イヤリング





放課後に町の中を歩いていると、見覚えのあるふたりを見つけた。
ひとりは仗助と同じ高校の1年生、広瀬康一。そしてもうひとりは杜王町に住む漫画家、岸辺露伴。 仗助とは犬猿の仲である露伴は康一のことをとても気に入っているらしく、特に珍しい組み合わせでもない。 しかし康一のほうは、自己中で強引な露伴に少し引き気味のようだったが。
ここからでは離れているのでふたりの会話は聞き取れないが、何かを言っている露伴に対して康一は申し訳なさそうな顔で頭を下げると、ひとりで先を歩いて行った。 残された露伴は落ち込んでいるようで、浮かない顔で肩を落としている。あの様子だと、懲りずに康一をどこかに誘った末に断られたに違いない。
暇を持て余していた仗助は、こちらに背中を向けて立っている露伴にそっと近付いて行く。

「よお露伴先生、もしかして振られちゃったんスか?」

びくっと肩を震わせてこちらを振り向いた露伴は、仗助を見た途端に険しい表情になった。
まあ、これは仕方がない。毛嫌いされているのは分かっているし、初対面でついた良くない印象がそう簡単に塗り替えられるとは思っていないからだ。
そもそも家が火事になったのも重傷で漫画の連載を休む羽目になったのも、全て仗助のせいにされているようだが、それらは露伴の不注意や詰めの甘さが原因なのだから、仗助は今でも自分は何も悪くないと思っている。逆恨みではないかと指摘すると逆切れされ、もう手の施しようがない。
ひとりで勝手にやってろと受け流そうとしても、実際に口喧嘩になるとつい応戦してしまう単純な自分が憎らしかった。

「人聞きの悪いことを言うな、康一君は今から山岸由花子と約束があるそうだ」
「ああそっか、あいつら最近付き合い始めたばかりだもんなあ。お熱いことで」
「ったく、よりによってあのプッツン由花子と康一君が……」

露伴は不満そうに、ぶつぶつと文句を呟く。由花子は確かに気性の激しい部分はあるが、康一はそれも含めて好きになったのだから部外者がどうこう言えるものでもない。

「先生も大人なら、親友の幸せを祈ってやりましょうよ。ひろーい心で」
「ガキのくせに説教するのか、この僕に」
「別にそんなつもりはねえけど、あんたがあまりにも大人げないからでしょ」
「不愉快だ! 帰る!」

仗助に再び背中を向けた露伴は、それだけ言うと早足気味で去って行った。康一に誘いを断られたのがよほどショックだったのか、普段より勢いが足りなかったような気がする。それにしても大人のくせに、本当にわがままな奴だ。
いつまでもこんなところに立っていても仕方がないので、仗助も歩き出そうとすると足元に何か光るものが落ちているのに気付いた。ペン先のような形のイヤリングだ。
あまり見かけないこのデザインは、間違いなく露伴が着けているものだった。鋭い先端部分が顔に刺さりそうで物騒な印象が、強く残っている。
片方だけ残されたイヤリングを拾い上げ、辺りを見回したが露伴の姿はどこにもなかった。


***


「あれ、それ露伴先生のだよね?」

翌朝、登校中に仗助が眺めていたイヤリングを見て康一が声をかけてきた。

「昨日会った時に、あいつが落としていったみたいでよ。やっぱりこれ、露伴のだよな」
「家まで届けてあげたら? 探してるかもしれないよ」

本当はあの後、露伴の家に寄ってこれを届けようと思ったのだが、昨日の様子だと仗助の話をまともに聞いてくれる感じではなかった。 何でお前がこれを持っているだのと理不尽な言いがかりを付けられ、届けに行ったこちらまで不愉快な気分になる予感がした。 とはいえ、これが大切なものなら露伴は今頃困っているかもしれない。

「なあ康一、これ……」

イヤリングを代わりに康一に託そうとしたが、すぐに言葉を引っ込めた。人任せにすれば、自分で届けに来られない腰抜けだと罵られそうで面白くない。 少しばかり衝突するかもしれないが、覚悟を決めて自分で届けに行くことに決めた。
無意識に握りしめた露伴のイヤリングが仗助の手のひらに食い込み、痛みが走った。


***


呼び鈴を押してもなかなか出てこなかったが、根気よく何度か押し続けると家主はようやく姿を見せた。時々、誰かが来ても居留守を使うという噂は本当だったらしい。
それを知っていたので、何とかしてイヤリングを受け取ってもらうまでは粘るつもりでいた。人の物を延々と持ち歩くつもりはなかったからだ。
露伴は仗助から受け取ったイヤリングを手に取り、隅々まで確かめるように見つめる。

「これは確かに僕のだ」
「やっぱりな、昨日あんたが帰った後で見つけたんスよ。届けるのが遅れて悪かったけど」

それじゃ俺はこれで、と露伴に背中を向けると急に呼び止められた。

「時間があるなら、少し上がっていけ」
「……どういう風の吹き回しですかね、あんたからそんなことを言うなんて」
「今は気分がいいんだ、飲み物の1杯くらいは出してやる」

