告白日和 映画館の前を通った時、知っている人間が中へ入っていくのを見て仗助は足を止めた。 今ここで上映しているのは、テレビで何度か予告編を観たことがある、タイトルだけは覚えている恋愛映画だ。詳しい内容までは分からない。 先ほど見かけたのはこういう内容には興味のなさそうな人物だったので、意外に思った。 口には出さないだけで、実はこういうものが好きなのだろうか。 どんな顔をしてあの映画を観るのか観察してやろうと、財布の中身を確かめてから窓口に向かった。 中に入るとそれなりに席は埋まっていたが、目当ての席がちょうど空いていたので、遠慮せずにそこに腰掛ける。すると隣の人物がこちらの存在に気付き、よほど驚いた のか席から少し腰を浮かせながら声をかけてきた。 「お、お前……空いている席なら他にもあるだろう!」 「バスの中では近くに座らせたくせに、ここではダメなんスかあ?」 「今はここに座れとは言ってない!」 予想通り噛みつくような態度を取られたが、もう慣れているので平然と構えた。もちろん何を言われても他の席に移る気はない。金を払って入った意味がなくなるからだ。 今日は珍しく腹や腕を見せていない格好の露伴は、不機嫌顔になりながらもその席を動こうとはしない。上映時間が迫り、他の席に移るためにうろうろしている 余裕はないので、どうやら諦めたらしい。 やがて館内が暗くなり、画面に他の映画の予告編がいくつか流れた後で本編が始まった。元々これを観るために入ったわけではなく、話自体にも興味はなかったので、 始まって十数分で目蓋が重くなってきた。内容はやはり甘ったるい恋愛ものだ。お目当ての主演俳優でも出ていない限りこれは男ふたりで観るものではないと思った。 隣に座っている露伴は、だるそうな顔ひとつせずに真剣に観ている。しばらく経っても同じ調子だった。それだけですでに目的は果たしたようなものなので、ムードのある BGMを聴きながら仗助は眠りに落ちていった。 もうどれくらい眠っていたのか分からないが、額を何かで叩かれた痛みで目が覚めた。館内は再び明かりに照らされており、観客が外に出ていく様子が見える。 映画が終わったのだ。 「いい加減起きろ、何のために来たんだお前は!」 耳元で怒声を上げられ、ようやく意識がはっきりと戻ってきた。そしていつの間にか、露伴の肩に頭を乗せながら眠っていたことに気付き、慌てて離れる。 こちらに向けられる冷やかな視線が気まずい。 何のためと尋ねられても、それを言えば更に痛い目に遭いそうなので答えなかった。 黙っている仗助を置いて、露伴は席を立ちひとりで出口に向かう。いつまでも居座っていても仕方がないので、少し遅れてその後を追った。 映画館を出て、騒がしい町の中を歩く。 露伴よりも歩幅の大きい仗助は、すぐに追いつくことができた。 「真剣に観てたみたいですけど、先生ああいうの好きなんスか」 「ただの情報収集だ、別に好きじゃない」 「リアリティの追及だったりして、恋愛の」 仗助の一言に露伴が足を止める。険しい表情で睨まれたが、理由は分からない。 「まあ先生なら作り物の映画よりも、実際に経験して確かめるタイプですかねえ」 「くだらないな、創作のために恋愛をするなんて」 「いや、先生ならやりかねないかなと」 冗談半分で口に出した時、露伴に胸元を掴み上げられた。さすがに調子に乗りすぎたかと思い後悔したが、すでに遅かった。歩道の真ん中で始まったそんな様子に、 そばを通っていく大勢の人間の視線を集めた。少し下から向けられる鋭い視線に圧倒される。かなり腹を立てているようだ。 「何も知らないくせにいい加減なことを! 本当にむかつく奴だなお前は!」 乱暴に手を離され、身体がわずかにふらついた。露伴はそれ以上罵倒することなく、ひとりで先を歩いて行った。 勝手な推測だが、もしかすると露伴は誰かに恋をしていて、それが本気だからこそ馬鹿にされたと思ったのかもしれない。 