15年後



心地良い風を感じながら、ニナは広場にあるベンチに腰を下ろした。
背中まで伸びた、少し癖のある金色の髪。手入れは大変だが、切る予定はない。
途切れることのない人の流れ。楽しそうな笑い声、走り回る子供達。
穏やかな陽光に照らされたこのグリンヒルは、かつて王国軍の支配下にあった。
非情な策略により、故郷が内側から脆く崩れていく様は今でも生々しく記憶に刻まれている。 当時の市長代行を務めていたテレーズが、その身を犠牲にして守ろうとしたことも。 そして自分は、王国軍と対立する同盟軍の一員として戦った。
まるで一生の全てを凝縮したかのような、熱い日々だった。 どこにでもいるような普通の16歳だったあの頃、同盟軍に参加したことでたくさんの仲間と出会い、そして恋もした。 今思い出すと微笑ましく思えてしまうような、無謀な恋だった。あの凄まじいエネルギーはどこから生まれてきたのだろう。
開いた文庫本には、1枚の紙が栞代わりに挟まっていた。
それは薄く、大きさは葉書と同じくらい。
同盟軍に居た頃、仲間だった発明家の男が『かめら』という不思議な道具を作った。 それを使えば、目の前にある景色や人物を紙の上にそのまま写し取ることが出来るという。 男があまりにも誇らしげに自慢していたので、ニナは友人達を誘って『かめら』で写してもらおうとしたが、何故か誰もが警戒して 写されるのをためらっていた。撮られた途端に魂を抜き取られるだとか、根拠のない噂話が流れていたせいだ。
そんな中で、怖いもの知らずの親友が名乗りを上げてきた。彼女はその道具に興味を示し、仕掛けを見抜いてやろうとしていたらしい。 2人の姿が写った紙は『しゃしん』と呼ばれ、記念にそれぞれ手渡された。
統一戦争の終結後、お目付け役のからくりと共に旅立っていった親友の行方は分からないままだ。 今は一体、どこで何をしているのか。元気で過ごしているだろうか。
お互い、言いたいことをはっきり口に出す強気な性格で。共に笑い、泣き、時には掴み合いの大喧嘩までした。 学校の友人達にさえ、あそこまで強く感情をぶつけたことはなかった。
ずっと一緒に過ごせたら、と密かに思っていた。しかし求めているもの、目指しているものが違いすぎて、 結局離ればなれになってしまった。
すぐにでも会いたかった。もしこちらの存在を忘れていないのなら、連絡くらい寄越してくれてもいいのに。 手紙でも何でもいいから。
長年、胸の奥にしまっていた感情が溢れ出して止まらなくなった。
熱くなりかけた目頭を押さえた時、文庫本が足元に落ちた。身を屈めてそれを拾おうとすると、別の手に先を越された。
目の前から、懐かしい匂いがする。親友がいつも服に飛び散らせていた、機械油の匂い。 ゆっくりと顔を上げると、そこには小柄な少女が立っていた。笑顔で文庫本をこちらに差し出している。

「お姉さん、落し物だよ」

礼を言いながらニナは文庫本を受け取った。
改めて少女に目を向ける。頭の上で2つにまとめた栗色の髪。1度見たら忘れられないような、やたらとカラフルな服装。 そしてその背後には、どう見てもタルにしか見えない物が無造作に転がっていた。

「ところでお姉さん、この辺にネジ売ってるところ知らない?」
「ネジ?」
「うん、これの修理にどうしても必要なの」

少女はそう言って、背後のタルを何度か拳で叩いた。更に壊れるのではないかと心配になるほど容赦なく。

「ネジなら確か、あの店に……」
「ああっ!」

ニナの言葉を遮るかのように、少女が叫んだ。その手には文庫本に挟んでいた『しゃしん』がある。 少女はニナの隣に写っている親友を指差すと、

「この人、母さんに似てるわ!」

『しゃしん』の中で親友は、自然な表情で白い歯を見せて笑っていた。
まるで芝居の一場面のように、ニナの頭の中に懐かしい思い出がよみがえる。

『これと、この線を繋げれば完成よ! 今度は絶対に大丈夫。ねえニナ、聞いてる?』
『メグ、あんたの”大丈夫”って、毎回不安なのよね』
『まーたそんなこと言う! これは本当に自信作なんだからね!』

目の前の少女と、『しゃしん』の中の親友を見比べてみた。 見れば見るほど、面影が重なりすぎている。ニナの胸が大きく鼓動を刻んだ。
似ている、と言っているだけだ。実際に関係があるのかどうかは分からない。それでも心のどこかで期待をしている自分が居る。 もしかしたら、と。

「ねえ、あなた名前は?」
「私? 私はね……」

少女は無邪気な調子で、2文字の名前を口にする。親友の名前と響きが似ていて、聞き間違えてしまいそうになった。

「そう……可愛い名前ね。ありがとう」
「わあっ、名前ほめられたのって初めて!」

心底嬉しそうに、少女は頬を両手で包んだ。そして、

「私はね、大きくなったら母さんに負けないくらい立派なからくり師になるわ。今は失敗ばかりだけど、 みんながビックリするくらい凄いものを、たくさん作るの!」

ニナはその場で泣き崩れそうになるのを、必死で堪えた。
好きだった。ずっと、好きだった。幼い頃から旅を続けてきた親友の、視野の広さや大人びた考え方も、尊敬すらしていた。 狭い世界しか知らなかった自分にはないものを、たくさん持っていたから。
暴走しがちだった当時は厳しいこともたくさん言われたが、それ以上に励まされ、勇気付けられた。 どんなに高価な宝石も、大きな花束も、あの親友と過ごした日々の輝きには敵わない。
誇れる物を何ひとつ見つけられないまま、ここまで来てしまった。悔やんでも引き返せないほど、歳を取り過ぎてしまったのだ。
夢を語る少女の姿が、にじんで揺れる。
いくら手を伸ばしても届かないその先には、いつも親友の背中があった。 理想を求めて駆け出して行った彼女はもう、2度と後ろを振り返ることはない。




back