騒ぎを聞いて駆けつけてきたらしいシスター達に、由乃は生活指導室へ連れて行かれた。 同学年で姉妹の儀式を行おうとするなど前代未聞だと、由乃がどれだけ非常識な行いをしたかという事を散々指摘された。 姉妹制度はリリアン女学園高等部の伝統ともいえるシステムだ。 その伝統を汚そうとした由乃は非難されても仕方の無い存在として認識されているのだろう。 衝動に流されていたとはいえ、祐巳を妹にしたかったのは本心であり、決して伝統を汚すつもりではなかった。 非難されたままでは相手を更に増長させるだけだと思った由乃は、自分の本当の気持ちを素直に話した。負い目を見せずに堂々と。 予想通り頭の固いシスター達からは反感を買ったが、ただひとり学園長だけは由乃の話に静かに耳を傾けていた。 学園長は話を聞いた後に穏やかな顔で頷くと、由乃に教室へ戻るように指示した。 生活指導室を出ると、扉の前には慣れ親しんだ山百合会の仲間達の姿があった。 「……由乃」 1歩前に出て由乃と向かい合う令の表情はどこか悲しそうで、辛そうだ。 その後ろには祐巳がいた。真っ直ぐに由乃を見つめている。 衝動のまま動いた事によって、大切な人達を困らせてしまった。やはり何もかも間違っていたのだろうか。 生活指導室でシスター達に主張した祐巳に対する真剣な気持ちは、今思うと自分の行いを強引に正当化したにすぎないような気がした。 祐巳と目を合わせる事が出来ない。 祥子が由乃に向ける目線は、やはり厳しいものだった。今ここで祥子に責められても仕方が無い。 祐巳のお姉さまである彼女の前で、祐巳に姉妹の契りを迫ったのだから。その行為は祥子を侮辱したのも同然だった。 腕を組んで立っていた祥子が口を開く。その口調はどこか刺々しい。 「どういうつもりだったか……って、聞いてもいいわよね? 由乃ちゃん」 「待ってください!」 祐巳は祥子の言葉を遮って叫ぶと、由乃に背を向けて令の前に立った。まるで由乃を護るかのように。 「すみません、お姉さま方。少しの間、由乃さんと2人でお話をさせてもらえませんか?」 突然の祐巳の行動に令は驚いたようだったが、納得したらしく頷いて見せた。 「分かった。いいよね? 祥子」 「……ええ」 祥子の了承も得た祐巳は小さな声で、ただ「行こう」とだけ告げて由乃の手を引いた。どこへ行くのかは分からなかった。 たどり着いたのは温室だった。 肌寒い外の世界とは違い、そこは花の香りと温かさに満ちていた。 「ここなら2人きりだよ」 祐巳の優しい声が、痛い。 「ねえ由乃さん、顔を上げて。私、全然怒ってないから」 俯いたままの由乃の顔を祐巳が覗き込んできた。祐巳は微笑んでいる。それでも由乃は、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。 「私、由乃さんの事好きだよ」 何のためらいも感じさせない祐巳の言葉に、由乃は驚いて頭が真っ白になった。突然何を言い出すのだろうか。 好きと言ってくれるのは嬉しいが。 「それでも私、由乃さんのロザリオは受け取れない。だって……」 私のお姉さまは祥子さまだけだから。私は紅薔薇のつぼみだから。私は由乃さんと同じ2年生だから。 考えられる限りの答えが由乃の頭を駆け巡ったが、祐巳が口に出したのはそれらのどれでもなかった。 「由乃さんとは、対等な関係でいたい。だから姉妹にはなれないの」 全く予想外の答えに由乃は呆然となった。自分が考えていたような、もっと現実的な事を言うかと思っていたのに。 祐巳の思考パターンは、分かりやすいようで分からないところがある。 彼女が初めて薔薇の館を訪れた時も、場の雰囲気に飲まれて萎縮していたかと思えば、 明らかに憧れを抱いているはずの祥子からのロザリオを断ったり、当時の紅薔薇さまだった蓉子に堂々と意見したり。 その時から由乃は祐巳の事が密かに気になり始めていた。 そして学園祭を経て、祐巳が祥子のロザリオを受け取ったと聞いた時は胸が躍った。 山百合会の仲間として、一緒にいられる時間が増える事が嬉しかったのだ。