いばらの檻/後編 ベッドに押し倒された体勢でこちらを見上げているジョセフは、驚きひとつ見せずに薄い笑みを浮かべている。 まるでこうなることを予想していたかのように。もしくは面白いことになったと思っているのか。どちらにしても自分は完全にこの男に翻弄されているというわけだ。 先ほどまで、こいつはジョセフの記憶を奪い取った別人だと考えていた。昔のジョセフとは繋がらない部分が目立ちすぎる、違和感を強く感じていた。 しかしこちらを射抜いてきた目は、まさに承太郎が知っているジョセフのものだった。幼い頃と、そして50日間の旅で共に過ごし、戦ってきた祖父。完全に否定していた ものが揺れ始めた。姿や性格が違っていても、この男は間違いなくジョセフ・ジョースターなのだと思い知らされてしまった。 「で? これからどうすんの。俺にムラムラきたんだろ、このまましちゃうか?」 「何を言っている……あんたは俺の」 「いいじゃん別に、俺は気にしないぜ」 「マジでいかれてんのか、じじい」 2度目の不倫に続いて近親相姦とは。確かに承太郎はジョセフに対して良からぬ感情を持ち続けていたが、今まで実行に移すことはしなかった。越えてはいけない領域くらい は分かっているからだ。再び這い上がることができなくなる場所まで堕ちることは避けたかった。 この男がジョセフならば、しっかりとブレーキをかけなければ。 承太郎は頬に伸びてきたジョセフの手を避けるように身を離し、1歩下がって距離を取る。 「なーんだ、つまんねえの」 「これ以上付き合っていられるか」 「俺、露伴君とは別れないぜ」 ジョセフに背中を向けて部屋を出ようとした途端、聞こえてきた声に足を止めた。 「本当はお前、あの子と別れるように俺を説得するために来たんじゃねえの?」 「……何を言っても無駄ってことが今、分かったぜ」 「露伴君が終わりにしたいなら別だけど。それに俺がいつまでこのままでいられるかも、分かんねえしさ」 「あんたは望んでいるのか、じじいを乗っ取っているような状態を」 「俺っていうより、お前がよく知っているジョセフが望んだことだよ」 意味深なことを言われてようやく振り向いた先では、いつの間にかベッドに入ったジョセフが頭まで布団をかぶせて寝ていた。 普段は調子の良いことばかり言っているが、時々あんなふうにこちらを揺さぶるようなことを口に出す。ずるい男だと心底思い、承太郎は重いため息をついた。 翌日、昼過ぎに部屋を出ると、岸辺露伴がジョセフの部屋の前に立っていた。こちらの存在には気付かないままドアを何度かノックした後、返事がないのを確認するとその 場所から立ち去ろうとする。 露伴君とは別れないぜ、という昨夜のジョセフの言葉が頭によみがえった。あれは多分本気だ。説得する前に先手を取られてしまった。口の上手さでジョセフに勝てるとは 思っていなかったが、こちらの考えまでしっかりと読まれていた。そういえば昔から相手の考えを先読みしたり、揺さぶったりするのが得意な男だった。 承太郎は無意識のうちに、露伴の名前を呼んでいた。彼はこちらを見るなり、どうも、という一言と共に軽く頭を下げる。 「僕に何か用が?」 「あんたに話がある」 「ジョースターさんのことですか」 何も言わない状態で見事に指摘されて少し驚いていると、露伴は真顔でこちらを見据えてきた。当然ながら愛想はどこにも見当たらない。 「分かりますよ、承太郎さんが僕に用といえばジョースターさんのことか、あのくそったれ馬鹿のことしか思いつきませんから」 ジョセフの他に、露伴とは犬猿の仲である仗助を遠まわしに示す。その表情や言い方からしてあからさまな嫌悪ぶりで、本当に仲が悪いようだ。 ここで長々と立ち話をする気はなかったので、承太郎は露伴を自分の部屋に招き入れた。自分はそれほど饒舌なほうではなく、露伴のジョセフへの執着具合によっては完全 に押し負ける可能性もある。 それを分かっていながらも引くわけにはいかない。 テーブルを挟んだ向かい側の椅子に座る露伴に、承太郎は1枚の写真を手渡した。11年前の旅の最中に、共に戦ってきた仲間全員で撮ったものだ。 写っている仲間の中で、今この世に居るのは半数になってしまったが。 写真を持っている露伴の手は、そこを酷使するはずの漫画家にしてはきれいだと思った。 「犬を抱いているのが、ジョースターさんですね」 「……ああ」 よく分かったな、と言おうとして口を閉ざした。どれがジョセフなのかを教える前から、露伴は正確に言い当ててきた。しかもこの中にジョセフが居るとは 言っていない。ジョセフの記憶を読んで過去を知っているのかもしれないが、教えるのはもはや野暮だというわけか。 「あんたの言うとおり、そこに写っているのは11年前のじじいだ。