そういう話じゃない! 「真雪さんって、エッチな話も書いてるんですか?」 部屋でパソコンに向かっていた真雪に、ゆららがそう問いかけてきた。思わず手が滑ってキーボードを押し間違える。 ゆららは背後に置いてある小さなテーブルを使って、学校の宿題をしていたはずだ。急にそんな質問が出てくるとは思わなかった。 椅子を半回転させて振り返ると、ゆららがシャープペンを置いてこちらを見ていた。 「どうしてそんなこと聞くわけ?」 「この前本屋行ったら、真雪さんの本が成人向け小説のコーナーに置いてあったので」 「え、ちょっ……何それ」 デビューしてからの2年で色々な恋愛小説を書いてきたが、成人向けに分類されるようなものは1冊も出していない。何かの間違いではないか。大体、活字嫌いのゆららが 成人向け小説のコーナーに置いてあったらしい、真雪の小説に気付くこと自体が有り得ないことだ。それを指摘すると、 「雑誌をレジに持って行こうとして成人向け小説の棚の間を通ったら、そこに真雪さんの名前が書いてある本が」 店員が間違えたのか、それとも1度は手に取った客が元に戻すのが面倒臭くて適当なところに置いて帰ったのか。どちらにしても困る。ゆらら以外の客にも誤解されてしまい そうだ。 そういえばこの前インターネットで「夜のおかず全集」というタイトルの本が、料理コーナーに紛れて並べてある写真が話題になっていた。あれと同じようなものか、いや全然違う。 「そこに置いてあった本のタイトルって覚えてる?」 「やわらかい雪、っていう本だったような」 それは学生時代に不良だった人相の悪い男が、かなり年下の女子高生に翻弄されていくうちに甘酸っぱい恋に落ちる、という内容の話だ。メインふたりの歳の差は大きいが、 決していかがわしい路線のものではない。 ゆららは真雪の本を1ページも読んだことがなく、その本がどういう内容なのかも分からない。置いてある場所だけで勘違いしてしまっても無理はない気がする。 「私、あんたが思っているような内容の話は書いたことないの」 「じゃあ、真雪さんは健全な恋愛ものしか書いてないんですね」 不倫ものや略奪系も書いているので、健全な恋愛ものだけ書いているとは言い切れない。話の展開上どうしても必要で、少しだけ濡れ場も入れたことがある。真雪は本棚から 自分で書いた本の中の1冊を取り出し、濡れ場が載っているページを開いてゆららに見せた。 「ここは健全じゃないけどね」 「うおっ、字ばっかりで目が痛いっ!」 「その大げさな反応、何かむかつくんだけど」 相当なレベルの活字嫌いを見せつけられて、真雪は呆れながら本を閉じた。 こんな調子では、学校で教科書を読む時は一体どうなっているのかと思う。しかしこれでも、 学校の成績は真ん中より少し上だと言うから余計にわけがわからない。苦手な古典や現代文が足を引っ張っているため、試験の時は点を取るためにかなり苦労しているらしいが。 逆に、文系の科目はまともに勉強しなくても上位の成績を取れていた真雪には、ゆららの苦手意識が理解できない。今年卒業した短大は、私立の国文学科だった。 「健全じゃない場面を書く時って、想像で書いてるんですか?」 それは性描写も、ある程度のリアリティを追求して書いているかどうかという意味の質問だろうか。ゆららからの質問じゃなければ、相手を殴っていたかもしれない。 「まあ、大体は想像で書いてる。あとはネットや本で調べたりして」 「そうなんですか……ちょっとドキドキしちゃいました」 「何であんたがそうなるの」 「だって、そういう場面書いてる真雪さんを想像したら……」 ゆららは恥ずかしそうに俯いて、両手で頬を覆う。こんな可愛い姿を見せられてしまっては、怒る気にはなれない。それどころか、今ここでどうにかしてやりたい気分になる。 そんな気持ちを堪えながら、テーブルの上で開いてあるノートを指先で軽く叩いた。 「これ、早く終わらせないと手作りのケーキ出してやらないから」 「ええっ、それは困ります!」 真雪の言葉に反応して、ゆららは慌てて姿勢を正すとシャープペンを再び握った。こういうところも愛しくてたまらない。 「あー、もしかして河合真雪!?」 「やっぱり本物だ!」 駅までゆららを送っている最中、真雪と同じ歳辺りの女数人に囲まれた。 こういうことは慣れているので、今となっては驚かない。自分は芸能人ではないが、雑誌などに時々写真が載るので最近は顔も知られ始めている。 しかし目の前に居るのは、普段サインや握手を求めてくる読者とは雰囲気が違う。これは直感だ。 「河合先生って、色んな男と遊びまくってるって本当ですかあ?」 「服もメイクも派手だもんね、絶対そっちの経験すごいって!」 「セックス大好きなんでしょ、それを生かして小説書いてるって噂ありますよ〜?」 読者から貰う手紙やメールでは本の感想と共に、たまに恋愛の相談も届く。恋愛経験が豊富だと思われている影響だ。 しかしこんなふうに面と向かって、下品な言葉で貶されたのは初めてだ。それだけならまだしも、ゆららの前でそれを言われるのはきつい。ひとりで居る時なら上手くかわせた かもしれないが、今は頭が真っ白になってしまってダメだ。 「……私は」 それは誤解だと反論するために口を開く。固く握り締めた手が震えて止まらない。 真雪が続きを言う前に、横に立っていたゆららが真雪を庇うように女達の前に進み出た。 驚いて、口に出すはずだった言葉を忘れてしまった。 「ひとり相手に大勢で囲んで酷いことばかり言って、恥ずかしくないんですか!?」 「ゆ、ゆらら……?」 「さっきから真雪さんに言ってた言葉、すっごい下品ですよ! 謝ってください!」 ここからではゆららの顔は見えないが、こんなに強い口調で怒りを露わにしている姿は初めて見た。 ゆららが出てきて声を上げたあたりから、周りに人が集まり始めた。ここは駅の近くなので人通りが多いのだ。 それに加えて高校の制服を着た、明らかに年下のゆららに言動を責められたのが気まずくなったらしく、女達はこちらを睨んだ後で逃げて行った。 「真雪さん、大丈夫ですか?」 振り向いたゆららは、いつも通りの穏やかな顔をしていた。それを見た途端に胸がどうしようもなく熱く痺れて、真雪はゆららの腕を掴むとそこに額を埋める。 「ちょっとだけ、このままでもいい……?」 掠れた声で言うと、ゆららの返事を待たずに下を向いて密かに涙を流した。 自分はこんなに脆い人間ではなかったはずだ。なのに今は、この腕に縋らないと立っていることすらできない。 |