでも他の男に口説かれる鈴美を想像すると、冷静ではいられなかった。心の奥底ではひとりの女として見ているから嫉妬するのか。 「とにかく、あいつに手を出すのはやめてください」 承太郎が組んでいた足を崩した隙に、露伴は通路に出てバスの前方に向かった。次の停留所で降りて、さっさと家に帰る。しかし後ろから承太郎までついてきて言葉を失う。 「悪いな、おれも次で降りるんだ」 露伴の剣幕にも動じる様子も見せない。その時バスが大きく揺れ、倒れそうになった露伴の身体を背後に立っていた承太郎が支えた。こちらからしがみついたような形に なってしまい、かすかな煙草の匂いを感じながら悔しさで唇を噛んだ。 back 2011/9/25 |