今は若返ったり戻ったりと不自然な状態だが、年月と共に歳を取っていくのが、人間の正しいあり方だと 思わないか」 「まあ、そうですね」 「早速本題に入るが、じじいと別れてくれ」 「お断りします」 写真から視線を離さぬまま露伴は、一瞬の間も開けずに答えた。はっきりとした口調で、何のためらいも感じさせない様子で。そしてようやく顔を上げる。 「何故僕が、今までろくに話もしたことのないあなたの命令を聞かなきゃいけないんですか」 「命令のつもりはないが」 「じゃあお願いですか? それにそこまでして、僕とあの人を別れさせたい理由は?」 「俺は、じじいが若返り始めたのはあんたの影響だと思っている」 そう言うと、目の前の露伴は一瞬驚いたような表情になった。 承太郎は自分なりに、ジョセフが若返った原因を改めて考えてみた。最近の様子からして、息子と同じくらい歳の離れた露伴と対等に付き合うためだと予想した。 そして今ではすっかり、念願叶って不倫状態だ。ジョセフは以前から、露伴のことを気に入っていたという事実も含めての予想だった。 「僕の影響? 本気でそう思ってるんですか?」 「他に何があるんだ。あんたが離れれば、じじいは若返る必要もなくなる」 少しの沈黙の後、露伴は冷めた表情でため息をついた。そして今まで持っていた写真をテーブルに置くと、 「承太郎さん、あなたはジョースターさんのことを何も分かっていない」 「他人のあんたに、じじいの何が分かる」 「僕はあの人に愛されていますからね、これは自信を持って言える」 まっすぐに突き刺さってくる、敵意を含んだ視線が痛い。これは相当な執着具合だ。出会ってからそれほど長い時間は経っていないはずのジョセフの、どこをそれほど気に 入ったのだろう。こちらはそれなりの出来事や年月を経て、今の感情にたどり着いたというのに。 「喧嘩で何度も投獄された問題児は、やがてニューヨークの不動産王になった」 限られた人間しか知らないはずのジョセフの過去を、露伴は唐突に語り始めた。ジョセフのことを口に出した途端にその表情は少しだけ緩んだ。 本人から聞いたのか記憶を読んだのかは分からないが、ジョセフは自身の武勇伝を自ら言いふらしたりはしないので、多分後者のほうだろう。 「ジョースターさんって面白いですよね。軍用機で火山に突っ込んで死ぬどころか、噴火のエネルギーを使って敵を地球の外へと吹き飛ばした。そんな発想も強運も、 とても興味深い。普通の人間とはスケールが違う。僕があの人を尊敬しているのは、そういうところですよ」 「あんたはそれだけで、じじいを好きになったのか」 「興味を持てなければ、愛情も生まれませんから……それにしても、あなたにはがっかりしましたよ。この町に、あの人が来た理由を考えれば全て分かるはずなのに」 そこまで聞いて、ようやく理解した。自分がよく知っているジョセフが本当に望んでいたものを。承太郎は露伴から視線をずらし、唇を噛んだ。 ジョセフに執着している露伴の存在に惑わされて、愚かなことに何も見えていなかった。血縁である仗助のことが。 透明の赤ん坊を連れて帰ってきた日、仗助とは色々あったが少し打ち解けることができたと語っていた。やはり初めて顔を合わせた息子とは気まずい雰囲気だったのかも しれないと単純に考えていたが、もっと詳しく話を聞けば良かったと悔やんだ。そうすればおかしな勘違いをすることもなかったのに。 ジョセフが急に若返ったのは、その一件のすぐ後だった。仗助と居る間に多分、今の自分をもどかしく思った出来事があったのだ。 「ジョースターさんがこの町で一番、理解を求めていたのは仗助ですよ。まあ、僕との関係が知れたら理解してもらうどころじゃなくなると思いますけど」 露伴はその後、交渉決裂ですねという言葉を残してドアのほうへと向かう。遠くなる背中を見ながら、承太郎の中でそれまでとは違う感情が生まれて抑えられなくなった。 「先生、最後に言っておくことがある」 「何ですか」 「あんたとじじいの関係は、仗助を酷く傷つけることになるぞ。それを分かっているのか」 承太郎の言葉に、さっさと出ていこうとしていた露伴の足がぴたりと止まった。彼は仗助のことを嫌っているので気にしていないように見えたが、少しは罪悪感を抱いている ようだった。そうでなければ、露伴の神経を疑う。そして当然ジョセフも同罪だ。 「分かってますよ……でも、僕はもう」 先ほどまでとは違う、かすかに震えている声。その続きを言わぬまま、露伴は部屋を出ていった。血縁以外はめったに入れることのない部屋に、再び沈黙が訪れる。 仗助に知られる前に終わらせなければいけない関係を、承太郎は止めることができなかった。しかしもうひとつだけでも、力のある言葉が欲しかった。 ジョセフが巧妙に造り上げた檻の中で狂わされたのは、すでに自分だけではないのだから。 |