愛しい面影/前編





朝食が出来上がったというのに、パンやサラダを並べたテーブルに同居人が来る気配が全くないので露伴は苛立っていた。
こちらもあまり気の長いほうではないので、先に食べてしまおうかとも思った。しかしそれを実行に移せないのは、やはり内心では一緒に食べ始めたいという気持ちがあるか らだろうか。それほど愛情を注いでいる事実を突きつけられた気がして、胸の奥が熱くなった自分に動揺する。
何とかこの状況から逃れるために椅子から立ち上がると、洗面所に向かう。そこには小さな台の上に乗って鏡に向かっている、小さな子供がいた。櫛とドライヤーをそれぞれ 両手に持ち、髪を思い通りの形に整えるために奮闘中だった。毎朝これが繰り返され、慣れているつもりだったが今日は時間がかかりすぎている。

「おい仗助、さっさと終わらせろよ! 朝食とっくに出来てるんだからな!」
「ま、待ってくれよお! なかなか思いどおりに決まらねえんだよ!」

慌てながら櫛で梳いている髪の間からは左右にふたつ、小さな三角形のものが飛び出している。そして尻には、ふさふさとした茶色の尻尾。仗助という名前のこの子供 は、犬と人間をかけ合わせて生まれた存在だ。
何となく立ち寄ったペットショップで、普通の犬や猫に混じって売られていたのが仗助だった。汚れた服を着て檻の中に入れられ、店の中を眺めていた露伴をまっすぐな目でじっと見ている姿は、 飼い始めてから1ヶ月近く経った今でも鮮明に思い出せる。別に本気でペットを飼いたかったわけではなく、店には暇つぶしに入っただけだ。
どのような経緯でここにたどり着いたのか分からない生き物に関わっても、面倒なことになるに違いない。 縋るような目を向けてくる仗助から視線を逸らして、1度は店を出ようとした。
しかし仗助の傷付いたような表情が脳に焼きついて離れず、結局は店員を呼び、同じ店に並んでいる動物達より高額な仗助を買うことになったのだ。
人間に例えると小学校の低学年ほどの年齢である仗助は、人間の言葉を理解してある程度の知識もある。印象的だったのは、大昔の漫画に出てくるような時代遅れの髪型に異常に こだわっているという点だ。理由を聞いてみたが、どうやら自分の胸にだけ留めておきたい大切な秘密のようで教えてもらえなかった。
再びテーブルに戻って数分後、ようやく仗助がやってきた。嬉しそうに尻尾を振りながら向かいの椅子に座り、小さな両手でパンを掴んでかじる。
普段から甘やかしているつもりはないが、自分は仗助に懐かれているようだった。
口の周りにパンくずを付けながら、マグカップの中のミルクを飲んでいる仗助と目が合った。無邪気に微笑んでくる様子に、愛しさを感じ始めたのはいつからだろうか。


***


こんなはずではなかった。ソファの背もたれにしがみつきながら、露伴は混乱した頭をどうにかして落ち着きたかったが、衣服ごしに伝わってくる体温に心を乱されてしまう。

「……お前、こんなことしてただで済むと思っているのか!?」
「怒ってんの? でも今更止められねえんだよ……なあ、露伴」

熱っぽい声で囁かれ、逞しい胸元が背中に押し付けられる。尻の辺りに固いものが触れて、ぞくぞくと震えてしまう。今まで知らなかった雄の匂いが染み込んでくる気がした。
昨日までの仗助は、確かに小さな子供だった。柔らかな頬も手も、夢ではなくしっかりと記憶に刻まれている。その手を繋いで町を歩き、寝る前はその頬にくちづけをして いた。心が和む甘い雰囲気には常に癒されていたのに、今ではこんな事態になっている。
いつも通り同じベッドで身体を寄せ合って眠り、今朝目が覚めた途端に全身から血の気が引いた。それまでの仗助とは違う、露伴よりも大柄になり顔立ちも大人びた男が至近距離で 寝息を立てていたのだ。
露伴は慌ててパソコンを起動させ、仗助に関するありったけの情報を検索サイトに打ちこんで調べてみると、やがて信じ難い事実が発覚した。仗助の種族は子供の頃、飼い主から愛情を 強く注がれるほど成長が早くなるという。人間ならあと10年近くは経たないと、あの幼い状態からここまでは成長しない。今は多分、高校生くらいの年齢になっている。
これまで着せていた服が入らなくなり、露伴のものを貸しているがそれでも窮屈そうだった。
発情期なのかどうかは知らないが、背後から息を荒げながら露伴を抱き締めてくる。擦りつけられている仗助の性器が、更に大きく硬くなっているのが分かった。

「あ、やめ……ろっ」
「今のおれが小さなガキじゃねえから、嫌いになったのか? もうキスもしてくれねえの?」

耳を軽く噛まれると、短く声を上げてしまった。こんな行為を教えた覚えはない。
大きな手で肩を掴まれ、身体を仗助のほうに向かされた。目を細めて露伴の唇を奪う仗助は、仕草も含めてどこか色気がある。犬の耳と尻尾は相変わらず存在を主張していて、そこだけは 昨日までの幼い仗助の面影を残していた。




後編→

back




2011/12/22