震える館/2





久し振りに祖父の住む館を訪れると、住人がひとり増えていた。

「この子はねえ、岸辺露伴君! 先月からここで、飯の支度とか掃除をやってくれてるんだよね! 若くてぴっちぴちでしょ! よろぴくねー!」

謎の病に侵されているわりには元気な、青年の姿をした祖父が隣に立っている男の肩や腰を抱きながら嬉しそうに紹介してきた。 飯の支度や掃除、つまり祖父に雇われた使用人か。
しかしそれを聞いても、男に対する祖父の絡み具合は新しい愛人かと勘違いするほど異常だ。男のほうもこんなに身体を触られても苦笑いするだけで、嫌そうではないのが怪しい。
引き締まった腹や腕を大胆に露出した、変わった服装の男はこちらを見て「ジョースターさんのお孫さんですか!?」と目を見開き、かなり驚いていた。祖父の息子である 仗助よりも10歳以上も年上の人間が、孫だと紹介されれば大抵の人間は同じような反応をする。
祖父が離れた後、男は前に一歩踏み出すとこちらへまっすぐな視線を向けてきた。

「初めまして、岸辺露伴です。よろしくお願いします、承太郎さん」

はっきりとした口調でそう言い、深く頭を下げる。その瞬間は不思議なほど鮮やかに、胸の中に刻まれた。


***


「ここに来る前、僕は漫画を描いて生活していたんです」

広い食堂の中、椅子に腰掛けている承太郎のすぐそばに立ってティーカップに紅茶を注いでいる露伴が、急にそんなことを口に出した。
そして彼は、かつて少年誌に連載を持っていた漫画家だったが、編集部の人間と意見が合わなくなり周囲を巻き込んで派手にもめた挙句、そこでは漫画が描けなくなってしまった という過去を打ち明けてきた。
更にある事情で借金をしていたが、仕事がなくなったためそれを返していく手段を失った。
住んでいた家や車などの財産を売り払っても完済には届かず困っていた時に、この館での仕事の話を知ったらしい。

「もう漫画は描かねえのか」
「もちろん、まだ諦めてはいませんよ。僕はまだ20歳ですし、また1からやり直す余裕はある。そのためにはまず、ここで働いて借金を全て返して、漫画を描く環境を整えなきゃ いけない。僕を雇ってくれたジョースターさんには感謝していますよ」

重すぎる出来事を経てここに来た露伴は、漫画家から使用人という立場になっても全く悲観的になっていない。それどころか、しっかりと前を見て進もうとしている。 自分が同じくらいの年齢の頃は、ここまで強い心を持っていただろうか。

「あんたの描いた漫画、いつか読ませてくれ」
「分かりました、約束します。でも僕の漫画を読んだら、他のは物足りなくて読めなくなるかもしれませんね」
「それはますます楽しみだな」

あのじじいが気に入るわけだ。そう納得しながら承太郎は、温かい紅茶に口を付けた。
1週間はこの館に泊まるつもりで来たが、退屈せずに済みそうだ。


***


「あ、おはようございます」

翌朝、着替えて階段を降りたところで露伴と顔を合わせた。そして彼の格好を見て目を疑う。フィクションの世界などでもよく見かける、執事の衣装だった。 黒い燕尾服の下には同じ色のネクタイや、灰色のベストも身に着けている。

「その服はどうした」
「ああこれですか、ジョースターさんが貸してくれたんですよ」

それは彼の細い身体によく似合っていたが、同時に憤りも覚えた。祖父は露伴を家族同然に思っていると言っておきながら、結局こういう扱いをするつもりだったのだ。

「強制ではないから、好きな時に着ていいって言われたんですけどね。こういう服って今まで着る機会がなかったので、テンション上がりますよ。いつかまた漫画を描く時は、 執事キャラも出してみようかな。これで仕事をすれば、いい経験になりそうだ……あれ、どうしたんですか、険しい顔して」
「いや……何でもねえ」
「そうですか、早く食堂に来てくださいね。朝食できてるので」

そう言って軽い足取りで去っていく露伴の後ろ姿を、承太郎は複雑な気分で眺めていた。
勝手な思い込みだったとはいえ、露伴に対して酷い扱いをしている祖父を想像した瞬間は、腹の底が熱くなるほどの怒りが生まれた。
昨日知ったばかりの相手のことで、これほど心が乱れてしまった自分が信じられない。食堂で過去話を聞いて、おかしな情が移ったのだろうか。
あの衣装も、露伴本人が喜んで着ているのならそれでいい。祖父を責める必要もない。
深く息をつくと、食堂に向かって歩き出した。




3→

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2011/7/12