ランウェイとロマンス





「次、BGMが変わったら奈子ちゃんの出番だからね」
「はい」

眼鏡をかけた女性スタッフに声をかけられ、数分後に迫る現実を改めて思い知る。今までの自分には全く縁の無かった、色鮮やかな光と音で溢れた世界。最初は乗り気になれなかったが、ここまで来たら全力でやるしかない。
燃えるような真っ赤なドレスと髪飾りに身を包み、指示されたタイミングで奈子は眩しい舞台へと踏み出した。


***


全ての始まりは、3日前の夜だった。

『ねえ奈子、モデルやってみる気ない?』
『ない』

宿題をしている最中、姉の凛が部屋に入ってくるなり妙な話を持ち込んできた。

『いやいやいや、話だけでも聞いてくれると嬉しいんだけどな』
『興味がない』

奈子は教科書のページをめくりながら断言したが、姉はお構いなしに話を始めた。雑誌の読者モデルをしている縁で知り合った若手のデザイナーが、今度ファッションショーを行う。 しかし参加するはずだったモデルのひとりが突然体調を崩して入院することになり、代わりを探しているのだがなかなか見つからず困っているらしい。
だったら姉さんがやればいいと提案してみたが、身長などの条件に合わないと言われて却下された。面倒なことになってきた。
知名度も人気もある姉ならともかく、素人の高校生である自分がファッションショーに出ても上手くいくはずがない。見に来た観客も白けるだろう。

『大勢の前で歩いたり、笑ったりするんでしょう? 私には無理』
『奈子って先生になるのが夢なんだよね? そうなったら毎日大勢相手に喋ったり、動いたりしなきゃいけないじゃん』
『……』
『人生の中のたった数分だよ? 絶対いい経験になると思うんだけどな、ねっ?』

両手を合わせて粘る姉を見て、奈子はため息をついた。かなり無理矢理な感じもするが、姉の言うことも分からなくもない。教師になると決めてからは教育大学に入るための勉強をしたりと、それなりに努力はしている。
しかし自分は他人と上手くコミュニケーションが取れず、付き合いは狭く深いほうが心地良いと感じる人間だ。そして好きなもの以外には無関心。明らかに教師向きの性格ではない。
このままではいけないと、心の隅では思っていた。大勢の人間に注目されることがどんなものか、これを機会に肌で感じるのも悪くない……かも、しれない。


***


姉やスタッフはランウェイと呼んでいた、前方に真っ直ぐ伸びた通路のような舞台を、派手な音楽に合わせて歩く。
今日までの3日間、打ち合わせとウォーキングの特訓を何度も重ねてきた。自分の失敗ひとつで、ショーの雰囲気は壊れてしまう。一瞬でも気は抜けない。
立ち止まる位置で観客に笑顔を見せなければいけないのだが、面白くもないのに笑えるはずがなかった。あと数歩でその時が来るのに自信が持てずにいた。
いよいよその瞬間を迎えた時、観客席の最前列に予想外の人物が座ってこちらを見ていた。初めて見る私服、そして膝の上にはスケッチブックが置いてある。 このショーに出ることは伝えていなかったはずの唯が、そこにいた。胸の前で小さく両手を振って奈子を見ている。
あまりにも驚きすぎて、しかし唯が見守ってくれているという安心感が生まれたせいか、自然に笑みがこぼれた。


***


「……何で知ってたの?」
「あのね、凛さんが教えてくれたんだ。奈子がファッションショーに出るから見に来てねって」

ショーが終わった後、打ち上げに誘われたが断った。自分の役目は終わったのだ。
ドレスを脱いで私服に着替えた奈子は、会場の外で待っていた唯と共に家路につく。

「奈子が笑顔になれなかった時の、最終兵器だって言ってた」

そういえばウォーキングの練習などに付き合ってくれた姉は、奈子が笑顔を上手く作れないことを最後まで心配していた。もしもの事態に備えて、密かに唯に声をかけていたのだ。 その判断は正しかった。入院したモデルの代わりとして奈子を紹介した姉や、デザイナーの顔を潰さずに済んだのだから。

「ランウェイ歩いてる奈子、すごく綺麗だったよ。モデル続ければいいのに」
「もう充分。いい経験になったから」

大勢の観客の視線が一斉にこちらに集まった瞬間の緊張感は、今でも忘れられない。そして感じたことのなかった高揚感も。しかしあの場所に立つのは今日が最初で最後だ。

「あー、でもこれで奈子の魅力がたくさんの人に知れ渡ったってことか!」
「どうせみんな、明日になったらすぐに忘れると思う」
「だめだなー、もっと自信持たないと!」
「あんただけでいい」
「……えっ?」

身を屈めた奈子が唯の唇を奪った瞬間に周囲の音が聞こえなくなり、時が止まった。


***


数週間後、姉が持ってきた雑誌の記事に『16歳の赤い彗星、衝撃デビュー』、『加藤凛の妹、ランウェイで観客3500人を挑発』という意味不明な見出しと共に添えられた写真には、あの赤いドレスを着て歩く奈子が写っていた。

「実は編集部のほうから、姉妹共演企画の話が」

絶対に何かを企んでいる姉が言い終わらないうちに奈子は、読んでいた本を閉じるとソファから立ち上がり、慌ててリビングを飛び出す。とんでもなく嫌な予感がしたのだ。




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2012/5/6