続 ・ 何もなかった顔で/後編 杜王グランドホテルに着くと、ジョセフが泊まっている部屋に向かった。 何の約束もなく勢いで来てしまったので、今ここに居るのかすらも分からない。しかも本来の姿では若返っている時の記憶がないので話にならず、無駄足になってしまう 可能性もあった。それでもあんな事実を知っては黙っていられなかった。 あれから仗助は露伴が書きこんだ命令通り、自宅に帰っていった。もちろんジョセフとの件についての記憶を読まれたことすら知らない。そのほうがいいと思う。 本人の口から告げられない限りは、何も知らないふりをしているべきだ。受けた仕打ちに関する記憶を消してやることは簡単だったが、再び迫られれば意味がなくなる。 部屋のドアをノックしようとすると、背後に誰かの気配を感じて振り返る。そこにはいつの間にか、承太郎が立っていた。そういえばジョセフの隣に部屋を取っているらしい ので、ここに居てもおかしくはない。 「悪いがジジイは留守だぜ、どこに行っているやら……」 「そうですか」 「用があるなら伝えておくが」 何でもありません、と言おうとして露伴は口を閉ざす。ジョセフの行方が分からないなら、近い存在のこの男に伝言を頼むのが確実ではないかと考えた。とにかく少しでも 早く捕まえて話をしなければ、仗助がまた酷い目に遭うかもしれない。自分の説得が実を結ぶかどうかは分からないが、見過ごすわけにはいかないのだ。 「『あなたは僕を怒らせました、心当たりがあるなら家に来てください』と、ジョースターさんに伝えていただけますか」 固い口調で露伴がそう言うと、普段あまり表情を変えることのない承太郎が少し驚いたような顔をした。周囲から見れば、あの人当たりが良く穏やかそうな老人が、露伴を 怒らせることなど想像もできないだろうと思う。承太郎はジョセフが何度も若返った姿で現れては、仗助や露伴に絡んでくることを知っているのか。 「ジジイが何かしたのか」 「本人に言えば分かります、きっと」 問いかけてくる承太郎に背を向け、露伴は部屋を離れた。少し歩いた先にあるエレベーターのボタンを押すとすぐにドアが開き、中に乗りこんだ。 あそこで全てを話すわけにはいかない。仗助の記憶を勝手に読んで知ったことだからだ。 結局ジョセフと話をする時にはそれを伝えなくてはならないが、仕方がない。 事実を知っている人間は、なるべく少ないほうがいい。もしどうしてもジョセフを説得できそうもなければ、その時は承太郎の力を借りる予定だった。 この町に潜む殺人鬼の事件も解決していないのに、ジョセフはとんでもないことをやらかしてくれた。 ホテルから車で帰る途中、夕飯の材料を買いにカメユーマーケットに立ち寄った。レジはどこも混んでおり、なかなか進まない列に苛立ちながら自分の番を待った。 買い物を終えて家に着くころには、すでに辺りは真っ暗になっていた。 鍵を取り出して開けようとすると、背後から急に肩を掴まれる。この身体に馴染んだ、力強さを感じる大きな手の感覚。それだけで胸がざわめいてしまったが、今はどこか 違和感があった。似ているようで違う、そんなものが。 「露伴君から呼んでくれるなんて珍しいねえ、早速来ちゃった」 「……僕を怒らせた心当たり、あるんですね」 「あるよ」 振り向かないまま尋ねると、全くためらいを感じさせない調子で耳元に囁かれた。自分のしたことに対して、後ろめたさなど感じていないのかもしれない。 仗助の涙を思い出して、露伴は再び胸にじわじわと生まれてきた憤りを抑えきれなかった。 ジョセフを客間に通した後、一応自分から呼びだした客なので飲み物を出そうとしたが、すぐに本題に入ろうと言われてそのままソファに腰掛けた。 テーブルを挟んだ向かい側で、ジョセフは口元に笑みを浮かべながらこちらを見ている。しかし目は、隙あらば露伴を突き崩そうとしているような気配を感じた。 「仗助から聞いたの?」 「僕があいつの記憶を読んで知りました」 「だろうね、まあ言えるわけないか」 「あなたは……」 思わずソファから身を乗り出して言いかけた途端、ジョセフはこちらに指先を向けてきた。何か攻撃を受けるのではないかと警戒し、言葉が途切れてしまった。 「次に君は『息子にあんなことをするなんて父親として恥ずかしくないんですか』と言う」 「息子にあんなことを……」 まさに考えていたことを言い当てられて、口に出してから露伴は我に返った。こんな調子で人の考えを先読みして優位に立とうとする、厄介な相手だ。 「とにかく、どういうつもりですか」 「何ていうか、こう……君に一途な仗助を見ていたら、ついムラムラしちゃってさあ」 「そんなくだらない理由であいつを! しかも僕のことまで持ち出して……!」 いっそのこと、二度と仗助に手出しできないように書きこんでやろうかと思ったが、本来のジョセフの記憶に何らかの影響が出る可能性もあり、迂闊に手出しができない。 以前のように記憶を読むだけならともかく、書いたり消したりするのは危険だ。 「君より先に、仗助のイッちゃう顔を見たのが面白くないのかな?」 仗助とはまだ一線を越えていないことを、見抜かれていた。目が合ったジョセフを強く睨んだ。この親子の異常な関係を終わらせなくてはならない。 創作のために常識的とは言えない行為を繰り返してきた自分が、道徳がどうのこうのと語れる立場ではないのは自覚している。しかしこのままでは、いずれ仗助の心は 壊れてしまう。ジョセフの要求を拒めない原因が露伴自身にあるのなら、今ここで食い止めなくては。 「僕はあなたに、仗助を慰み者にするのはやめていただきたいんです」 「君の立場的に気持ちは分かるけどね、そっちの要求ばかり押し付けられても困るわけよ」 「……どういう、ことですか」 「じゃあ露伴君が、仗助の代わりに俺と遊んでくれんのかな?」 ジョセフの口元が薄暗い笑いの形に歪む。無茶苦茶な要求に背筋が凍りついた。仗助以外の男とそういう関係になるつもりは一切なく、そんなことを受け入れられるはずが ない。屈辱に耐えて露伴を守ろうとした仗助の想いを無駄にしてしまう。しかし考え直した。仗助を犠牲にして、何もなかったような顔で過ごしていくことはできない。 自己犠牲などくだらないと昔は思っていたが、ここに居る自分の命は幼馴染の少女の犠牲によって守られたものだ。今度は自分が誰かを守る番で、今がまさにその時なのだ ろう。 何があっても、仗助ほど感情に振り回されたりはしない性格だ。泣いて傷付くこともない。 「分かりました」 「何が?」 「僕が、あいつの代わりになります」 声が震えないように強い調子で告げると、ジョセフは愉快そうに目を細めて立ち上がり、露伴の隣に腰を下ろした。大きく固い手のひらが、頬に触れる。 こちらを見つめる目も、温もりも匂いも恐ろしいほど仗助を思い出させて、どうにかなってしまいそうだった。 「俺、本気にしちゃうよ?」 「もう仗助には手を出さないと、約束してください」 「分かったよん、ふふっ……」 不安を煽るような軽い口調でそう言うジョセフが、顔を近づけてきた。遮られた視界の中で仗助が微笑んでいる顔を頭に浮かべながら、唇が重なる瞬間に目を閉じた。 |