放っておけない! 「もしかしたら、いじめられてるかもしれません」 「誰が?」 「かおる……あ、私の弟なんですけど。前にうちで会ってますよね?」 パソコンのキーボードを打っていた手を止めて振り返ると、真雪のベッドに腰掛けているゆららが深刻そうな顔をして大きなクッションを抱えていた。 ゆららにはふたりの弟がいる。今の話に出てきたのは中学2年生の薫で、もうひとりは小学5年生の恵。真雪は家に行った時に軽く挨拶をした程度だが、彼らの顔は覚えている。 恵は年相応の幼い雰囲気だが、薫は中性的で整った顔立ちにシャープな輪郭の美形で、外見が14歳にしては驚くほど完成されている。そして姉のゆららとはあまり似ていない。 今時は大人並みに服やアクセサリーにこだわる小中学生が増えているが、この年齢で飾らずともそれなりに華があるというのは稀だと思う。 「実は昨日、洗面所でシャワー浴び終えた薫の裸を見たんですけど。擦り傷や痣が酷くて……理由を聞いても、親には言わないでくれの一点張り。余計気になるじゃないですか」 「やっぱり、本人が話す気になるまで待つしかないんじゃない?」 「でも、そんな……」 「それにまだ、いじめが原因って決まったわけでもないんだし」 中学ではないが教師をしている奈子にも相談してみたらどうかと提案したが、薫の訴えもあり身内にはなるべく広めたくないらしい。 真雪が出した答えは冷たいと思われるだろうが、強引に聞き出そうとしても余計に拒絶されてこじれるだけだ。特に難しい年頃の相手なら。 ゆららが困っているならできるだけ力になりたい。しかし期待に応えられていないと感じる時は、本当に悔しかった。俯いたまま顔を上げない今のゆららを見ていると、特に。 それにしてもあの、礼儀正しく凛々しい印象の薫がいじめられているとは思えなかった。 身体にできた傷や痣も、違う事情でついたものではないか。そんな予感がする。 薫が学校から帰ってこないと、ゆららから連絡を受けたのは翌日の夕方過ぎ頃だった。部活動をしていない薫が連絡も無しにここまで遅くなることはなく、携帯電話も繋がらないようだ。 下の弟を家に残して、両親と手分けして家や学校の周囲を探しているという。相談を受けてから気になっていた真雪も、薫探しを手伝うためにゆららと合流した。 「薫君の行きそうなところは全部探した?」 「はい……それでも、見つからなくて」 ずっと走り回っていたのか、ゆららは疲れ切った顔をしている。それでも休む気はなさそうなので、せめてもの励ましにゆららの手を取って繋いだ。 強く握り返してきたその手に、真雪も癒されてきた。今度は自分が力を与える番だ。 辺りがすっかり暗くなっても、未だに薫との連絡は取れないままだった。そんな時、偶然近くを通りかかった公園の中で集まって何かをしている学生達の姿を見つけた。 殴り合っているふたりと、数人がそれを囲むように眺めている。いずれも同じ制服を着た男子学生だ。そして殴り合いをしている片方の男子が薫だと、ゆららが早速気付いたようだ。 行方不明だった弟の元へ走ろうとするゆららの腕を引き、真雪は公園の様子が見える建物の陰に押し込む。 「何するんですか、早く助けないと……!」 「あれはあんたが心配しているような、いじめじゃないと思う」 大勢でひとりを痛めつけているならともかく、何かの決まりごとの上で行われているものだと感じた。周りが手出しする様子はなく、あくまで1対1の勝負だ。 おそらく薫はあの場で、何かの決着を付けようとしている。 薫が腹に蹴りを入れられて倒れそうになった途端、ゆららは両手で自らの口を覆った。その顔が青ざめているのがはっきりと分かる。 「もう見ていられない、薫が死んじゃう!」 「ちょっと待って!」 身を隠している建物の陰から飛び出そうとしたゆららの肩を掴んで止めると、涙を浮かべた目で睨まれた。こんなに取り乱したゆららを見たのは初めてだ。 「男同士の勝負に、あんたが出て行ってどうするの? そうやって一生あの子を庇っていくつもり?」 「だって薫は私の大切な……真雪さんには分からない!」 どれだけ責められても構わない。とにかく今、ゆららを向こうに行かせるわけにはいかないのだ。美しい顔に痣を作り、傷だらけになった薫が諦めずに自分の足で立ち続ける限りは。 やがて薫が打ち出した拳が、相手の顎の下に入った。公園へ向かおうとしていたゆららも、そばにいた真雪も、その瞬間を見逃さなかった。 「おれ……勝ったよ」 男子生徒達が逃げるように去った後で地面に倒れ込んだ薫が、駆け寄ったゆららに支えられながら上半身を起こす。目は虚ろだが、その顔は嬉しそうに笑っていた。 「みんな薫のこと心配してたんだから! ちゃんと説明してよ!」 「あいつ、姉ちゃんのこと狙ってたみたいでさ……紹介しろって毎日うるさくて、断ってたら仲間連れてきて殴ってきやがった」 まさか自分が絡んでいるとは思っていなかったのか、それまで薫を叱っていたゆららの表情が凍りついた。 「さすがにあの人数相手じゃ無理だから、条件つけてサシに持ち込んだ。おれが負けたら、姉ちゃんを紹介する以外なら何でも言うこと聞くって」 「……なん、で、私のためにそんな! 無茶なこと……!」 「だって、好きな人いるんだろ? 姉ちゃんは絶対そいつと幸せにならなきゃダメだ」 涙を流しながら薫を抱き締めるゆららを見て、真雪は自分の判断が本当に正しかったのかと考えた。 結果だけならこれで良かったかもしれないが、立っているのも精一杯な弟の姿を遠くから見ていた時のゆららはどんな気持ちだったのか。真雪が不安にさせたのは事実だ。 ゆららから相談を受けたのが奈子や凛だったら、もっと早く薫を救えたかもしれない。今更どうしようもないことばかりが、頭の中を重く満たしていた。 |