理性か欲望か 薄暗い場所を歩いていると、背後から後をつけられていることに気付いた。 ジョセフが歩みを止めると少し遅れて、足音は聞こえなくなる。どうやら微妙に距離を開けて尾行しているようだ。 振り向いた先では、何者かが物陰に身を隠してこちらの様子を窺っていた。姿はよく見えなくても、先ほどまでの足音の主であると分かる。 「誰じゃ、そこに居るのは」 一体誰が潜んでいるか見当がつかないので、ジョセフは警戒しながら呼びかけた。突然襲われる可能性も考え、片手からスタンドを出しておく。 しかし少し時間を置いても、なかなか姿を現さない。隙をついて攻撃してくるつもりだろうか。それとも出てこられない理由でもあるのか。 それらをここで考えても仕方がない。出てこないのならこちらから行くしかない。このまま気付かなかったことにするには、すでに遅すぎた。 「こちらからお前の正体を暴かせてもらうぞ、逃がすつもりはないんでね」 ジョセフがそう言って一歩前に踏み出すと、物陰からひとりの少年が出てきた。その顔を見た途端にジョセフはスタンドを引っ込めて、表情を緩める。 まだ中学生になる前あたりの年齢で、今では懐かしさを感じる細い身体。緑色の大きな瞳は、こちらを不安そうに見つめていた。 「怖がらせて悪かったのう。おじいちゃん怒ってないから、こっちに来なさい」 少年の目線の高さまで膝を曲げて、迎え入れるように両腕を広げる。少年はそんなジョセフを見て何度か瞬きをすると、ゆっくりこちらに歩み寄ってくる。 そばまでやってきた少年を抱き締め、幸せを噛みしめた。 これは夢だと分かっていても、舞い上がった気持ちを抑えられない。 「……おじいちゃんは、俺のこと好き?」 「今更何言ってるんだ、大好きに決まってるじゃろ」 その答えを聞くと少年は目を伏せ、白い手袋に包まれたジョセフの手を自らの胸元に押し当てた。そして今度は視線を合わせながら、再び口を開く。 「じゃあ、俺をおじいちゃんだけのものにしてよ」 「えっ……!?」 口調は違うが、前にも同じ言葉を聞いたことがある。しかしその時を上回る衝撃を受けたジョセフは、どうすればいいのか分からなくなってしまった。 「意味も知らずに、そんなことを言うもんじゃないぞ」 「知ってるよ」 幼い声で、意味深な調子で囁かれる。こんなことがあって良いものだろうか。目の前に居るのは、煙草の匂いを漂わせている無愛想な高校生ではなく、まだ知識も経験も充分 ではない小さな子供だ。こうして求めてくる自体が有り得ないのに、易々と乗ってしまうわけにはいかない。 「こういうのは、本当に好きな人のためにとっておきなさい」 「俺は……おじいちゃんが好きなんだ」 必死に振り絞ったかのようにそう言われ、潤んだ瞳と視線が重なると完全に頭が真っ白になった。理性を保てなくなり、ジョセフは少年の首筋に唇を埋める。 耳元に、熱く震えた息を感じた。 がくっ、と頬を支えていた肘がずれて目が覚めた。現実に引き戻され、ここが深夜でも騒がしい酒場だと気付く。ずっと飲んでいて、いつの間にか眠ってしまったらしい。 他の仲間は宿の部屋に居るので、ジョセフひとりで来ている。単に酒が飲みたいからではなく、本当の理由は別にあった。 数日前に一度だけ、色々あって許されない行為をした。なかったことにはできないくらい、あの時の罪悪感も、それと同じくらいの快感も、この身体に染み付いている。 同じ部屋に居るだけで、どうしても意識してしまう。もう若くないくせに、情けないという自覚はあった。正しい方向に導いてやれず、結局は流されたのだから。 旅の間中、ずっと逃げていられるとは思っていない。せめて数日だけ、落ち着ける時間が欲しかった。重ねた身体の重みや温もりが薄れていくまでは。 やがて日付が変わって2時間近くが経った頃、ジョセフは酒場を出て宿に戻った。静かな廊下を歩きながら、やけに胸がざわついているのを感じる。自分らしくもない。 思い切ってドアを開けると、明かりはまだ部屋中を照らしており、学ラン姿の青年がベッドに腰掛けて煙草を吸っていた。驚いて足を止めてしまったが、今更引き返せない。 「まだ寝てなかったのか、承太郎」 「俺が起きていると、都合でも悪いか」 「いや、そういうわけじゃない」 痛いところを指摘されて、何でもない振りを装う。こうしてごまかせるのは一体いつまでだろうか。すでに見透かされているかもしれないが。 隣のベッドに向かう途中で、立ち上がった承太郎に阻まれた。じっと顔を覗きこまれ、密かに息を飲んだ。 「長く酒場に居たわりには、あまり飲んでなさそうだな」 「そ、そうか?」 「本当はどこで何をしていたんだか、な」 酒場に居たのは事実だが、まさか承太郎が眠るまでの時間稼ぎをしていたとは言えずに黙りこむ。 承太郎は再びベッドに腰を下ろし、こちらを見上げてくる。そして口を開くと、じじいに話しておくことがある、と告げてきた。 「もし俺達の関係が他の連中に知られたら、全部俺のせいにしておけ」 「……何じゃと?」 「元は俺が言い出したんだ、責任は取るさ」 灰皿に短くなった煙草を押しつけながら、とんでもないことを淡々と言い出す承太郎に、ジョセフは黙っていられなかった。はいそうですか、と納得できるわけがない。 感情に任せて、その両肩を掴む。 「まさか、ひとりで背負いこむつもりか!」 「別に何でもねえよ、これくらい」 「わしがお前に全部押し付けて逃げるとでも思うのか、馬鹿にするんじゃない!」 そのまま勢いでベッドに押し倒してしまった承太郎の首筋を見て、酒場で居眠りをしていた時の夢を思い出した。普段は圧倒的な力でどんな敵でもねじ伏せる承太郎が、 今ではこんなに無防備な状態を晒している。本人にその気はなくとも言動の全てが、ジョセフをおかしな方向へ煽っていた。 承太郎に覆い被さり、匂いや体温を染み込ませるように身体を重ねる。拒まれないのをいいことに、耳を軽く噛んでやった。 「もしかして、わしに抱かれたくて待っていたのか?」 そう囁くと、承太郎は表情を固くした。鋭い視線で睨まれている気もするが、構わずにジョセフは低く笑う。 「お前は男と、しかもこんな年寄りとのセックスが好きなんだろう? 女みたいに咥え込んで締め付けて、大した奴じゃな」 「……じじい、てめえ」 「二度と馬鹿げたことを言わんように、毎晩きっちり相手をしてやる」 身体を起こして承太郎のベルトに手をかけた時、急に我に返った。さすがに酷い仕打ちをしてしまったと、激しく後悔した。幼い頃からずっと可愛がってきた大切な孫に、 こんな状況でも優しくしてやることができなかった。 本当は、何があってもお前を守ってやる、と言って抱き締めてやりたかったのだ。中途半端な覚悟で今の関係に踏み込んだのではないと、分かってほしい。 「涙拭けよ、いい歳してみっともねえな」 「こ、これは違う……」 溢れてきた涙を隠すために、慌てて背を向ける。恥ずかしさでどうにかなりそうだ、このまま自分のベッドに潜り込んで眠ってしまいたい。 突然、背中に感じた承太郎の温もりが愛しすぎて、また新しい涙が頬を伝い落ちていった。 |