今ではこんなにも手の届く距離にいる。 「これからも、遠慮無く何でも言い合えるようになりたいんだ。私にとって由乃さんは、大切な親友だから」 「……祐巳さん……」 祐巳は由乃を軽蔑しなかった。それどころか、親友だと言ってくれている。 由乃はそれだけでもう充分だった。姉妹になどなれなくても。 足元を見ると、紅い花を咲かせた背の低い木……ロサ・キネンシスが目に入った。現在の祥子、そして将来の祐巳の象徴。 来年は祐巳と一緒に自分の薔薇を咲かせてみたいと思った。皆に認められ、色鮮やかに咲く薔薇を。 「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」 今の時間は使われていない被服室で、由乃は深く頭を下げる。その先には祥子が立っていた。 この体勢では顔は見えないが、笑顔ではない事は確かだ。 祐巳と気まずくなるのは避けられたが、それだけでは全て解決した事にはならない。 授業の合間では足りないと思った由乃は、時間に余裕のある昼休みに祥子を呼び出し、ここまで一緒に来てもらった。 紅薔薇さまと黄薔薇のつぼみという珍しい組み合わせはただでさえ意味深で目立つのに、不特定多数のギャラリーに囲まれたまま 込み入った話をするわけにはいかない。見世物になるのは祥子のほうも本意ではないはずだ。 「……祐巳や令から、事情は全て聞いたわ」 由乃は顔を上げて祥子と目を合わせた。生活指導室の前で会った時よりは表情が柔らかくなっていた。 「あなたは本当に、祐巳の事が好きなのね」 そう言って祥子は微笑むと、更に続ける。 「祐巳や令のほうも、由乃ちゃんの事が本当に好きみたいね。2人とも違う時間に私のところに来たんだけど、 まるで申し合わせたみたいに同じ事を言うのよ。あなたを責めないでほしい、って」 「え……?」 「私だって、そこまで言われたら責める気になんてなれないわよ。 祐巳も、深刻な顔で由乃ちゃんをどこかへ連れて行ったかと思えば、笑顔で戻ってくるし」 迷惑をかけてしまった、大切な2人。由乃は涙が出そうになった。「ありがとう」とか「ごめんね」とか、 月並みな言葉ひとつでは気持ちを伝えきれない。 「私はあの子の姉だけど、四六時中ずっとそばにいられるわけじゃないし、私には相談できない事だってあるかもしれないわ。 その時は……由乃ちゃん、祐巳をよろしく頼むわね」 「……はい!」 由乃の顔に、久しぶりに明るい表情が戻ってきた。 「焦らなくても、いいんだよね」 放課後。薔薇の館へ行く途中に偶然顔を合わせた令と歩いている時に、由乃がつぶやいた。 剣道部のミーティングに顔を出してから向かっているので、少し遅くなってしまった。 「えっ?」 「もうっ、令ちゃんたら。妹の事に決まってるじゃない」 「……祐巳ちゃんは?」 「祐巳さんは妹候補じゃなくて、大切な親友だから」 由乃が笑顔でそう言うと、令は安心したように表情を緩ませた。 確かに江利子との約束にプレッシャーを感じてはいるが、妹候補をこれからじっくり探してみようと思う。 新しい出会いがあるかもしれない、それともすでにどこかで出会っているかもしれない。 心から大切にしたいと思えるような妹を、見つけたい。 「令ちゃん……私の事で祥子さまに話をしてくれたんでしょう? どう言ったらいいか分からないけど、すごく感謝してる」 令は動揺したのか一瞬肩が跳ね、そして赤面した。実は祐巳に負けず劣らずの百面相の持ち主ではないかと由乃は思った。 しばらく歩いていると、遠く離れた薔薇の館から誰かが出てきた。 最初は分からなかったが、例のツインテールが見えるとすぐに直感が働いた。 「祐巳さん!」 祐巳が大きく手を振ってきたので由乃も同じように振り返すと、そのまま祐巳の元へ走る。 ゆっくり歩いている時間がもどかしい。1秒でも早く祐巳のそばへ行きたかった。 ロザリオの授受が無くても、目に見えるものより確かなものがここにある。 現実を生きる由乃の目にはもう、幻覚が映る事は無かった。 |