相手はどこの誰かは分からないが、おそらく真剣なのだと悟った。恋愛の映画を観たくなったのも、その影響なのかと想像してしまう。 感じた不安と痛みで動けず、遠ざかっていく露伴を追うこともできない。 赤信号になりかけている横断歩道に露伴が足を踏み入れた。走れば間に合うだろうが、嫌な予感がする。数秒後に歩行者用の信号は赤に変わり、車道の向こうから自動車が 走ってくるのが見えた。下を向いたまま歩いている露伴は全く気付いていないようだ。 「露伴てめえ、何やってんだ!」 立ち止まっている場合ではなかった。仗助は出せる限りの速さで走り、まさに自動車と衝突する寸前だった露伴の腕を掴んで歩道へと引き寄せた。その力が強すぎたせいか、 ふたりで後ろに倒れ込む。 もし助けるのがわずかでも遅れていれば今頃、悲惨なことになっていた。死ななければ治せるという問題ではない。血まみれで動かなくなった露伴を想像すらしたくなかった。 地面から身を起こした露伴の顔は青ざめていた。小刻みに震えるその肩を掴み、こちらを向かせる。 「もう少しで事故るところだったんだぞ、分かってんのか!」 「僕はまた、お前に助けられたのか……情けないな」 「俺に助けられるのが嫌なら、しっかり周り見て歩けよ! 普段はあんなに偉そうなくせに、全然ダメじゃねえか!」 露伴の震えている手がこちらに伸ばされたが、仗助の肩の辺りに触れる直前、まるで弾かれたように離れていった。俯く露伴の姿を見て、何とも言えないもどかしい気分に なる。 先ほども今も自分達は周囲の注目を集め続けているので、そのせいでためらわれているなら仕方ないかもしれないが。もし他に理由があるなら気になる。知りたい。 「ここだと落ち着かねえから、どっかで話したい」 「……何の話だ」 「色々な、大事なこと」 人目も気にせず露伴の目を見つめながら言うと少し間を置いた後に、じゃあ僕の家で、という答えが返ってきた。 今まで伝えたくても口には出せなかった全てを話すなら、まさに今日がその時だと思った。もう嫌われていようが、露伴に好きな相手がいようが構わない。 全力で想いをぶつけた結果なら、拒絶されてもそれを受け止める。 仗助にとっての露伴は、もはや気になるだけの存在ではなくなってきていた。 この客間のソファには、もう何度も腰掛けている。その度に罵り合ったりと刺々しいやりとりを繰り返してきた。向かい側に腰掛けている露伴と目が合うと急に落ち着かなく なってくる。 今日こそは、という決意を固めていたはずなのに。ふたりの間に漂う空気がいつもとは違う。そんな形のないものの微妙な違和感さえ、はっきりと分かる。 「あんたって、好きな奴居るの?」 「それをお前に教えなきゃいけない理由でもあるのか」 「俺が聞きたいから」 露伴の肩が小さく跳ねたのを見逃さなかった。この反応、やはり思っていた通りだ。本人は常に余裕を見せているつもりなのだろうが、実はとても分かりやすい 性格だと知っている。 嫌いだと言いながらもたまに見せる矛盾に心を揺さぶられ続け、もう後戻りはできないところまで来てしまった。 「僕は今まで、漫画のことだけを考えて生きてきた。恋だの愛だのそんなものは……」 「くだらなくなんかねえよ」 「勝手に付け足すな。僕に好きな相手なんか、居ない」 「ちゃんと俺のほう見て答えてくれない?」 仗助はソファから立ち上がると、向かい側の露伴の隣に移動して腰掛ける。ごまかされているような気がして、距離を縮めて追い詰めた。 「俺は居るよ、好きな奴が」 「……そうか」 「わがままで強引で大人げなくて自己中で、周りを巻き込んでも平気な顔してる奴」 「そんなのが好きなのか、お前は変わってるな」 「でも俺が危なくなった時は、助けてくれたんだぜ。嫌ってるはずなのにおかしいよな。あれがきっかけで俺、そいつに惚れた」 トンネルでの件を思い出して苦笑する。