踏み出す一歩 本屋の新刊コーナーに積まれているピンクダークの少年の新刊が、他の漫画よりも少なくなっているのを見て露伴は口元に笑みを浮かべた。 自分の作品が他の漫画に劣るわけがない。編集部にファンレターを送ってくれる読者もそれを分かっているはずだ。単行本が売れているということは、数々の漫画が連載 されている雑誌の中でついでに読まれているのではなく、露伴の漫画だけを金を払ってでも読みたいと思われているということだ。 展開的に思わせぶりなところで続きを次週に持ち越し、読者が悶々としているところを想像するだけで身悶えするほどの快感を覚える。自分の才能が恐ろしい。 とりあえず見たいものを見て満足したので本屋を出ようと思った時、背後に人の気配を感じた。他の客かと思っていたところで突然、耳に息を吹きかけられた。 びくっと肩を震わせて振り返ると、そこにはもはや見慣れた人物の姿があった。 「ジョースターさん……」 「また露伴君と会っちゃった、うれぴー!」 最近その姿で現れる機会が多くなった若いジョセフが、軽い口調でそう言うと露伴の肩越しに新刊コーナーを覗き込んだ。 昔から漫画本を集めるのが好きだと言って いたのを思い出す。日本の漫画は漢字が読めないらしいが、かなり興味はあるようだ。露伴の漫画にも。 「こっちの漫画すげえな、日本語が完璧だったら読みまくるんだけどなー!」 子供のように嬉しそうに目を輝かせているジョセフの様子を見て、息子のほうとは反応が全然違うと思った。 この親子は顔立ちはそっくりでも、内面は全く違うようだった。年季の入った漫画好きのジョセフには是非、ピンクダークの少年を読んでもらって感想を聞きたいところだ。 「俺この前、露伴君の漫画ちょっとだけ読んだぜ。漢字読めねえからそれ以外と絵のところだけだけど、すげえ迫力! あ、仗助に漢字教えてもらいながら 一緒に読めばいいか!」 「あいつは僕の漫画は読まないですよ」 「え、仗助って君の漫画読んでないの? 何で?」 ジョセフは露伴の言葉に、本気で驚いた顔をした。何でと言われても困るのだが、事実なので仕方がない。俺は漫画なんか読まねえと言い切られて以来、 強制的に読ませる気にもならなかった。漫画家を目の前にして本気で失礼な奴だ。それが原因でちょっとした言い争いになったこともあった。 「おいエロじじい、こんなところでナンパしてんじゃねえよ!」 どこからか上がったその声と共に、ジョセフは何かで頭を叩かれた。現れたのは仗助で、丸めた雑誌を手にジョセフを睨んでいる。そして露伴と目が合うと わずかに表情を緩め、軽く頭を下げた。 露伴は仗助と一緒に本屋に来たわけではなく、全くの偶然だ。以前よりはお互いに打ち解けているらしいので、もしかすると親子揃って来たのかもしれない。 「仗助、もう買い物終わったのか?」 「これから金払ってくる」 「じゃあ俺、露伴君と一緒にここで待ってようかな」 笑顔でそう言うと、ジョセフは露伴の肩を抱いてきた。そのまま距離が近くなる。仗助は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。確か前にもこんなことがあったと思いながら、 背中を向けた仗助を何となく眺める。 ジョセフの少々やりすぎなスキンシップにいちいち反応していても、疲れるだけだ。仗助のほうもそう思っているのか、今日は挑発に乗る気配はなかった。 「仗助ってさあ、露伴君の漫画読んだことないんだって?」 「……それがどうかしたのかよ」 一度背を向けた仗助が再びこちらに視線を戻し、怒りをにじませたような声でジョセフの問いかけに応えた。この状況のせいでかなり機嫌が悪いようだった。 「普通、好きな相手が普段何に夢中になってるのか興味持つもんだと思うけどな」 「それはあんたの考えだろ、俺に押しつけんな」 「ちょっとでも読む気にならないってことは、実はそれほど露伴君に興味ないんじゃねえの」 ジョセフの言葉に3人の間に流れる空気が張り詰めた。この男は何故こんなにあっさりと、とんでもないことを言い出すのか。本当に露伴に興味がないのなら、あれほど 熱心に告白などしてこないはずだ。握られた手の温かさも、抱き締められた時の囁きも全て、本心から出たものだと思っていた。 仗助は初対面の日まで露伴の名前すら知らなかったらしく、漫画自体にも興味がない。それは露伴に告白してきた後も、全く変わらなかった。有名な漫画家としてではなく、 ひとりの人間として見ているのだと前向きに解釈できなくもないが、どこかもやもやしていた。言葉では説明できない何かが常に渦巻いていた。 本屋で親子喧嘩が始まるかと思っていたが、仗助は予想に反して困ったような顔をした。 「やっぱり俺って、あんたに誤解されてんのかな」 「何が誤解だ、漫画なんか読まねえと言った奴は誰だ」 「俺だけど……でもあの時は、違うことでも言い争ってただろ。昔からゲームばっかりやってて漫画は読んでなかったし、どうもあのノリが苦手で抵抗あんだよな。 でも別に描いてる奴を否定はしねえよ。もちろんあんたのことも」 そこまで言うと仗助はかすかに頬を赤らめて、頭を少し掻いた。照れているような仕草を見ていると、気持ちを乱されていく。 「あんたへの興味と漫画は別の話だから。そうじゃなきゃ好きになったりしねえだろ」 「こんなところで何を……恥ずかしい奴だな」 「誤解されたままよりは、ずっとマシだ」 仗助のそばに行きたいと思った。しかし意地が邪魔してその一歩が踏み出せない。ふたりきりならともかく、ジョセフも居るこんな人の多いところでは抵抗もある。 横に居たジョセフが突然、露伴の背中を軽く押してきた。すっかり気を緩めていたのでしっかりと自分を支えることもできず、正面に立っていた仗助の肩を掴んでしまった。 「じょうすけー、俺ひとりでホテル戻るから」 「何だよじじい、急に」 「後は若い子同士でよろしくやってちょーだい」 そう言ってジョセフはひらひらと手を振りながら、店を出て行く。まさか仗助とふたりで残されるとは思っていなかった。 仗助を挑発したと思えば気を利かせるような真似をしたり、ジョセフという人間がますます分からなくなる。 とりあえず離れようぜ、と言われて我に返った。いつの間にか周囲の視線を集めていることに気付き、慌てて仗助から数歩離れた。 「先生これから何か、予定あんの?」 「家に帰るだけだ」 「ついて行っても……いい?」 遠慮がちにな言葉とは逆に、こちらを見つめる目には押しの強さがはっきりと感じられる。何がなんでもついてくる気だ。 「好きにしろよ」 「マジで! あ、これの金払ってくる!」 笑顔になった仗助は、手にしていた雑誌の代金を払いにレジへ走って行った。うまく乗せられたような気もする。 しかしいつの間にかずっと胸に渦巻いていたものが晴れていて、少しだけ良い気分になった。 |