噂の真相 「加藤さんの噂は、前から色々聞いてたの」 放課後、待ち合わせ場所の玄関前に現れた唯はスケッチブックを抱えていた。学校でもどこでも、描きたい時に描けるように常に持ち歩いているようだ。 以前なら授業が終わるとひとりで家に帰っていた奈子は、最近は唯と一緒に帰ることが多くなった。あれほどの画力なら美術部に所属していてもおかしくないと思って いたが、絵は他人に口出しされずに自由に描きたい主義らしい。 更に、女子の集団はうるさいので嫌いだという唯の主張に、奈子は何となく自分と通ずるものがあると感じた。もしかすると、予想以上に気が合うかもしれない。 下校する生徒達に紛れて、駅までの道のりをふたりで歩く。 「私の噂?」 「そう、違うクラスだけど加藤さんは有名人だから。暴走族の一員で、夜はすごい派手なバイクに乗って走ってるとか。他の学校の不良と喧嘩して病院送りにしてるとか。 あとは……何だっけ、オヤジ狩り?」 暴走族や喧嘩はともかく、援助交際の代わりに恐喝が出てきたことに笑ってしまう。大体これで、奈子が周囲にどう思われていたかが分かった。他人に興味がなかったので、 自分に関する噂にも全くの無関心だったのだ。噂を聞くほど学校に来ていなかったせいもあるが。 それにしても、そういう類の噂が絶えない奈子に、しかも初対面で絵のモデルの話を持ちかけてきた唯は変わり者だ。 数々の噂が立っているようだが、奈子は髪を染めて煙草を吸ったり、学校をさぼっていただけだ。警察の世話になるようなことはしていない。 「私、絵に関しては妥協したくないの。加藤さんが本当に暴走族だったり喧嘩ばかりしている人だとしても、私はあなたがモデルを引き受けてくれるまで追いかけていたと 思う。だって、加藤さんの代わりは誰にも務まらないから」 大人しそうな見た目に反して、かなり強気で大胆な性格だ。たとえ奈子がモデルを断っていても、容易には逃れられなかっただろう。 噂通り、派手なバイクに乗って夜の街を飛ばしている奈子の後ろから、全速力で走って追いかけてくる唯を想像してしまった。 「姉が、遠野さんを家に連れてきなさいって言ってたんだけど」 「えっ、私を?」 「描いてくれた絵を見せたら、興味がわいたみたいで」 数分後、このまま奈子の家に唯を連れていくという流れになった。姉は部活動もバイトもしていないので、今から帰ればあまり待つことなく会えるはずだ。 姉が1番喜んでいた、奈子が高校に入って初めて出来た友達、という件は唯には伏せておいた。会わせた時に、あのお喋りな姉が余計なことを言わなければいいが。 「あなたが遠野唯ちゃん!? 奈子の絵、見た見た! 上手いよねー感動した!! まさかこんなに早く会えるなんて思わなかったからすっごい嬉しいー! 奈子って高校に 入ってから全然友達できてなくてさ、まあ学校もあまり行ってなかったから仕方ないんだけどね! これからも奈子のことよろしくね!」 玄関で唯を紹介した途端に大喜びして、唯の両手を握りながら好き放題まくし立てる姉に奈子は頭を抱えた。しかも言わないでほしかったことまで、しっかり 唯に言ってしまった。さすがの唯も、手を握られたまま呆然としている。 しかも唯のスケッチブックを見せてもらった姉は、その中身によほど感激したのか自分をモデルに絵を描いてほしいと言ってきた。初対面の相手でも、遠慮も何もない。 唯はそんな姉に対して、「いいですよ」と笑顔で答えた。嫌そうな顔はしていない。やはり絵のことになると、テンションが上がるようだ。 場所を移して、姉は制服姿のままリビングのソファに腰掛けた。向かい側に座った唯は、早速スケッチブックを開いて鉛筆を動かし始める。隣でそれを眺めていた奈子は、 前にモデルをやった時は見えなかったその鉛筆の動きに息を飲んだ。何の迷いもなく、驚異的な早さで姉の姿が描かれていく。 途中、奈子が少し身を乗り出すとソファに置いていた鞄が大きな音を立てて床に落ちたが、唯はそちらに意識を向けることはなかった。今モデルをしている姉も奈子も、反射的に落ちた鞄を見てしまったのに。 恐ろしいほどの集中力だ。描いている間は、完全に絵の世界に入り込んでいるのだ。 10分も経たないうちに、唯が鉛筆を止めて顔を上げた。姉より先に絵を見た奈子は、期待以上の完成度に対して言葉が出なかった。上手いね、だけでは片付けられない迫力が 数秒見ただけでも伝わってくる。 スケッチブックに描かれた自分の絵を見て、姉は大はしゃぎしていた。奈子の時と同じように絵を手渡されると「一生大事にするから!」と、まるでプロポーズのようなことを言った。 「お姉さんに、あんなに喜んでもらえるとは思わなかった」 奈子の部屋でふたりになると、唯は先ほど手渡した缶ジュースに口を付けた後で嬉しそうに言った。絵を描いていた時の鬼気迫る表情とは違う、年相応の笑顔だ。 あれから姉は、友達からメールで呼び出されてどこかへ遊びに行った。奈子とは違い社交的なので、昔から男女問わず友達が多いのだ。しかも同じ学校に彼氏が居るらしい。 「加藤さん、さっきお姉さんが言ってたのって本当?」 「何が」 「私のこと、友達だって。そう思ってくれてるんだ」 予想外の展開に、奈子は驚いた。高校に入ってから全然友達ができなかったと聞いて、引いているかと思ったのだ。できなかったというよりは、作らなかったのだが。 恥ずかしいわけではなく、単独行動を好むらしい唯にとっては重く感じる気がしていた。 「実は私ね、モデルを引き受けてくれたのをきっかけに、加藤さんと友達になれればいいなって期待してたの」 「え……?」 「最初はとにかく加藤さんを描きたいって、それだけだった。でもいつの間にか、あなたと一緒に居るのが楽しくなって……」 唯を喜ばせたことと言えば、絵のモデルになったことくらいだ。面白い話をしたわけでもなく、何をそんなに気に入ってくれたのか分からない。正直、悪い気はしないが。 「ねえ、もし嫌じゃなかったら、これからは奈子って呼んでもいいかな」 目を輝かせた唯が、じっとこちらを見てくる。そんなふうに言われたことも、見つめられたこともないので戸惑った。 「……唯、って呼ばせてくれるなら」 落ち着かなくて視線を逸らしながら言うと、唯は奈子の手を強く握った。色白の手から伝わる温度が、この心を乱した。 |