あれが全ての始まりだった。それまでの嫌悪感は薄れていき、友情を期待するまでになった。そして時間が経つにつれて期待するのは 友情どころではなくなったのだ。 明らかに戸惑っているような視線を向けてきたが、すぐに逸らした。そんな露伴の手に触れ、包むようにして握る。そこから生々しく伝わる体温に興奮した。 「なあ、まだ気付かねえの?」 「何が……」 「俺の好きな奴って、あんただよ。露伴」 言ってしまってから、露伴の驚いた顔を見て急に恥ずかしくなった。熱い頬を隠しきれない。 生まれて初めて告白した相手は可愛い女の子ではなく、強烈に罵り合いを繰り返してきた年上の男だ。 それでも後悔はしていない、嫌な顔で拒まれたとしても。 言葉とは裏腹にやたらと絡んできたり、何だかんだ言いながらもこの家に呼ぶという不思議な矛盾を見せる露伴に、どこか期待をしていた。 少しでも、ほんのわずかでも受け入れてくれる可能性を。 露伴は何も答えないまま、仗助のほうを見ている。重ねられた手を振り払うこともせずに。 どんな形でもいい、本心が知りたい。焦れた気持ちが大胆な行為に向かわせる。 「今から俺、あんたにキスするから。嫌なら拒んでくれよ、そしたら全部忘れて諦める」 何もかも初めてのくせにここまで突っ走っている自分が怖いと思った。露伴の手を握る力を更に強くする。誰ともしたことのないくちづけへの不安は、ずっと 伝えられずに抱えてきた想いに塗り替えられていく。恐ろしいほど色濃く、鮮やかに。 ここで全てが終わるかもしれない、もしかするとここから新しい関係が始まるかもしれない。どちらに行き着くか分からないまま、露伴に唇を寄せる。 気持ちを抑えながらできるだけゆっくりと近付けているのは、拒むか受け入れるか決断の時間を与えるためだった。相手の意思を無視して無理に奪うことはしたくない。 あと数ミリの距離まで迫っても、露伴は動かなかった。膨らむ期待と緊張で身体が震えてくる。 「いいのか……もう、しちまうけど」 熱い息と共に告げた時、信じられないことに露伴のほうから仗助にくちづけてきた。あまりにも唐突すぎて一瞬、何が起きたのか分からなくなった。 想像していたよりも柔らかく、温かい唇の感触が心地よくてとろけそうになる。それは1度重なった後、離れていった。そして正面から鋭い視線で睨まれる。 「やるならさっさとやれよ、もたもたしすぎなんだよお前は」 「ろ、はん……今のって、えっ?」 「お前みたいな童貞丸出しの態度じゃ、雰囲気が台無しだ」 「ちょっ、いきなり童貞とか酷くないっスか!」 「何だ、違うのか? ん?」 刺々しい口調での追及に何も言えなくなってしまう。しかし顔を近づけただけなのに童貞丸出しだと罵られて、一体どちらが雰囲気を台無しにしていることか。 それともあれだけで相手の経験の有無を見極められるほど、露伴は色々と回数をこなしているのだろうか。あまり考えたくなかった。 「あの……俺とのキスを拒まなかったってことは、つまり」 「僕にあそこまでさせておいて、更に言わせるつもりか! 鈍感くそったれ馬鹿が!」 かすかに頬を染めた露伴が怒声を上げる。この流れはもしかすると、気持ちは受け入れられたと考えてもいいのか。拒まれても仕方がないと覚悟していたので、嬉しい。 それでもこのままでは格好がつかない。そう思いながら露伴の腰を抱いて自分のほうに引き寄せる。戸惑う露伴に、今度こそ俺から、と囁いてすぐに唇を奪った。 いきなり舌を入れることはできなかったが、先ほどのように優しく重ね合わせる。やがて露伴の両腕が仗助の首にまわされ、ふたりの身体が更に密着した。 服の布地越しに露伴の温もりや匂いも一緒に感じていると、露伴の濡れた舌先がまるで誘うように、薄く開いていた唇の隙間に入り込んできた。 しばらくの間この世の誰よりも幸せで、ひたすら甘い気分に浸った。 |