……吹雪が沈み、叢雲・鈴谷・摩耶が大破。艦隊の状況が絶望的な中でレ級に立ち向かった赤城と加賀は、攻撃を繰り返すもレ級に決定的なダメージを与えられずにいた。そしてとうとうレ級の反撃に遭い、ふたり共大破してしまった。
 圧倒的な力の差を見せつけられ、今度こそ轟沈を覚悟した叢雲が見たものは信じられない光景だった。立っているのもやっとという状態のはずの赤城と加賀から、再び艦載機が放たれたのだ。装甲空母でもない限り、中破以上の空母が攻撃をすることはできない。そんなことは駆逐艦の叢雲ですら知っている。
 艦載機による攻撃がレ級の頭を砕き、断末魔の悲鳴が上がった。レ級も赤城と加賀の攻撃に驚いたらしく、絞り出すような声で『何で』『どうして』を繰り返す。
「答える必要はありません」
「あなたに私達の心は、永遠に分からない」
 まるで赤城と加賀の命を削って放たれたかのような艦載機は、容赦なく次々とレ級を襲いとどめを刺す。
 やがて息絶えたレ級が海の底へと沈んでいくのを見届けた後、赤城と加賀は気を失った。この人達まで失うわけにはいかない。ふたりを支えようとした叢雲のそばには、力を振り絞った鈴谷と摩耶も来てくれていた。
「まあこの状態じゃ、ちょっち戦闘は無理……だけど、支え合って帰るだけなら何とかなりそうじゃん?」
「お前だけで何とかしようとするんじゃねえよ、叢雲」
 もはや下位の駆逐艦とすら戦う力も残っていない5人の艦隊は、互いに肩を貸しながら少しずつ時間をかけて母港が遠くに見える場所までたどり着いた。
 母港には小林の姿があった。しかし彼はまだこちらに気付いていないのか、遠くの海を眺めたまま動かない。小林の視線の先にあるのは、吹雪が沈んだ海域だ。そして彼の顔は紙のように白く見え、生気が失われていた。
 やがて小林は迎えた5人に補給と入渠を命じ、それ以上は何も言わずに背中を向けた。ひとりで鎮守府に戻っていく姿を見て、叢雲は胸騒ぎがした。嫌な予感が当たらないことを祈りながら、皆と共に補給に向かった。



 他の4人より先に入渠を終えた叢雲は、小林がいるはずの執務室を訪れた。
 鈴谷と摩耶がドックを出るのは夜明けあたり、そして赤城と加賀はおそらく丸1日以上かかるだろう。
 ノックをしても返事がなかったので勝手に開けてみると、執務室の机に小林が顔を伏せて眠っていた。吹雪を失ったことで、自分の部屋に帰る気力すら無くなってしまったようだ。叢雲自身も気持ちが沈んでいたが、とりあえず小林を起こして部屋まで連れて行かなくては。風邪を引いて寝込まれても困る。
「あんたねえ、こんなところで寝ないでよ。まあ……今日だけは特別に、私が部屋まで肩を貸してあげてもいいんだからね」
 声をかけても起きる気配がない。溜息をついて更に机まで近づいた叢雲は、どこか異様な気配に足を止めた。
 ナイフで自らの胸を刺した状態の小林は、椅子に腰かけたまますでに息絶えていた。椅子の下には血溜まりが大きく広がっている。命が尽きる直前まで眺めていたのか、机の上には小林と吹雪が並んで写っている写真が置かれていた。
 血の匂いが漂う小林のそばで、叢雲は悲鳴を上げた。