用が済んだらさっさと追い出されるかと思っていたが、これは予想外の展開だった。気の合わない奴でも家に入れたくなるほど、イヤリングを届けてもらったのが嬉しかったのだろうか。
通された客間らしき部屋でしばらく待っていると、ひとり分の飲み物を乗せたトレイを持った露伴が戻ってきた。氷の入ったコーラだ。ちょうど冷たいものが飲みたかったのでありがたい。

「さっきのイヤリング、そんなに大事なものだったんスか」
「別に……ただ、あれがないと落ち着かないだけだ」

あれは露伴のものだと、一目見ただけで持ち主が分かってしまうほど周囲にも定着している。 別に、と言いながらも結局は大事にしているんじゃねえかと仗助は口には出さずに突っ込みを入れると、受け取った冷たいコーラを一気に半分ほど飲んだ。

「僕を嫌っているお前が、よく届けに来る気になったな」
「いつまでも持ってたら呪われそうだしよ、さっさとあんたに返しちまおうかと思って」
「お前は本当に口の減らない奴だな、ある意味感心するよ」
「あんたに言われたくないっスね、そういうことは」

お馴染みの罵り合いが始まったが、いつもと違うのはお互いに感情を激しくむき出しにしていないところだ。今は気分がいいという露伴の言葉はどうやら本当のようで、普段からは考えられないほど自然に会話が続いていた。
最初は仗助も露伴のことが気に食わなかった。しかし敵スタンドが潜んでいたトンネルで助けられて以来、実はそれほど悪い奴ではないかもしれないと思い始めた。それがきっかけで熱い友情が生まれることを期待していたが、仗助に忠告を無視された露伴のほうはすっかり機嫌を損ねてしまい、結局友情どころではなくなった。
そういえば康一は過去に散々な目に遭わされた由花子のことをある日突然、『あの性格がいいと思えるようになった』と真顔で告白してきた。ふたりの間に一体何があったのかは知らないが、そこまで激しく気持ちが変化するとは驚きだった。
ということは仗助も、何かきっかけがあれば自己中でわがままな露伴の性格をいいと思える日が来ても不思議ではないというわけだ。

「おい、何さっきから人の顔じろじろ見てるんだ、気持ち悪い奴だな。それ飲み終わったら早く帰れ」

険しい表情で再び罵ってくる露伴を見て、やはりこの男の性格をいいと思うのは絶対に無理だと感じた。


***


「うおっ、やべえ……!」

露伴の家を出て十数分後、仗助は財布がないことに気付いた。普段財布を入れている胸ポケットや鞄の中を探っても見つからない。放課後までは確かにあったので、通った道で落としたか、露伴の家に置き忘れてきたかのどちらかだ。通ってきた道を引き返して地道に探すのも、再びあの家に戻るのも、想像するだけで気が遠くなる。
しかし財布の中には全財産とキャッシュカードまで入っている。誰かに拾われて悪用されると厄介だ。このままでは家に帰れないので、今からでも財布を探すしかない。そう決意した時、後方から走ってきた白い外車が仗助のそばで停まった。運転席の窓が開き、車の主が顔を出す。

「露伴……!?」
「このスカタン」
「はっ?」

このとんでもない非常事態に冷たい口調で貶されて、さすがに切れかけた仗助に何かが突き出される。それは間違いなく自分の財布だった。
やはり先ほど立ち寄った露伴の家にあったのだ。今日はズボンの後ろポケットに財布を入れていたのを忘れていて、座った時にソファの上かどこかに落ちてしまったのかもしれない。

「わざわざ届けに、ここまで来てくれたんスか」
「お前の物なんか持っていたら、呪われそうだからな」

どこかで聞いた、いや、先ほど露伴に自分が言った台詞をそのまま返されてしまった。
仗助は怒るどころか苦笑しながら財布を受け取る。大事なものが戻ってきたという安心感と、そしてあの露伴が仗助の忘れ物を届けるために追いかけてきてくれたという新鮮な優越感で、自然に顔が緩んでいく。
特に後者の印象は強く胸に響いて、あんなに気が合わないと思っていた相手なのに、たまらなく嬉しかった。もしかすると今日の露伴も同じ気持ちになったのだろうか。そんな自惚れた想像までしてしまう。
露伴が車の窓を閉めようとするのを、我に返った仗助は慌てて止める。そして今までの自分なら絶対に有り得ないようなことを口に出した。

「もし良かったら、これからお茶しません?」
「はあ? 何で僕が仗助と……しかもお前、さっきコーラを飲んだばかりじゃないのか」
「今はね、すっげえ気分がいいんスよ。もちろん俺が奢りますから、ね?」

仗助に誘われてよほど驚いたのか、露伴は憎まれ口を叩きながらも明らかに動揺していた。 視線を逸らして大きくため息をついた後、再び顔をこちらに向けた。

「言っておくが、僕は自分が注文する分は自分で払う。いいな」
「え、それって……」
「いいから早く乗れ!」

乱暴な対応だが、露伴は突然すぎる仗助の誘いに乗ってくれた。未だに信じられない気持ちで、反対側の助手席のほうにまわって車に乗り込む。
有り得ない、絶対に無理、そんな考えがひっくり返るのは意外にあっけないものだと知った。
初めて乗ったこの車は、露伴の匂いがした。何度か訪れたあの家と同じように。




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2009/8/18