猫と恋心





誰だお前、と露伴が問いかけても男は笑みを浮かべるだけで何も答えない。
大きな飾りのついた改造学ランに身を包んだ、体格の良い高校生。髪型と顔立ちだけなら近所に住む知り合いに似ているが、あれはまだ小学生だ。この男とは何の関係もないはずだ。
腰掛けていたベッドに押し倒されて、男と身体が重なる。抵抗しようとしたが、頭の上についている黒い猫の耳に息を吹きかけられた途端に力が抜けた。
露伴に猫耳や長い尻尾がついていても、男は驚かない。そんなことは最初から知っていると言わんばかりに冷静だ。

「やっと会えたな、すげえ嬉しい」
「お前なんか知らないぞ」
「この姿の俺のことは、な」

わけのわからない話をする男からは、かすかな香水の匂いがする。そして耳にはピアス。
高校生のくせにやたらと色気づいていて、どこか気に入らない。交わした会話もまだ短い初対面の相手であるはずが、すでに敵意を感じていた。
こいつとは気が合わない、くそったれ馬鹿だと自分の中の何かが囁きかけてくる。

「あんたが好きなんだ……気持ち良くしてやりてえんだよ」

男の指が、頭上の猫耳から頬へと撫でるように動いていく。そして唇に触れた時、露伴は無意識にそれを前歯で軽く噛んでいた。痛みを与えるためではなく、胸の奥から生まれて きていた淫らな欲望に操られたのだ。
この男に対する感情は敵意の他にも、めちゃくちゃに犯されてみたいという真逆の願望もある。普段は抑えているものを発散させるかのように。

「露伴は猫なんだよな、可愛く鳴いたりしねえの? にゃーんって」
「僕は人間だ、誰が鳴くか!」

この猫耳も尻尾も、生まれつきのものではない。自宅の庭に入り込んだ黒猫を追い出した翌朝、いつの間にか生えていたのだ。しかし最近は魚の匂いに反応したり、身近にある ものを引っかいていたりと明らかに猫化が進んでいる。あの猫の呪いとしか考えられない状況の中、解決策は未だに見つかっていない。
唇が重なった途端、ぎゅっと胸が苦しくなった。目を合わせているだけで苛々する男からのキスは何故か、今までずっと欲しかったものをようやく与えられた気分になる。
自分の中で渦巻いている、複雑な感情に戸惑う。勝手なことを言われたり強引に唇を奪われても、拒絶できない。
濡れた舌先を絡ませているうちに、意識が溶けていった。


***


「……はん、露伴ー!」

肩を揺すられて目が覚める。テーブルに伏せていた顔を上げると仗助が、じっとこちらを見ていた。幼いその顔を眺めていると、先ほどの夢を思い出す。仗助がもう少し成長すればああいう感じに なるかもしれない。そう思うほど、ふたりの面影が重なるのだ。しかしこの純粋な仗助が、夢に出てきた男のようにストレートに欲望を向けてくる様子が想像できなかった。

「この問題、がんばったけど全然わかんねーんだ! おしえてくれよ!」
「ん、ああ……どこだ」

まだぼんやりした頭で、仗助が指先で示す算数の問題文を読む。次のテストで良い点を取らないと、小遣いを減らされてしまうらしい。なので露伴が家庭教師のような役目をしている。
正直、人に何かを教えるのは得意ではない。頼まれた時には断ろうとしていたが、かなり追い詰められているようで涙目になっている仗助を見て、結局引き受けてしまった。

「で、こうすれば答えが出るんだ。分かったか?」
「うーん、なんとなくわかったような……」
「それじゃ困るのはお前だぞ、真剣にやれ」
「なあ、テストちゃんとできたらごほうびくれよ!」
「……お前、ちょっと調子に乗りすぎじゃないのか?」
「そしたらおれ、頑張れるからよおー! だめー?」

上目遣いで露伴を見つめながら、仗助が袖をぐいぐいと引っ張ってくる。これ以上子供のわがままに振り回されるのは勘弁だ。それなのに何故、仗助に懇願されると断れないのだろう。 ため息をつくと、袖を引っ張る仗助の手に触れて軽く握る。

「いいか。ちゃんとできたら、だなんて曖昧な基準じゃダメだ。僕が決めてやる、80点だ。
それ以上取れたらご褒美でも何でもくれてやるよ」
「えっ、80点!? きびしすぎだろー!」
「僕のご褒美、欲しくないのか?」

尻尾を揺らしながらにやりと笑って見せると、仗助は悔しそうに唇を噛んだ。確かこの前、隠していたが母親に見つかって怒られたという算数のテストは25点だった。そこから80点まで上げるのはかなり難しいだろう。
テストは明後日だと聞いている。結果が楽しみだ。


***


81点、と赤いペンで書かれたテストの答案用紙を差し出してきた仗助は、先日の様子とは一転して目を輝かせていた。

「せんせーに『よく頑張ったな』ってほめられたんだぜ! すっげーだろ!」

改ざんした跡も見当たらない、本物だ。小遣いを減らされないように必死だったのか、それとも露伴からの褒美が欲しかったのか。点が取れなくて落ち込んでいる仗助の姿しか 想像していなかったので、この結果には心底驚いた。

「で、何が欲しいんだ?」

露伴が言うと、仗助は急に真っ赤になってもじもじし始める。そんな状態が1分近く続いた後、顔を上げて目を閉じた。それはまさに、キスを待つ表情そのものだった。
再び、例の夢を思い出してしまう。仗助と面影が重なるあの男とも同じことをした。今度は現実の世界で仗助と……。いや、相手は子供だ。変に意識する必要はない。
身を屈めて、仗助と目線の高さを合わせるとこちらから唇を重ねた。頬にしたものとは感触が全然違う。欲望のかけらも見せない小学生とのキスで、まさかこれほど心が乱れるとは。

「おれ、好きなんだ……露伴のこと」

唇が離れた後で囁かれたその言葉は、ずっと大切にしてきた秘密を思い切って打ち明けたというような切実さが伝わってくる。
僕も好きだ、と言えたらどれほど楽になれるか。それを伝える勇気はまだ無い。




back




2011/9/22