 あともう少しだけ手を伸ばせていたら、吹雪を救えたかもしれない。そして小林も自ら命を絶つことはなかった。
 母港で腰を下ろし、海をぼんやりと眺めながら叢雲はそればかりを考えていた。
 小林の死から数日経ち、この鎮守府は解体されることになった。所属している艦娘達は艤装を下ろして一般市民として生きるか、他の鎮守府で艦娘として戦い続けるかの選択を迫られる。どちらを選んでも、ここを出ていかなくてはいけないのは同じだ。すでに数人の艦娘が、他の鎮守府から指名を受けている。
 仲間を救えず、目の前で沈んでいくのを見ていることしかできなかった無力な自分。このまま艦娘を続けていても、また同じことを繰り返すかもしれない。
「こばの葬儀、終わりました」
 背後に感じた気配と共に、聞き慣れた声がした。振り向くと、喪服姿の山岸が後ろにいた。叢雲はゆっくりと立ち上がり、彼の正面に立った。
 上層部は小林の件について、彼が指揮を執っていた艦隊が甚大な被害を受け、その責任の重さに耐えきれずに自ら命を絶ったのだと遺族に説明したらしい。しかしその後、轟沈した艦娘の後追い自殺であったという噂が立ち、それを知った小林の遺族が「艦娘が息子を殺した」と怒りを露わにし、小林の元にいた艦娘達は彼に線香をあげることも、最後の別れに立ち会うことも許されなかった。小林を弔う全ての艦娘の想いを、参列する山岸に託していた。
「叢雲さん、これからどうするかもう決めたんですか」
「……分からない。今は、何も考えたくないの」
「実は僕、新しい鎮守府を任されることになりました」
 普段の一見穏やかそうな笑顔とは違う、真剣な顔の山岸はそう言って叢雲をまっすぐに見つめる。
「そう……良かったじゃない、ずっとやりたかったんでしょう?」
「こんな時に……いや、今だからこそ言います。叢雲さん、僕の初期艦になってもらえませんか」
 全く予想もしていなかった山岸からの申し出に、叢雲は言葉を失った。
「僕が艦娘に興味を持ったのは、あなたが海で戦う姿を見たのがきっかけでした。砲撃で敵艦を沈める姿が誰よりも美しくて、それからもあなたのことばかり考えていました。提督としてはまだ未熟な僕を、そしてこれから着任する艦娘達を、叢雲さんに導いてもらいたい」
 これほど熱く求められるのは初めてだった。確かに一般市民としての慣れない生活や、全く知らない鎮守府に行くよりは、顔見知りの山岸について行ったほうがいくらか気は楽かもしれない。補給や入渠、住む場所の心配もなく艦娘としての生活を送れる。これだけ活躍を期待されているのも、悪くはない。
 しかしあれだけ罵り続けた山岸に、あっさり縋ることには少しの抵抗もあった。今の状態で断れば路頭に迷うことは確実なのに、心の奥にある意地に阻まれて素直に申し出を受け入れられない。
 結局この日は答えを出さずに、山岸と別れた。



 鎮守府に戻った後、叢雲を探していたという明石に連れられて向かった先は、明石の仕事場でもある工廠だった。
 その奥にある……いや、いるのは、セーラー服とお揃いの帽子を被った、髪の長い少女だった。ぬいぐるみのようなウサギと一緒に、叢雲をじっと見ている。
 33号対水上電探。その装備に宿る妖精だ。
「提督が少し前から準備を進めていてね、叢雲ちゃんが改二になったら渡してほしいって頼まれていたの。でも私は明日から別の鎮守府に移るから、ちょっと早いけど受け取って」
 索敵があまり得意ではない叢雲は、質の良い電探が欲しいとずっと思っていた。この33号は、駆逐艦が装備可能な電探の中でも、優秀な部類に入るものだ。
「でも、何であいつが私に……」
「詳しいことは聞いてないけど、背中を押してくれたお礼だって。心当たりある?」
 明石の言葉に、叢雲はある出来事が頭に浮かんだ。吹雪に告白できないまま山岸に嫉妬したり、不機嫌になっている小林に対して叢雲は、さっさと吹雪に告白しろと言ってけしかけた。山岸も言っていたが、もしかすると本当に叢雲の一言がきっかけで、小林は告白の決意をしたのだろうか。
 自分は何となく、小林に避けられている気がしていた。穏やかではない態度で接してしまうのが原因なのか、決して仲が良いとは言えない関係だった。なのに小林は、叢雲の苦手分野を補える装備を用意してくれていた。
 これからも艦娘として生き続けろ、という小林からのメッセージかもしれない。改めて妖精を見ると、彼女は叢雲に向けて凛々しく敬礼をして見せた。目頭がじわじわと熱くなる。
 叢雲は明石が見ているのも構わず、声を上げて泣いた。山岸の申し出に対する答えは、この時はっきりと決まった。



