代わりにはなれない!





まだ夕方になる少し前に、真雪はひとりで家路についていた。
気分は最悪で、苛々したり鬱になったりを延々と繰り返しては深いため息を吐く。先ほどまで一緒にいたのはゆららで、本当はこんな中途半端な時間に家に帰る予定ではなかった。
街を歩いている時に、ささいなことで喧嘩になってしまった。ゆららは普段は穏やかでマイペースだが、言いたいことは遠慮なく口に出す性格だ。一度でも火がつくとお互いに全く引かず、 周囲の視線もお構いなしで口論を繰り広げ、ゆららの「真雪さんって大人げないですよね」の一言で完全に限界を超えた。それを言われたのは初めてではないが、今日は何故か激しい憤りを覚えた。

『私が大人げない? じゃあ完璧な人と付き合えばいいでしょ』
『完璧な人が好きだなんていつ言いました? それに私、真雪さんにそういうの求めてませんし』
『何それ、バカにしないでよ! 子供のくせに!』
『そうやって人を子供扱いするところも、大人げないと思います』

怒りで冷静さを失った真雪は、思わず手のひらを高く振り上げた。暴力でねじ伏せるなんて最低だ。これだけは絶対にしないと決めていたはずなのに。
ゆららは真雪を正面から睨んだまま動かなかった。殴りたければ殴れ、と無言で圧力をかけてきている。出会ってから数ヶ月経つが、ゆららのこんな顔は初めて見た。 我に返った真雪は結局ゆららを殴ることなく背中を向け、何も言わずに走り去った。
この日のために朝から気合いを入れた化粧も新しい服も、今はもう涙と汗で台無しだ。耳元で雪の結晶のピアスが揺れる感覚に、更に涙が出てくる。高校生との喧嘩でこんなに 取り乱す自分が情けなかった。
このまま、ゆららと和解することなく疎遠になるのは辛い。こちらから折れて謝るべきだろうか。しかし、許してもらえなかった場合のことを想像すると、怖くて腰が引けてしまう。

「ねえねえどうしたの、彼氏と喧嘩?」

その声に顔を上げると、見知らぬ若い男がふたりが真雪の前に立っていた。いかにも軽薄な雰囲気で、目を合わせた途端に嫌な気分になる。無視して先を急ごうとしたが、 肩を強く掴まれて足が止まった。そして突然顔を覗き込まれて息を飲む。

「……もしかしてあんた、雑誌に写真載ったことない?」
「マジで? 彼女、何やってる人なの」
「んー、思い出せないから直接本人に教えてもらっちゃおう」

勝手に話が進んだ挙句、腰まで抱かれて寒気がした。

「触らないでよ、気持ち悪い!」

手を振り払いながらそう叫ぶと、男達の表情が険しくなる。ゆららとの喧嘩で不安定になっているので更に何かを言ってやろうとしたが、視界の端に突然現れた女を見て 言葉を失った。

「真雪さん、今日は友達と一緒なの? 全然仲良さそうに見えないけどね」

ジーンズにTシャツという珍しくラフな格好をした奈子が、腕組みをしてこちらを見ている。
本人は相変わらずの上から目線だが、男達は奈子の存在に気付くと魂を抜かれたように呆然とした。
この加藤奈子という女は、最低限の薄い化粧やスーツなどの色気のない服装でも、美しい顔立ちと長身で相手を圧倒する。今も明らかにその状態だった。 コンプレックスである童顔を濃い化粧で、低い身長を踵のある靴でごまかしている真雪とは正反対だ。

「盛り上がってる最中に悪いけど、これからその人といいところに行く予定だから」

いいところ、の部分を強調しながら奈子は真雪の腕を掴んで引き寄せ、そのままどこかへと連れて行く。男達が追ってくる気配もない。しばらく歩いた後で、ようやく腕が 解放された。

「いいところってどこですか」
「あんなの嘘に決まってるじゃない、暇つぶしに首を突っ込んだだけ」

棘のある言いまわしも、何度も聞いているうちに慣れてきた。

「何かあったの? いつものあなたなら、あんな奴らに触らせたりしないはずだから」

鋭く指摘されて、真雪はどきっとした。いつから見られていたかは分からないが、知り合ってからまだ日の浅い人間の心境を見抜いている。
観念して、先ほどの出来事を奈子に話した。今でも苦手な人間であることに変わりはないが、ゆららと気まずく別れたことがあまりにも辛く、相談できる相手を求めていたのだ。

「やっぱりゆららは私より、加藤さんみたいなタイプのほうがいいのかなって」
「あの子が私と真雪さん、それぞれに求めているものは全然違うでしょ。私はあなたの代わりはできないんだし」

もちろんその逆も然りで、真雪は立場も性格も何もかもが違いすぎる奈子にはなれない。
そういえば、ゆららからは「大人げない」と何度も言われているが、付き合いは普通に続いていた。
真雪に完璧さは求めていないという言葉を思い出す。それは今のままでもいいということか、それとも改善の余地無しだと諦めているのか。
そもそも今回の喧嘩は、真雪の勝手な思い込みで泥沼化したものだ。言われ慣れている発言を、今日に限って受け流せなかった自分が悪い。しかも最後は謝りもせずに逃げるという、 子供っぽい行為をしてしまった。高校生のゆららのほうが、常に冷静だった。

「ゆららのお手本は、私ひとりだけで充分。そう思わない?」

普通なら失笑ものな発言だが、奈子が自信たっぷりに問いかけてくると妙な説得力がある。ゆららの前では、憧れのお姉さんを見事に演じきっているのだから。


***


自宅に着くと、ゆららがドアの前で膝を抱えて座り込んでいた。別れた時の格好のままで。

「……あんた、いつからここにいたの」
「ちょっと前からです。あれから私、ずっと考えてて……今までずっと、年上の真雪さんに対して生意気だったかなって。だからいつも喧嘩ばっかりなのかもしれない」

腰を上げたゆららは真雪の前に立った。怒ってはいないようだが、どこか思いつめているように見える。

「落ち着くまで距離を置くか、それとも私が真雪さんへの接し方を改めるか」
「何、言ってんの」
「そうしないと私達は、だめになるかも」

恐ろしい宣告に真雪は凍りついた。頭に血が上ってゆららを殴ろうとした自分と、こちらに向けられた強い眼差し。あれが全てを狂わせたのだ。そうに違いない。

「接し方を考えなきゃいけないのは、私のほう。あんなことして本当に最低。子供みたい」
「真雪さん……」
「あんたのこと大切にしたいのに、それができなかった。もう嫌われたかもしれないって思うと、怖くて謝りに行けなくて」

ごめん、と呟いて俯くと再び涙があふれてきた。泣き顔は前にも1度見せているが、やはり恥ずかしい。今まで自分は気の強い方だと思っていたのは、勘違いだったようだ。 ゆららのことになると、途端に情けない姿を晒してしまう。
そんな時、信じられないことが起こった。しばらく黙っていたゆららに抱き締められ、混乱と共に身も心も熱くなる。真雪より背は高いが16歳の少女なので、真雪を完全に 支えるには少し頼りない。それでも服の布地越しに感じる柔らかさや温もりに、心地良く甘酸っぱい気分になった。

「ここで待ってて良かった。お互いに意地張ったり怖がってたら、前に進めないですしね」
「……ねえ、あんたは何も変わらなくていいから。そのままで、私のそばにいて」
「私も、今の真雪さんがいいです」

その言葉が嬉しくてゆららの背中にしがみつくと、真雪を抱き締める腕の力も強くなった。




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2011/8/2