準備ができてない! バスに乗ると、座席はひとつしか空いていなかった。 「真雪さん、どうぞ」 「は?」 「私は立ってるんで、座ってください」 「年寄り扱いしないでよ、あんたが座れば」 真雪は不機嫌な顔でそう言うと、立てた親指をぐいっと座席に向けて見せた。別に年寄り扱いのつもりではなかったが、ここで渋ると更に面倒になるので結局ゆららが座席に 腰掛けることになった。 バスが動き始め、真雪はすぐ横で吊り革につかまって立っている。少々爪先立ち気味なのは、あえて見ない振りをした。 まだ20歳なのに、自分の年齢がそれほど気になるのだろうか。今までの付き合いの中で学んだ、真雪に対しての『触れると怒られる話題リスト』には現在、身長・胸のサイズ・ 化粧をしていない顔、の三項目が存在している。地雷が多すぎる気もするが、逆にそれ以外の話題なら多少際どくても許される。気を遣うあまり、話に不自由することはなかった。 何も言わずに窓の外を眺めている真雪を見上げていると、この前勉強を教わりに行った時に唇を重ねたことを思い出した。押し倒されてかなり混乱したが、耳や首筋に受けた 愛撫は嫌悪を感じるどころか、あのまま流されてしまいたいと思うほど心地良かった。女同士でも、真雪ならいいかもと本気で思ったのだ。 自分よりも腕や腰が細くて、純粋な力勝負なら余裕で勝てそうな真雪に押し倒されるのは不思議な気分だった。 性に関する経験は全くないが、真雪が欲情していたのは雰囲気で何となく分かった。 これから先、もっと深い関係になってキス以上のこともするかもしれない。しかし、よくドラマや漫画で男女がしているものとはきっと違う。色々想像しているうちに、頭が 爆発しそうだ。 めちゃくちゃになった脳内を落ち着かせるために視線を上にずらすと、バスの天井近くに温泉旅館の広告が貼ってあった。温泉と言えば何年か前に、家族で行ったきりだ。 夜空を眺めながら浸かった露天風呂が最高だったので、いつか真雪とふたりで行ってみたい。そこまで考えて、真雪の浴衣姿を想像してしまい再び振り出しに戻った。 我に返ると真雪が、吊り革にぶらさがり……いや、つかまりながらこちらを見ていた。 「さっきから赤くなったりため息ついたり、あんた大丈夫?」 「あ、いえ! 何でもないです、別に私、温泉なんて」 「温泉?」 先ほどまでの想像がまだ抜け切れていないらしく、無意識に口から出てきた。 「私が中学の頃、家族で行ってきたの思い出して」 「ふーん」 特に興味のなさそうな調子の真雪に、ゆららは気が抜けた。意識していたのは自分だけのようで恥ずかしい。やがて次の停留所が近づいてきたので、降りる準備を始めた。 「今度、温泉行かない?」 バスから降りた後、並んで歩いていると真雪がそんな発言をした。唐突過ぎてわけがわからない。 「誰がですか」 「私と、あんた。せっかくだから泊まりでね」 「え、本気で言ってます?」 「冗談だと思ってんの? まあ、お金なら私が出すから」 「ちょっと待ってください!」 あっさりと、とんでもないことを言われて焦った。いくらこちらが高校生とはいえ、宿泊代を全部真雪に出させるわけにはいかない。親は許さないだろうし、自分もそういう 形で行くのは嫌だった。対等ではない気がするからだ。 「……私、バイト始めようかな」 「どうしたの、急に」 「温泉旅行は、それからにします」 宿泊代のこともあるが、まだ心の準備ができていない。忘れられない思い出は、せめて自分の力で作りたい。 |