説明できない!





男と女が肩を寄せ合うラストシーンに、ゆららは溢れてくる涙が止まらなかった。
ドラマを観てこんなに泣くなんて何年ぶりだろう。自分の部屋にテレビがあって良かった。家族に見られたら引かれそうな勢いで号泣しているからだ。 大量のティッシュを箱から取って涙を拭いた後、思い切り鼻もかんだ。明日はきっと、目が腫れている。
黒い背景を流れていくスタッフロールの中に見つけた名前に、感動は更に高まった。
『原作 河合真雪』という文字が流れて消えていくまで、ゆららはそれをずっと見つめていた。


***


「私、あれから録画したものを3回くらい観ちゃいました! 主人公と女子高生が結ばれるシーンはもう甘くて切なくて、歳の差なんて関係ないんだーって心の中で叫んで たくらいで! 真雪さんの書くお話ってすごく素敵なんですね……今日も帰ったら観ますよ本当に!」

ドラマの放送から数日後、ゆららは喫茶店でフォークを握り締めながら力説する。食べかけのケーキの存在もすっかり忘れていた。
向かいの席に座っている真雪は無言のまま、アイスティーの底に沈んでいる輪切りのレモンをストローで何度も突き刺していた。ゆららとは目を合わせずに、俯いて眉をひそめている。
最初、ゆららがあまりにもうるさいので不機嫌になっているのかと思った。しかしそれが勘違いだと気付いたのは、真雪がようやく顔を上げて口を開いた後だった。

「……違う」
「え?」
「あのドラマは、私が書いた小説とは別物なの」

あんなに感動したドラマの原作者自ら、衝撃的な発言をした。ゆららはそれまでのテンションが急降下して、何も言えなくなってしまう。

「まあ確かにCMを抜けば1時間半とちょっとの時間内で、本の内容を全部映像化しろっていうのは無理があるだろうし、台詞や展開が多少カットされるのは仕方ないと思う。 けど! 我慢できないのはあのキャスティング! 出てくる刑事はバツイチ中年男のはずなのに、何故か若い女刑事になってるの! それからもっと許せないのは主人公!」
「主人公役って、今すごい人気のイケメン俳優さんですよね」

ゆららがそう言った途端、真雪はただ事ではない形相でテーブルを両手で強く叩いた。どうやら最も触れてはいけないものに触れてしまったらしいが、もう手遅れだった。

「あの話の主人公は、あんな優男じゃダメなの! 原作じゃ、ヤクザと間違われて苦労するくらい人相の悪い男なんだから!」
「ええっそうなんですか!?」
「ヒロインの女子高生は、そんな主人公の内面に惹かれていくのにあれじゃ、話の根本から否定されたのと同じ!」

店内で散々叫んだ後、真雪は大きなため息をつきながら頭を抱えた。原作の小説を読んでいない自分には、そんな真雪にどんな言葉をかけて慰めれば良いのか分からなかった。


***


真雪と別れた後でゆららは、いつも学校帰りに立ち寄って雑誌を買っている書店に向かった。文庫本コーナーに行くと、真雪の本が目立つところに平積みされている。 最近ドラマ化されたあのタイトルの本には、『ドラマ化決定!』という宣伝文句と共にメインの俳優ふたりの写真が載った帯が付いていた。
ゆららはその本を手に取り、ページをめくってみる。細かい文字の羅列に目眩がしたが、今日は簡単に引き下がるわけにはいかない。記憶の中の苦しそうな真雪の姿が、折れそうな心を奮い立たせた。
ドラマの中で聞いた台詞をいくつか見つけたおかげで、少しだけ気持ちが楽になる。そして更に後のページに書かれていた会話が、ゆららを凍りつかせた。

『お前は俺のどこを、そんなに気に入ってるんだ』
『どうしたの急に』
『怖くねえのか、こんな人相の悪い奴にくっついてくるなんてよ』
『確かに顔は怖そうだけど、中身はすごく温かい人だよ』

……こんな会話、ドラマにはなかった。何度も繰り返し観たのだから間違いない。主人公の男とヒロインの女子高生がどこかで会話をしている場面のようだが、全く覚えがないのだ。
ドラマ版の主人公は20代前半あたりの若い男優で、どう見ても怖そうな顔ではない美形だった。なので原作に書かれているあの会話は成り立たない。不自然すぎるから、 場面ごとカットされてしまったのだろう。

『俺に顔向けできねえほど、その女子高生とはやましい関係ってことか』
『てめえの気色悪い妄想に付き合ってる暇はねえんだよ、変態野郎が』
『チンピラ崩れがいい気になるなよ。お前みたいな底辺が偉そうな口を叩きやがって』

この場面もだ。ドラマに出てきた刑事は美しい女性で、主人公に意味深な態度で迫っていた。しかし喫茶店で真雪が言っていたとおり、原作での刑事は執念深い中年男だ。 主人公を誘惑するような展開があるはずがない。
真雪は担当者から送られてきた企画書を読んだ段階で、原作とは異なる出来になると分かっていたらしい。原作者だからといって、自分のイメージするキャストの希望が通るわけではない。 制作側は、とにかく人気の俳優を使って視聴率を稼ぎたいという思惑もあるのだろうが、大人の事情は残酷だ。
放送された翌日、廊下で3年生の女子が数人固まってドラマの話題で盛り上がっていた。「面白かった!」とか、「主人公かっこよかった!」という感想が上がると、 その中のひとりが「でも、原作と違うよね」と言って残念そうな顔をしていたのを思い出した。あの言葉の意味が、今なら痛いほど分かる。
ゆららは本を閉じると、それをレジに持って行った。真雪の書いたこの本こそ、活字嫌いな自分が生まれて初めて買う小説だった。


***


「うわっ、あんたが本読むなんてめっずらしい!」

休み時間、まだ最初のほうしか読めていない真雪の本を広げていると、友人の理英が背後から現れて声をかけてきた。長い髪の隙間から、実は校則違反のピアスがちらりと見えた。

「あっ、河合真雪の小説! この前ドラマになったやつじゃん!」
「うん……何だか、気になって」

様々な意味を込めて、ゆららはそう言った。この本を全部読み終えた時、真雪がゆららに伝えたかったことが見えてくるかもしれない。気のせいでも自己満足でも構わなかった。 何も知らないままこの先、真雪と接していくことはできない。
あのドラマはもう観ていない。繰り返し観るほど気に入っていたのは、真雪の小説に触れる前までのことだ。きっと強い思い入れがあるに違いない、台詞や地の文ひとつひとつを 1日数ページずつ追い続けているうちに、ドラマのほうが薄っぺらいものに思えてくる。

「でも急にどうしたの? 本なんて教科書だけで充分とか言ってたのに」
「恋、かな」

よほど驚いたのか、理英は口を薄く開いて呆然としている。深く考えずに口から出てしまったので、言葉の意味は上手く説明できなかった。
こんな感情、今まで知らなかったのだから。




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2011/7/1