保健室で逸脱/3





「聞いたぜ、昨日の放課後の話」

覚えのある声がして振り返ると、白衣の青年が立っていた。腕組みをしながら壁に背を預け、眼鏡の奥の目は愉快そうに細められていた。
校医の岸辺露伴。保健室に来た生徒が本当の病気かどうかを一瞬で見極め、仮病だと分かればすぐに追い出す。恐ろしいほどの判断力と容赦の無さから、生徒の間では閻魔の岸辺とも呼ばれている。
自分の城である保健室ではやりたい放題で、私物のコーヒーメーカーや小型のテレビまで持ち込んでいる男だ。その分、仕事の腕は確かなようだが。

「……知らねえな」
「階段から落ちそうになった女子を、身体を張って助けたそうじゃないか」

言われてようやく思い出した。授業が終わったので帰ろうとした時、階段のそばで友人達とふざけていた女子生徒が足を踏み外し、転げ落ちそうになったところを支えた。それだけの話だ。 その後は近くにいた女子生徒達に囲まれ大げさに騒がれたせいで、楽しみにしていた夕方からの相撲中継を少し見逃してしまった。

「『ジョジョってやっぱり優しいのね、素敵!』って噂してたぜ。色男」
「うるさい女に好かれても、迷惑なだけだ」
「お前なら何年の女子でも選び放題だろうに、もったいないな」

笑う露伴を睨むと、承太郎は煙草を吸うために屋上へ向かった。
授業に出るかどうかは別として、とりあえず学校へ毎日行く気になったのは露伴の影響が大きい。特に厳しく説教されたわけではなく、今まで会ったことのないタイプの人間なので興味を持ったのだ。
あの白衣の下には、大胆なデザインの服が隠されている。引き締まった細い腰が今でも忘れられない。


***


用もなく歩いていた夜の街で、信じられないものを見た。
ビルの地下に続いている階段から、露伴が出てきた。人目を避けるようにして存在しているその地下にあるのは、一般人ならまず近づかないアングラな雰囲気のバーだ。
肌の黒い外国人や、怪しい関係を思わせる男ふたり組が出入りしているのをよく見かける。承太郎も足を踏み入れた経験はないが、店内で密かに何が行われているかは薄々と想像できる。
そんな空間にまさか露伴が。しかし今のは間違いなく本人だ。 声をかけようとしたが、いつの間にか視界から露伴の姿は消えていた。


***


翌日の昼休みに保健室へ行くと、露伴がコーヒーを飲みながらクッキーをつまんでいた。
甘い物を好むイメージではなかったので意外だ。

「幼馴染の海外土産だよ。ぼくだけじゃ食べきれないから、手伝ってくれ」

承太郎が近くからパイプ椅子を持って来る間に、露伴はこちらの分のコーヒーも淹れてくれていた。用がないなら帰れ、と追い出されていた以前よりは態度が柔らかくなっている。
机に置かれている丸い形の缶には、色々な種類のクッキーが詰められていた。

「ずっと年上の、世話好きな女でね。どういうつもりなのか、今でもぼくを子供扱いするんだ。いい加減、露伴ちゃんって呼ぶのは……」

コーヒーの入ったマグカップをこちらに手渡しながら、急に露伴が気まずそうな顔をして話を止めた。うっかり余計なことを口走ってしまったという感じだ。

「どうした」
「いや、何でもない」
「大丈夫か、露伴ちゃん」
「おい……!」

面白そうなので幼馴染の呼び方を真似すると、動揺した露伴が少し頬を赤くする。一部の生徒からは恐れられている校医も、こんな表情をするのか。

「昨日の夜、街であんたを見かけた。地下の店から出てきただろう?」

そう問いかけると、露伴の顔色が一瞬で変わった。やはり人違いではなかったのだ。

「見てたのか、お前」
「あそこは普通の飲み屋じゃねえよな」
「ぼくがどこで何してようが、お前に関係ない」
「ただ、気になるだけだ」

しばらくの沈黙の後、俯いていた露伴はコーヒーに口をつけてから再び話を続けた。

「……最近、仕事で色々あったから気分転換にな。そういう店だから知らない男に声をかけられたりしたけど、話をしただけで変なことはしていない」

あの店で男に口説かれて、そのまま行為に及んだ露伴を想像していた。外国人の逞しい男に貪られて、気持ち良さそうに喘いでいる姿を。どうやらそれは勘違いだったらしい。

「疲れていたのか」
「まあ、な。大人だからさ」

何気なく子供扱いされている。そう思いながらも、露伴が普段より隙だらけだと気付いた。
そういえば風紀委員会顧問の教師に目を付けられているという噂は本当だろうか。 白衣の下に着ている大胆な服や、私物まみれの保健室の様子。見る人間によっては目くじらを立ててもおかしくはない。疲れの原因はそれか。
この隙に乗じて、露伴との距離を縮めようとする自分は卑怯だ。また噛まれるかもしれないが、膨れ上がった欲望を抑え続けるのもそろそろ限界だ。

「先生、息抜きしねえか」
「お前と?」
「わけの分からねえ野郎に、あんたを食われるのは腹が立つ」
「すごい告白だな……もしかしてさっきの話で、嫉妬してるのか?」

ゆっくり立ち上がった承太郎を、顔を上げた露伴が何も言わずに見ている。唇を近づけると、前のように抵抗する様子もなく露伴は素直に目を閉じた。




4→

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2012/4/16