 山岸の鎮守府はこの数か月の間に戦力が整えられ、驚くほど急成長していった。
 大和や武蔵、海外の戦艦や大型空母。さらに小林の鎮守府では執務室で見かけるだけだった眼鏡の女性が、ここでは大淀と名乗り、艤装を背負って艦娘としても活躍している。
 難関海域の攻略は、とにかく大型艦の力で敵を押し潰すのが山岸のやり方だ。その分資材の消費も毎回激しくなるが、練度の高い軽巡や駆逐艦で構成された大規模な遠征部隊が存在しており、彼女達の活躍により資材が枯渇することはめったにない。常に多くの資材を獲得できるように、その時のコンディションによりメンバーを入れ替えたりと、山岸はとにかく抜け目がない。前から艦娘に興味があったというだけあり、楽しみながらこの仕事をしているのが分かる。
 執務室のドアを開けると、中にいた山岸が立ち上がって叢雲を出迎えた。
「いやー、以前に増して美しくなりましたねえ。さすが僕が惚れただけあって……って叢雲さん、もしかしてスカートはき忘れてます? 僕へのサービスのつもりなら、それはそれで大歓迎ですが」
「はき忘れてなんかないわよ! 改造が終わったらこんな格好になってたのよ、この変態!」
 練度が70に達した叢雲は、先ほど工廠で2度目の改造を受けてきた。能力の限界値が上がったのは良いが、改造前よりワンピースの丈が短くなり、少し動いただけで下着が見えてしまいそうだ。
 中が見えないように裾を下のほうに引っ張って隠す叢雲に、山岸は嬉しそうな顔を隠そうともせずに近づいてくる。睨んで威嚇してみたがあまり効果がない。そういう男だと分かってはいたが。
「ところで前も言ったけど、この電探は」
「ええ、ちゃんと覚えていますよ。その電探をあなたから取り上げないことが、僕のそばにいてくれる条件でしたからね」
 叢雲の肩に乗っているのはウサギを抱えた髪の長い少女、の姿をした小さな妖精だ。かつて小林が叢雲に遺した、艦娘として生きる道を再び開いてくれた特別な電探。改造によって装備も一新されたため、一旦は叢雲の装備スロットから外れることになった。艦娘の装備は全て山岸が管理しているので、叢雲が勝手に付け替えることはできない。
「約束は守りますよ。そうでないと、こばにも怒られてしまいますから」
 叢雲が山岸の申し出を受ける際、この電探のことを条件に出すと『それだけでいいんですか』と驚かれた。山岸はもっとすごい条件を出してくると思っていたらしい。お望み通りにしてやろうかと一瞬思ったが、やめた。
「このままあなたの美脚を眺めていたいところですが、改二記念に早速出撃してもらいますよ」
「改二記念って何なのよ! まあいいわ……」
 山岸の許可を得て新しい魚雷を33号対水上電探と入れ替え、他の出撃メンバーが待つ母港へと向かった。まだ着任して間もない艦娘達を率いて、叢雲は海上に出る。
「旗艦叢雲、出撃するわ!」
 司令官である山岸は相変わらずの変人で掴みどころのない男だが、叢雲を大切にしてくれている。先ほどのようなセクハラまがいのことは時々言うものの、実際に叢雲の身体には指1本触れてこない。そういう面では紳士なのか、それとも我慢しているのか。
 いつか、あの笑顔の裏に隠れた欲望を暴いてやるのも面白いかもしれない。

 ……まあ、いつか、気が向いたら。



(終)




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2017/10/7