金曜の夜6時頃 部屋で漫画雑誌を読んでいると、ノックもなしにドアが突然開いた。 「承太郎っ、今日の夕飯の唐揚げ! 冷めないうちに食べてみて!」 片手に小皿、もう片方の手には唐揚げを挟んだ箸を手にした母親が嬉しそうに言いながら、承太郎が寝転んでいるベッドに駆け寄ってくる。 年齢の割に子供のようにテンションが高く、たまに唖然としてしまう。これはまさしく、あの男の血を見事に受け継いでいると確信していた。ついていけないと思いながら も、どこか憎めない。どんなに凄んで見せても、全く効き目がないのだ。近所の不良達や気に入らない教師に対して同じことをすれば、震え上がって近付いてこなくなるのだが。 敵わない、と承太郎にここまで思わせる相手はかなり限られている。その中の主な存在が、この母親だった。 承太郎は雑誌を閉じると、母親に鋭い視線を向ける。 「またノックもしねえで勝手に入ってきやがって、いい加減にしろよ」 「ごめんね、せっかく美味しく揚がったから早く食べてもらいたくて……」 苦笑いしつつも引く気配のない母親に、また俺の負けかとため息をつく。これ以上意地を張り続けていても仕方がないので、今日も自分から折れることにした。 「食ってやるから、さっさと出て行け」 「はーい!」 すぐに笑顔に戻った母親が、箸で挟んだ唐揚げを承太郎の口に近付けてくる。美味そうな匂いが漂い、顔には出さないが早く食べたくなってきた。 しかし唐揚げは承太郎の口に入ることなく、横から唐突に割り込んできた誰かに先に食われてしまった。それは昔から馴染み深い人物だったが、まさか今日ここに来ている とは思っていなかったので驚いた。 「うーん、懐かしい味じゃ。向こうに居るとなかなか食えんからな」 「パパ! 日本に来てたの!?」 「……じじい」 髭を生やした顔に満足そうな表情を浮かべて、ジョセフは承太郎と母親に向けて挨拶代わりに片手を上げて見せた。久し振りに訪れたような言い方をしているが、実は2週間 ほど前にもジョセフはこの家で食事をして泊まっていったのを、承太郎はしっかりと覚えていた。不動産王というのは、そんなに暇を持て余しているのだろうか。 「承太郎、元気だったか? ちゃんと学校には行ってるか?」 「大きなお世話だ」 「パパ、承太郎は最近おまわりさんのお世話にもなってないし、いい子にしてるわよ」 「うるせえな!」 息子に怒鳴られて何故か喜ぶ母親と、それを見て呆れた顔をするジョセフ。いつも通りの光景は、騒々しいが悪くはないと思った。 3人分の夕食が並ぶテーブルを囲みながら、母親は最近の日本であった出来事をジョセフに話している。承太郎はそれを向かい側で聞き流しながら箸を動かしていると、ジョセフが テレビの上の写真立てに視線を向けた。何年も前からそこに飾ってある、楽器を持って演奏している男の写真だが、それを見るジョセフの目はどこか冷めている。 「貞夫君は、まだ帰ってこないのか」 「仕事だもの、仕方ないわ。たまにハガキを送ってくれるし、寂しくないから大丈夫よ」 「全く……こんなに可愛い息子と嫁を置いて、どこをふらふらしてるんだか」 「もう、パパったら。いつもそうなんだから」 母親は困ったように咎めるが、ジョセフは頑なに機嫌を直さない。自分から話を振ったくせに、厄介な男だ。 承太郎の父親の話になると、ジョセフは昔から厳しい顔をする。ふたりの結婚には最後まで強く反対していたらしく、今でもそれを引きずっているようだ。 「それくらいにしとけよ、じじい」 箸を置いて承太郎が言うと、ジョセフと母親が同時にこちらを見る。 「親父が居なくても、俺は寂しいと思ったことはないぜ。この家にはおふくろが居るし、それにじじいもたまに様子を見に来てくれるしな」 確かに父親は、年に何度か家に帰ってくる程度の忙しい身だ。兄弟は居ないので、承太郎はこの広い家で常に母親とふたりで過ごしている。もはや父親不在の生活が、 当たり前のことになっていた。逆に久し振りに顔を見ても、接し方に迷うほどに。 「お前は健気で優しい子じゃ! わしは感動したぞ承太郎!」 「くっつくな、うっとうしい!」 椅子から立ち上がるなり、涙目になって抱きついてきたジョセフを押し返す承太郎を見ている母親の顔には、いつの間にか笑顔が戻っていた。 |