余裕がない! まさか自分がこの衣装を着る日が来るとは、という考えは昼過ぎの悪夢のような忙しさにかき消されていった。 よく漫画に出てくるような、フリルのついたエプロンと膝丈のスカート。胸に付けている、自分の下の名前が書かれた名札。 いつも授業を受けている教室は机の位置を変え、一般客が出入りする喫茶店になっている。入口にかかっている2年4組の札の上には「メイド喫茶」と大きく書いてある 紙が張り付けられて、アピールは完璧だ。 ゆららの通う高校は現在、年に1度の学園祭が行われていた。一般公開日である今日は、全てのクラスがそれぞれ企画を立てて盛り上げている。 「ゆらら、今入ってきたお客さんから注文取ってきて!」 「分かったあ!」 「森下、あのテーブルにジュース運んでくれ!」 「今行くー!」 同じメイドの格好をしたクラスの女子や、裏方の男子に次々に呼ばれて目が回りそうだ。 少し前までは暇だったせいか、教室に待機している生徒が足りないまま接客をしている。 何人か呼び戻してもらえないだろうかと思いながらも、あと30分で違うクラスメイトと交替なので、それまでは頑張るしかない。 新しい客から注文を取り、別のテーブルに飲み物を運んだところで一息ついていると、教室の入口あたりがざわついた。サインください! だの、ファンです! という声が聞こえてくる。 まさか芸能人が来たわけでもないだろうし、予想できるパターンはひとつしかない。 肩の少し上まで伸びた茶髪に、小柄で細い身体。足や腕を大胆に露出している服を着た、化粧の濃い女性。 「真雪さん……!」 他の客やメイド達に紛れながら、ゆららは小さな声でその名前を呟いた。空いている席に座り、集まってきたファン達に応えている真雪はまだこちらに気付いていないようだ。 真雪の恋愛小説は、学生にも評判が良い。校内にはたくさんの支持者が居るのも知っていた。ふたりで遊んでいる時は実感がわかないが、こうして大勢に囲まれているのを見ていると、 普通の高校生である自分とは違う世界の人間なのだと思い知らされる。 「か、河合先生! 注文をお伺いします!」 人気作家に対して緊張しているのか、メイドのひとりがメモ帳片手に真雪のそばに立つ。 「注文、ね」 真雪は教室中をぐるりと見渡した後、頬杖をついてメイドを見上げる。 「森下ゆらら」 「えっ?」 「確かこのクラスの喫茶店でメイドしてるんでしょ? 出して」 予想外の展開に、ゆららは驚いて固まってしまった。この学校の生徒であるゆららの名前が入った、一般客用のチケットは数日前に渡していたので来てもおかしくはない。 原稿の締め切りが近いので、行けるかどうかは分からないと言っていた。それでも忙しい中、来てくれたのが嬉しい。 「ほら、ゆららご指名!」 後ろに居たメイドが、ゆららの背中を押して真雪の元に行かせた。目が合うと、真雪は口元に笑みを浮かべる。穏やかなものではなく、何かを企んでいるような種類のものだ。 「ま、真雪さん……いらっしゃいませ」 「へえ、本当にメイドの格好してるんだ? 想像してたより地味だけど」 「何を想像してたんですか!」 「だって、スカート長っ!」 真雪はそう言って、ゆららのスカートの裾を摘んでめくった。制服のものより丈が長く、色も地味なそれを。太腿まで丸出しになり、ゆららは短い悲鳴を上げた。 「ここはそういう店じゃないですから! 大人向けのところでやってください!」 「メイドならご奉仕してくれるのかと思って」 「オヤジくさい……」 「ねえ、私アイスコーヒーね。早く持ってきて」 唐突に注文を聞かされ、ゆららは動揺しながらもそれを裏方の男子達に伝えに行く。その途中で複数のメイドから真雪との関係を聞かれて参ってしまった。質問攻めに遭うのは 慣れていないのだ。 やがてアイスコーヒーを持って再び真雪の席に戻ると、ブックカバーをかけた小説を読んでいた。そうえいば外で真雪が携帯をいじっているのは、あまり見たことがない。 仕事関係らしい 電話に出たりはするが手短に終わらせるし、送られてきたメールにも返事を延々と打ち続けたりはしない。一緒に居るゆららに気を遣ってくれているのかもしれないが、ひとりの 時も携帯より本を選ぶというのが意外で、見た目とのギャップを感じさせる。 「アイスコーヒー、お待たせしました」 「ありがと。ところであんた、休憩時間とかないの?」 「もうすぐ別の子と交替しますけど」 「じゃあ、学校の中案内してよ。その格好のままで」 「ええっ! さすがに着替えたいですよ、勘弁してください!」 真雪との絡みで、また店内の注目を集めてしまっている。 それでも何だか、こうしているのはすごく楽しい。ゆららは心からそう思った。 |