攻防





玄関のドアを開けると、予想外の人物が立っていた。
露伴先生ちわっスー、と軽い調子で挨拶してきたその男を見て、眉間に深い皺を作った露伴は無言でドアを閉めようとする。
自慢の髪型を貶されると相手が誰でもキレまくる単純な男、東方仗助。 以前戦った時に、16歳の頃から続けている漫画の連載を休まなければならないほどの重傷を負わされ、露伴は彼に対して良い感情を抱いていない。 何の用かは知らないが家に来られても腹立たしく、ひたすら迷惑なだけだ。

「ま、待ってくださいよ! せっかく来たのに!」
「せっかくも何も、お前を呼んだ覚えはない!」
「だから俺は、康一に頼まれたんスよ。急な用事でここに来れなくなったみたいで」

仗助は慌てて一冊の本を取り出して見せてきた。その本は少し前に広瀬康一に貸したもので、今日は彼がそれを持ってこの家に来るはずだった。
別に急ぎの用で返してもらう必要はなかったが、原稿も終わらせたので何か口実を付けて康一を家に呼び、菓子でもご馳走しようという計画を立てていたのだ。 何とか今日中に、と電話で伝えたのが失敗だった。律儀な康一は今日のうちに露伴に本を返さなくてはならないと思い、他の人間に本を届けるように頼んだ。
しかしそれが、よりによって東方仗助だとは。他には居なかったのか。多分この男が暇そうにその辺りをうろついていたから頼んだのだろう。 この暇人が、と胸の内で悪態を付くと、仗助の手から乱暴に本を奪い取って再びドアを閉めようとする。その瞬間、仗助は何故か突然目を見開いた。

「ああっ、ちょっとストップ!」
「まだ何か用か!」
「あの、便所貸してもらえませんかね……朝から腹の調子が悪くて」

そう言うと仗助は腹を押さえ、もう片方の手を使ってドアが閉まるのを阻む。間近で見ると顔に脂汗のようなものが浮かんでおり、どうやら限界が近いようだ。
そんな状態に気付きながらも、はいそうですかと便所を貸してやるのは不愉快だ。 握っているドアノブを引く手に更に力を入れると、仗助は悪質な押し売りのようにドアの隙間に足を挟んで強引に玄関に入ってこようとする。

「ねっ、頼みますよ露伴先生!」
「我慢できないならその辺の道端で済ませろ!」
「ああーっダメ、もう限界! ケツ穴が爆発する!」

火事場の何とやらを思わせるとんでもない力でドアを強引に開けた仗助が、とうとう玄関に侵入してきた。 そして露伴が阻む隙も与えないまま、尻を押さえながら青い顔で便所に向かって走り出す。前にもこの家に足を踏み入れているせいか、便所の位置を知っているらしい。
力勝負で負けて仗助に自宅の便所を貸す羽目になり、溢れ出す屈辱感が止まらない。しかし玄関で漏らされるよりはマシだと自分に言い聞かせて唇を噛んだ。


***


仕上がった原稿を揃えて封筒に入れている露伴の背後から、足音が近付いてくる。それは露伴の居る部屋の前で止まり、中に入ってくる気配がした。

「いやあ、おかげさまでスッキリしましたよホントに!」
「それは良かったな、用が済んだら早く出て行け」

能天気な調子の仗助のほうを振り返らないまま切り捨てるように言う。本を露伴に返している今、もうここに用はないはずだ。 立てていた計画が総崩れになった苛立ちもあり、露伴はひたすら機嫌が悪かった。
先日のサイコロ賭博の件といいトンネルでの件といい、仗助はどこまで人を馬鹿にすれば気が済むのだと本気で思う。 家が半焼したのも、元はこの男が勝負を持ちかけてきたのが原因だった。 そして最中も不審な言動が目立っていたので、露伴は自らの小指を切断寸前まで傷付けて仗助に重圧を与えた。
ところが露伴の家が燃え始めたのがきっかけで勝負は中断、仗助には勝手に小指を治された上に逃げられるという結末を迎えたのだ。 仗助が何らかのイカサマをしていたのは明らかなのだから、関西ヤクザのように両目にサイコロを突っ込んで川に流してやれば、いくらかは気が晴れるだろうか。

「あ、これって先生の趣味っスか?」

その言葉に嫌な予感がしてようやく振り返ると仗助が、漫画の参考資料として買った飛行機型の模型を棚から出して触っていた。 そういえば便所から出た後で手は洗ったのか。前例があるので油断できない。

「おい、勝手に触るな」
「最近の模型ってよく出来てますねえ、すげえなこりゃ」

仗助は手に取った模型を様々な角度から眺めて、感心したような口調で呟く。すると数秒も経たないうちに模型は仗助の手から滑り落ちた。露伴が椅子から身を乗り出したが時はすでに遅し。 足元に落下した模型は当たり所が悪かったようで、飛行機の左翼部分が根元から折れてしまっている。その出来事は露伴の苛立ちに更に油を注ぐには充分すぎた。
沈黙の後で我に返ったらしい仗助は壊れた模型を拾い集めると、

「す、すいません! すぐに俺のスタンドで直しますから」
「そういう問題じゃない!」

模型は特に高価でもレアな品でもないので、壊れたところで別に困らない。必要になればまた買えばいいだけの話だ。 しかし今は仗助に対する苛立ちが抑えきれない状態なので、些細なことでも許せなかった。
すると仗助は突然、露伴の足元に両手をつくと床に擦りつけるような勢いで頭を下げる。予想もしていなかった展開に一瞬何が起きたのか理解に苦しんだ。

「そんなに大事なものだとは知らずに触ったりして、本当にすみませんでした!」

サイコロ賭博を持ちかけてきた時とは違う真剣さで土下座を続ける仗助に、密かに心が動いた。普段は憎たらしいくせに、こんな律儀な一面もあったとは。 すっかり調子を狂わされてしまい、次に口から出たのは仗助を責める言葉ではなく大きなため息だった。

「分かったから、早く顔を上げろ。そのまま居座られると邪魔だからな」
「……」
「聞こえなかったのか、仗助」

いつまでも土下座の体勢から動かない仗助を見て、深く考えずに身を屈めて様子を窺う。そんなに罪悪感を感じているのかと思った途端、顎に強い衝撃が走った。 突然だったので舌まで噛んでしまう。露伴が近付いたのを見計らったように、仗助が勢いよく頭を上げたのだ。

「あらら、もしかして俺の頭とぶつかっちゃいました?」

ふらふらと背後に数歩下がった露伴を見て、驚いた顔をしてそう言った。しかし口調は軽い。
本心ではどういうつもりだったのかは別として、先ほどのあれは絶妙なタイミングで仗助がわざとやらかしたとしか思えなくなっていた。

「このっ……もう許さん! 東方仗助!」
「今のはわざとじゃないんですって! 先生ちょっと聞いてます!?」

露伴が怒り任せにスタンドを発動させると、仗助は応戦するどころか慌てて立ち上がり逃げる体勢に入った。やっぱりこの男とは永遠に理解し合うことはないだろう。
これまで受けた数々の屈辱を晴らすまでは、この家から絶対に逃がさない。




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2009/8/11